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意図せぬ聖火ランナー

1話から文章の修正を始めています よかったらまた1話から読み直してくれると幸いです。

 

 2025年のドイツを代表する人気討論番組『ベルリン・フォーラム』。スタジオには張り詰めた空気が漂っています。司会者の女性、ザビーネ・フィッシャーは、少し困惑したような、それでいて視聴率への期待を隠せない表情で、番組にゲストとして呼ばれたベテラン俳優トーマス・ベックに向き合います。トーマス・ベック...彼は「ドイツの良心」と呼ばれるほど、リベラルで人道的な発言で知られる大物俳優であった。とくに近年のアメリカ合衆国大統領についても強い危機感を表明するなどインターネット上においても話題に上ることも多い人物でもある。



 「トーマス、今日はあえてこのタブーに触れたいと思います。今、SNS、特に若い世代の人々の間で、ある『動画チャンネル』が爆発的な影響力を持っています。……例の、1945年から来たと自称する男の演説です。あなたはこれをどう見ていますか?」


 トーマスは深く溜息をつき、眼鏡を外してテーブルに置く。苦渋に満ちた表情でこう答えた。


 「ザビーネ、正直に言おう。私は今日、この話をすること自体に激しい抵抗を感じていた。なぜなら、彼のような存在は『無視』されることでしか消し去れないからだ。だが、事態はもはや無視できない段階に来ている。……あれは、高度に計算された『民主主義へのサイバーテロ』だ」


 「サイバーテロ、ですか? しかし、彼の発言を精査しても、法に触れるような直接的なヘイトスピーチは見当たりません。むしろ、現在のエネルギー政策の矛盾や、ドイツの産業競争力の低下など、私たちが普段ニュースで議論しているトピックを扱っていますが……」


 トーマスが身を乗り出し、声を荒らげた


 「そこが罠なんだ! ザビーネ、騙されてはいけない。彼は『正論』という毒を塗ったキャンディを配っているんだ。ガソリン車の廃止に反対する? 原子力とEVの矛盾を突く? そんなことは誰だって言える。だが、彼がそれを言う時、その背後には常に『独裁による解決』という暗い影が控えている。

彼は『多様性』や『寛容』という言葉を、我々から奪い取ろうとしている。自分への批判を『不寛容な検閲だ』とすり替えることでね。……国民の皆さん、お願いだ。あの動画の再生ボタンを押さないでほしい。一回クリックするごとに、我々の先人が築き上げた戦後の民主主義に、一滴の毒が注がれると思ってくれ!」


 「しかし、トーマス。彼が言う『今の政治家は国民の痛みを見ていない』という言葉に、多くの労働者が共感しているのも事実です。それを単に『毒だ』と切り捨てるだけでは、彼らの怒りは収まらないのではないですか?」


 「怒りは理解できる! だが、その出口をあのような怪物に求めてはいけない。彼は対話を求めているのではない。『服従』を求めているんだ。……いいですか、あの男が画面の中でどれほど理知的に見えようと、その正体は80年前に世界を焼き尽くしたあの男、あるいはその亡霊だ。我々ドイツ人は、二度と同じ過ちを繰り返してはならない。これは警告だ。彼をエンターテインメントとして消費するのは今すぐやめなさい!」

 

 トーマス・ベックは正義の警鐘を鳴らしました。しかし、彼の行動は皮肉にも、ナチスがかつて得意とした「対立構造の創出」に、最高の燃料を投下してしまった...


 トーマスは地獄への道を善意で舗装してしまったのだ...


 皮肉にもトーマスは現代によみがえったヒトラーという「見えない怪物」に「実体」を与えてしまった。


 それまで「あの男」は、ネット上のエコーチェンバーの中に漂う、実体のない「面白いコンテンツ」に過ぎませんでした。しかし、国民的俳優であるトーマスがテレビで本気で怯え、非難したことで、彼は「国家を揺るがす脅威」という公式なステータスを手に入れてしまいました。


 トーマスがヒトラー風の男を「無知な大衆がハマる毒」と断じたことは、彼の動画視聴者たるヨアヒムのような労働者層や、エリアスのような「既存の綺麗事に疲れた若者」を、ルーカスのような無知なる小学生を、アンナ・シュミットのような母親を、そしてトーマスが権利を守るべきと主張しているメフィト・カヤのような移民を そしてフリードリヒのような老人を決定的に硬化させる発言だった。


 「結局、テレビの中の成功者たちは、俺たちの生活の苦しみを『無知ゆえの副作用』としか思っていない」


 この断絶こそが、ヒトラーが最も必要としていた「肥沃な土壌」だった。


 そしてトーマスの動画を見るなという発言はある意味では有名人から民間人に対しての検閲であるといえるのかもしれない。


 「見るな」という命令は、自由を愛する現代人にとって最も魅力的な誘惑だった、2025年という「誰もが発信者であり、誰もが検閲を嫌う時代」において、トーマスのような特権階級が放った「見るな」という言葉は、最高に魅力的な「禁断の果実の広告」として機能してしまったのである。


 この放送中、画面の下部には「#帰ってきたヒトラー」「#トーマス・ベックの警告」というハッシュタグが乱舞しました。


 しかし、トーマスの意図とは裏腹に、ネット上の反応は冷ややかでした。


「トーマスのような億万長者の俳優が、ガソリン代で困っている俺たちに説教している」


「司会者のザビーネの方が、まだ現実的な質問をしていた」


「そこまで危険だと言うなら、どれほど凄いのか見てやろうじゃないか」


 放送からわずか30分後、Googleの検索キーワードランキングの1位は「ヒトラー 2025 演説 全文」となり、サーバーが一時ダウンするほどのアクセスが集中しました。


 トーマス・ベックの「善意の警告」は、結果として、深淵へと続く扉に巨大なスポットライトを当ててしまったのです。


 翌朝、動画の再生数は前日の10倍に膨れ上がりました。皮肉なことに、トーマスが彼を強烈に批判したことで、その存在は「禁断の果実」へと格上げされてしまったのです。


 さらに決定的な追い打ちをかけたのは、数時間後に投稿されたヒトラー(風の男)からの「返信」ショート動画でした。


 『親愛なるトーマス・ベック氏へ。私の拙い意見に貴重な電波を割いていただき、心から感謝する。君のように「何を見るべきか、何を考えるべきか」を国民に指図してくれる特権的なエリートこそが、今のドイツに欠けている「良き検閲官」の鑑だ。……諸君、彼がこれほどまでに怯える私の言葉を、ぜひ自分の目で確かめてみてほしい。偏見を捨ててね』







 

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