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ON AIRの後で

 『ベルリン・フォーラム』放映後のスタジオにて...


 スタジオの「ON AIR」ランプが消え、スタッフたちが機材の片付けに動き出す中、メインテーブルにはザビーネとトーマスの二人だけが残されていた。


 番組中、トーマスは「あの男の動画を再生すること自体がナチズムへの加担だ」と熱弁を振るい、ザビーネは冷静なキャスターとしてそれを受け流していたが、内心では彼が語る「正論」の空虚さに、耐え難い退屈を感じ始めていました。


 トーマスはネクタイを緩め、やり遂げたという充足感に満ちた顔でザビーネに語り掛ける。


 「……ふぅ。お疲れ様、ザビーネ。今日は完璧だった。君の鋭い質問が、私の警鐘に最高の説得力を与えてくれたよ。これで少しは、ネットで騒いでいる愚かな若者たちも目を覚ますだろう」


 トーマスは椅子をザビーネの方へ寄せ、親密さを演出しながら彼女の手元の資料に手を重ねた。


 私は反射的に資料を引き寄せた...視線は合わせずに。


 「……お疲れ様でした、トーマス。でも、SNSのリアルタイム反響では、あなたの『見るな』という言葉が、逆に火に油を注いでいるようですが」


 トーマスは気にした風もなく、自信たっぷりに笑って答えたのだ...


 「ハッ、連中は反抗期なだけさ。放っておけばいい。……それよりザビーネ、この後どうかな? 収録の疲れを癒やすのに最高の、ベルリンで一番予約が取れないイタリアンを予約してあるんだ。君と、これからのドイツの『知性』のあり方について、じっくり語り合いたいと思ってね」


 その瞳には、民主主義を守ったという英雄的陶酔と、目の前の美しい知性派キャスターを「今夜の戦利品」にしようという、特権階級特有のいやらしい下心が透けて見えている。


 「お誘い、ありがとうございます。……でも、申し訳ありません。まだこの後のニュース原稿のチェックがありますし、何より、あの男の動画をもう一度、一人でじっくりと『分析』しなければならない気がするんです。あなたの言う『毒』の正体を、自分の目で確かめるために」


 ザビーネのその返答にトーマスは鼻を鳴らし、少し不機嫌そうに立ち上がる...


 「真面目すぎるな。あんなゴミを分析したところで、時間の無駄だよ。……まあいい、気が変わったら連絡してくれ。君のような洗練された女性には、あんな泥沼のようなネットの世界ではなく、もっと『光り輝く場所』が似合っているんだから」


 トーマスが高級な香水の香りを残して去った後、ザビーネは一人、暗くなり始めたスタジオで、モニターに映る「あの男」の静止画を見つめました。


 トーマスの言うことは、1ミリも間違っていない。ナチズムは悪であり、扇動は危険……でも、彼の言葉には「生活の匂い」が全くしない...


 彼女は、トーマスの仕立ての良いスーツと、彼が口にした「予約の取れないイタリアン」を思い出し、不快な胸焼けを感じたのだ。


 彼は、安全な高台から、泥沼で藻掻いている人々を見下して説教をしているだけ。彼の「正義」は、自分の地位とライフスタイルを脅かさない範囲でしか機能しない贅沢品だわ。……でも、あの動画の男はどう?


 彼女はスマホの画面をタップしました。


 ヒトラーを自称する男の言葉は、トーマスのような「選ばれた者」が避けて通る、生々しい現実――インフレ、エネルギーの矛盾、技術者の挫折――の急所を、正確に、そして冷徹に射抜いた。


 リベラリズムは、いつからこんなに「退屈な教典」になってしまったの?


 トーマスが叫ぶ「民主主義を守れ」という言葉は、もはや現状に甘んじる特権階級の「現状維持の呪文」にしか聞こえない。一方で、あの男の言葉には、善悪を超越した、世界を根底から作り直そうとする「生きた意志」がある……


 ザビーネは、自分のリベラルな理性が、その「未知の劇薬」に激しく揺さぶられているのを自覚し始めていた。


 トーマスは動画を『見るな』と言う。でも、彼を画面から消せば消すほど、大衆は飢え、彼は神格化される。……ジャーナリズムがなすべきことは、彼を隔離することではなく、白日の下に晒し、そのロジックの正体を解剖することではないのか?


 彼女の脳裏に、あるスリリングな構成が浮かびあがった


 感情的で富裕なリベラル(トーマス)と、禁欲的で冷徹なリアリスト(ヒトラー)。この二人が直接ぶつかったとき、どちらが「今のドイツ」を動かす言葉を持っているのか。




 5日後、ザビーネは信頼するチーフプロデューサーのマルクスに、極秘の企画書を提出するため、テレビ局の最上階へと向かった。


 プロデューサー室でザビーネは一枚の企画書をマルクスのデスクに叩きつけたのであった。表紙には太字で『独占対談:アドルフ・ヒトラー vs トーマス・ベック』と記されていた...


 マルクスは口に含んだコーヒーを吹き出しそうになりながら仰天した。


 「ザビーネ! 正気か? これはジャーナリズムじゃない、自殺行為だ。連邦憲法擁護庁が黙っていないし、スポンサーは一斉に手を引くぞ。放送開始5分で局が包囲される!」


 「マルクス、落ち着いて。今の数字を見て。先日のトーマスの特番、視聴率は良かったけれど、SNSの反応は最悪よ。『説教くさい』『時代遅れ』『現実を見ていない』。視聴者はもう、トーマスの予定調和な正義に飽き飽きしているの。……一方で、例の男の非公式動画の総再生数は天井知らずに増えてる。」


 「だからといって、彼をスタジオに呼ぶなんて……」


 「マルクス、私たちはジャーナリストでしょ? 臭いものに蓋をして、視聴者に『見るな』と命令するのが仕事? それこそトーマスがやっている傲慢なエリート主義だわ。今のドイツに必要なのは、彼を暗闇に閉じ込めることじゃない。白日の下に引きずり出し、カメラの前で徹底的に解剖することよ。もし彼がおふざけの話題性を得るためだけの偽物ならメッキが剥がれるし、もし彼の主張が本物なら……その危険性を全国民に知らしめる義務が私たちにはある」


 マルクスはタバコに火をつけ、苦渋の表情で煙を吐き出す...しばしの沈黙の後口を開いた。


 「……トーマスはどう思う? 彼はプライドの塊だぞ」

 

 「彼は喜んで飛びつくわ。『自分がナチの亡霊を公開処刑して、真のヒーローになるチャンスだ』ってね。彼は自分の正義が負けるなんて、1ミリも考えていないもの。……その油断こそが、最高のエンターテインメントになる」


 マルクスは立ち上がりザビーネに背を向け、窓の外のベルリンの街並みを見つめる。


 「……リスクが大きすぎる。だが、もし成功すれば、歴史に残る放送になるな。……わかった。ただし、条件がある。出演交渉はすべて君がやれ。現場の指揮もだ。もしもの時は私が責任を取る。」 


 「……感謝します。……必ず、歴史に残る放送にします」


 「……ああ。歴史に残るか、歴史を終わらせるか、どちらかだな。……さあ行け、ザビーネ。嵐が来るぞ。今のうちに最高のシナリオを用意しておけ」


 


 


 


 



 

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