長い一日の終わり
私がハンカチをぼんやりと見ていたら、父が話しかけてきた。
「お前、本当に手紙を受け取っていたのか?」
「あ、ええ。そうです。ロイドに聞いてもらえば分かります。ここ最近手紙が多かったのを覚えているはずです」
ロイド、あなたって素晴らしいわ。私は心のなかでロイドを褒めちぎった。
「それを私に見せようとしなかったのはなぜなんだ」
「初めはイタズラだと思いました。だからすぐに捨てていたんです」
言い訳を探すうちに腹が立ってきて、私は言い訳するのをやめた。
「その手紙を見たら、お父様はどうしましたか?」
言い返されて、父は再び詰まった。
「あなたは、実は愛人と結婚するための生贄なのだ、と書かれた手紙です」
私は思い出しながら続けた。
「愛人を侍女に付けて、屋敷内で孤立させ、評判を落とさせ、じわじわ弱らせて殺す。そしてジェイソン様は妻を失った悲劇の主人公になる」
私は自虐を込めてそう告げた。これは、まごうかたなく実際にあったままの話。
静かに淡々と話しても、その凄みは父にも伝わったようだ。
顔色を白くして、表情をなくしている。
ジリッと体を寄せると、父は後ずさった。
「今日のお前はおかしい。早く休みなさい。話は明日だ」
そう言うと、足早に部屋から出て行ってしまった。
シンとした部屋にぽつんと座っていたら、とても疲れているのに気がついた。
今日はいつもの倍くらい一日が長いようだ。
「お嬢様」
急に声がかかり、ビクッとした。そういえば、ベルがいたのだった。
「先ほどのお嬢様、ゾクッとするほど迫力がありました。私、息を殺していました」
ベルは私に手を貸して立たせてくれた。
「部屋でお休みください。伯爵様もそうおっしゃいましたから、今夜は呼び出されることもないでしょう」
「そうね。疲れたわ」
そう言った途端に、本当に疲れがドッと襲ってきた。
その夜、夢を見た。夢のなかで私は、ウエディングドレスを着替えさせてもらっている。メリーと二人の侍女の三人が、着替えを手伝ってくれていた。
式の余韻で私は少し浮かれている。二人の侍女も嬉しそうで、笑顔で話しかけている。
侯爵邸の私の部屋は、花がたくさん飾られていて、明るく楽しげだ。夕暮れにはまだ少し早いくらいの時間で、カーテンは開け放たれ、風が心地よく吹き込んでいる。
私はその窓の外、ベランダに立って、室内の様子を覗いているらしい。どうやら二人の私がいるようだ。
外から見ると、室内の人物たちがよく見える。
嬉しそうな私と侍女二人。
メリーだけが、冷えた目で私を見ている。でも私はその視線に全く気付いていない。
よく眠ったはずなのに、翌朝起きると眠気が残っていた。
一度目の自分を夢に見たせいかもしれない。
すぐ近くで、必死に忠告するのに、私は気付かない。
夢だから当たり前だわね、と髪をかき上げて振った。
私の髪は茶色のくせっ毛で、起き抜けにはくちゃくちゃになってしまう。それを防ぐためにナイトキャップを被るが、昨夜はそれがなかったのだ。
編んで寝るのも面倒なほど眠かったので、珍しくそのままで寝てしまった。
サラサラの髪を持つ人が羨ましいと、いつも思う。例えば妹のツヤツヤでサラッとした髪とか。
兄にはこの髪の毛を、よくからかわれた。犬みたいだと言って、手を突っ込んでグシャグシャにされたことが何度もある。
鏡を覗くと、ボサボサ髪の疲れた⋯⋯
……言い換えるわ!
それなりに可愛い、18歳の乙女の顔よ。
自分を卑下するのはやめようと、昨日夢の中で決めたのだ。
下ばかり向いているから、あんなに分かりやすい、敵意を見逃すのだわ。
「ちゃんと顔を上げて、周りの人を見て――好意を持ってくれる相手と、そうじゃない相手を見分けるのよ」
夢のなかで私は、声を振り絞って自分を叱責していた。
今、鏡の中の私は、いつもより目をパッチリと開けて、真直ぐに前を見ている。
薄い緑の瞳がうるうるして、結構きれいかもしれない。
そうよ、悪くないわ。
いつもは薄い緑で、なんとなく頼りなげな瞳だと思っていたけど、そんなことは無い。
頬だって、唇だってピンク色だわ。最後の頃の私の顔は、くすんでいて色が無かった。
それと比べれば、健康的で素敵よ。
メリー嬢のようにぷっくりとした美味しそうな唇ではないけど……
そうやってまじまじと自分の顔を眺めた。
ベルがやってきたのは、それから三十分も経った頃だろうか。
「おはようございます。よく眠れましたか」
「おはよう、ベル。髪を直してもらえるかしら。すごく広がってしまって、どうしようもないわ」
「お任せ下さい。お嬢様の髪は膨らむので、結い方によっては豪華になるお得な髪ですよ。いつも地味にまとめるだけですけど、たまには華やかな髪形を試しませんか? 気分が変わります」
いつもの髪形でいいわ、と言い掛けて、思い直した。
「華やかな髪形を試してみたいわ。任せるから、いつもと違う風にしてみて」
ベルは最初驚いたようだったが、すぐに張り切って髪を梳かし始めた。ヘアクリームを付け、一部分を編み込んだりしている。白い小花を寄せ集めたような綺麗な櫛を差し込み、少し離れて出来栄えを確かめる。
「お嬢様、とても素敵です。白い花の櫛が、緑の瞳に映えます」
「本当ね。素敵だわ」
「しまい込んであるアクセサリーをいくつか着けてみましょう。きっとお似合いです」
クリーム色のドレスに、おばあさまから譲られたエメラルドのはめ込まれたブローチを着けると、ボリュームのある華やかな髪形と相まって、思いがけないくらい華やかな雰囲気に仕上がった。
「朝食は、ご家族揃ってとる予定だと、ロイド様から伺っています。そろそろ朝食室に向かいましょう」
家族全員での朝食、それはたまにしかないことだけど、私の結婚式の前日、つまり一昨日行ったばかりだ。
いつもより少し遅い時間に、しっかりしたコースが出て、時間もかかる。
やはり、昨日の事を聞かれるのだろうと、覚悟して朝食室に向かった。
「おはようございます」
私が挨拶をして顔を上げると、全員が注目していた。家族だけでなく、使用人たちもだ。
「お姉さま、今日は雰囲気がいつもと違うわ。凄く華やかで綺麗」
いつもは、どうだったのだろう。そう思いつつも、うれしかった。
「ありがとう。気分転換に、ベルに髪形を変えてもらったの」
そう答えながら、癖で視線を下げてしまったけど、すぐに顔を上げて、妹のノエルに微笑みかけた。
妹がまた驚いたように口を開きかけたが、お父様がその前に話し始めた。
「昨日の夜、ローズ公爵家のブライアン殿がいらっしゃったのは、皆知っているな。その時に話した事を伝えておく。今日、ディール侯爵家に話を聞きに行くそうだ。それから、もう一度我が家に話をしに来るので、それまではディール侯爵家と接触しないよう言われている」
エリック兄さまが文句を言い出した。
「俺は昨日、友人共に囲まれて、どういうことだって聞かれて大変だった。実際どういうことなんだ。マリア」




