テレビでの討論
討論番組『ベルリン・フォーラム』のスタジオは、北極のような緊張感に包まれていました。司会のザビーネが「それでは、ご紹介します。現代ドイツに突如現れた……アドルフ・ヒトラー氏です」と紹介した瞬間、視聴率は垂直立ち上がりを見せ、ドイツ中のサーバーが悲鳴を上げた。
対峙するのは、「ドイツの良心」大物俳優トーマス・ベック。
トーマス・ベックは、この日を「民主主義がウイルスを駆逐する日」と位置づけ、大量の歴史資料と人道的な正論を携えて臨みました。
「……君がどれほど言葉を飾ろうと、君の存在そのものが人類への侮辱だ! 歴史を見ろ。君のせいでどれだけの命が失われたと思っている!」
トーマスはやや最初から討論に熱が入りすぎている、目の前のこの男が1945年からタイムスリップしてきたとする言説は常識的に考えれば本当のはずはない、なのにトーマスは目の前の男を既に本物のヒトラーとして扱い稀代の虐殺者として非難する。
ヒトラーは眉一つ動かさず、静かに、そして慈しむような笑みを浮かべて返しました。
「ベック氏。君は常に『歴史』という鏡の中の自分を見て悦に入っている。だが、スタジオの外を見てみたまえ。君が『歴史』を語る間にも、インフレに喘ぎ、ガソリン代が払えず、冬の寒さに怯える国民がいる。
君の正義は、お腹を空かせた子供たちを温めることができるのか? 君の道徳は、崩壊しつつあるドイツの産業を救えるのか?
君は私を『過去の悪』と呼ぶ。だが、国民にとっての『現在の悪』とは、彼らの痛みを見ようとしない、君のような特権階級の無能さのことではないのか?」
トーマスは顔を真っ赤にして反論しようとしますが、言葉が続きません。ヒトラーは「差別」を一度も口にせず、ただ徹底的に「現代政治の機能不全」を突き、トーマスを「現実を知らない贅沢な説教者」という枠に押し込めてしまったのです。それは現代にアップデートされたヒトラーの言説であった、巧妙なのはこの現代によみがえったヒトラーは直接的なヘイトスピーチに該当する発言はしていなかった、当然動画サイトの利用規約には1ミリも抵触していない、むしろ『すべてのドイツ市民に平等な競争の場を』と、リベラルなことさえ言ってのけるのだ。「多様性」「寛容」「偏見を捨てろ」といった現代リベラルの聖句を引用し、「私の過去に対する偏見を捨てて、今の私の言葉を評価せよ」と迫ります。これにより、彼を排除しようとする側を「不寛容な検閲官」に見えるよう誘導していた。
司会のザビーネ・フィッシャーは、この光景を最も近くで見ていた。
ヒトラーが放つ圧倒的な「静寂の力」と、矛盾を一切許さない冷徹な論理。そして何より、混乱するスタジオを指先一つで支配するその「強さ」。
不甲斐ない政治家や、感情的に喚くだけの知識人たちに囲まれてきた彼女にとって、彼の言葉は、まるで霧の中を切り裂くレーザー光線のように美しく、頼もしく感じられてしまった。
「茶番だ! こんな男を公共の電波に乗せること自体、我々が守ってきた戦後民主主義への冒涜だ! 見ろ、君のその顔、その声……それだけで何百万という犠牲者の血を思い出させる。君は存在してはならない『間違い』なんだ!」
トーマスはようやく絞り出した言葉で再びヒトラーを非難するがその言説は弱かった、当然だろう、トーマスは俳優ではあるが討論に関しては別にプロフェッショナルというわけではない、かつての映画やドラマで警察官や探偵、弁護士を演じて犯人を鋭く論破するシーンなどは台本あってのものなのだ。
「ベック氏。君は先ほどから『民主主義』という言葉を、まるで自分たちの特権を守るための盾のように使っている。だが、君が守ろうとしているのは『システム』であって『国民』ではない。
君は私の顔を見て『血』を思い出すと言う。ならば、今のドイツの街角を見て、君は何を思い出す?
閉鎖された工場、支払えないガス代の請求書に震える老婦人、そして、君のような富裕層が『多様性』という美名の下で放置した、無秩序な治安の崩壊……。これらは『血』を流していないとでも言うのかね?」
そして討論はさらに白熱し『青少年デジタル環境保護法(通称:16歳未満SNS禁止法)』の話題に移った。
この話題が出るのも当然であろう、なぜなら現代によみがえったアドルフ・ヒトラーの動画のフォロワーは主に若い世代が多いのだ。
「いいですか。歴史を振り返れば、独裁者が最初に行うのは常に『若者の心の占領』です。かつてのナチスは『ヒトラー・ユーゲント』を作り、未熟な子供たちに偏った思想を植え付け、親を監視させ、思考を停止させた。
今、SNSで起きていることは、デジタル版のユーゲント育成です! アルゴリズムという名の洗脳装置から子供たちを切り離すこと。これは、かつての過ちを繰り返さないための、我々大人の『義務』なんです!」
「……ベック氏。君のその発言こそ、現代における最も醜悪な『歴史の私物化』だ。
君はナチスを引用して私を叩こうとしたが、鏡を見てみるがいい。今、この瞬間に『特定の情報の流れを遮断し』『若者を国家の管理下に置き』『自分たちの望む思想だけを注ぎ込もう』としているのは、私か? それとも君か?」
スタジオが静まりかえった。
「かつての政権がユーゲントを組織したのは、情報を遮断するためではない。国家の意志を一つにするためだ。だが、君がやろうとしているのは、さらに卑劣な『知の去勢』だ。
君は『保護』という耳当たりの良い言葉で、若者から『知る権利』を奪おうとしている。彼らがスマホで真実を検索し、君たちエリートの矛盾を暴くのが怖いから、法という名の鎖で彼らの目と耳を塞ぐ。
……いいかね、ベック氏。特定の思想を『有害』と決めつけ、国民から遠ざける行為。それこそが、君たちが教科書で呪うように教えてきた『焚書』であり、『言論統制』そのものではないか!
君は、自分が最も嫌悪しているはずの『独裁者の手法』を、今まさに、善良な市民の顔をして実行しようとしているのだ。恥を知りたまえ」
この瞬間、トーマスの「保護」は「抑圧」へと定義を書き換えられた。
テレビの前でこれを見ていた若者たちは、自分たちを「未熟な子供」扱いするトーマスに激しい拒絶反応を示したのだ。
ヒトラーが「若者からスマホを奪う者こそが、真の独裁者だ」と断じたその時、スタジオの照明が、一瞬、ザビーネ・フィッシャーの横顔を鋭く照らし出してしまった。
彼女はジャーナリストとして、最初は彼を糾弾する言葉を探していました。しかし、彼女の脳裏には、数分前に醜く取り乱したトーマス・ベックの姿と、目の前の男が提示した「冷徹だが筋の通ったロジック」が鮮明にコントラストを描いていました。
(……そうだ。守るという名目で、私たちは彼らの可能性を殺そうとしていたのではないか?)
無意識の思考が、肉体に伝わります。
カメラの赤いランプが点灯していることも忘れ、ザビーネは深く、ゆっくりと、一度だけ、力強く頷いてしまったのです。
副調整室のスタッフもまた、ヒトラーの演説の熱量に圧倒されていました。動揺したスイッチャーが、あろうことかその瞬間にザビーネのクローズアップに画面を切り替えてしまったのです。
ドイツ中の高精細な4Kモニターに、彼女の瞳が潤み、納得と心酔が混じった表情で頷く姿が映し出されました。それは、「中立であるべきメディア」が、独裁者の軍門に降ったことを象徴する『降伏のクローズアップ』となった。
1秒後にはそのキャプチャ画像がネット中を駆け巡る
「#SabineNods(ザビーネが頷いた)」というタグがトレンドに。
「プロのジャーナリストさえ認めた。これが真実だ!」「リベラルの看板娘が堕ちたぞ!」という歓喜の叫び。
番組プロデューサーはヘッドセット越しに絶叫した。
「バカか! ザビーネを映すな! 引きで撮れ! CMだ、今すぐCMに入れ!」
番組が強制的に中断された後、スタジオの静寂の中で、ザビーネは自分の指が震えていることに気づきいたのであった。彼女は自分が何をしたか理解していました。キャリアの終わりであり、同時に、「偽りの客観性」から解放された瞬間でもありました。
彼女の背後に歩み寄ったヒトラーは、マイクが切れていることを確認してから、彼女の耳元で囁きました。
「……勇気ある、良い頷きだったよ。ザビーネ。君は今、本当のジャーナリストになった」
彼女はその言葉に恐怖を感じながらも、同時に、かつてないほどの「生の実感」に包まれていました。




