思いがけないお客様
「ところでジェイソン様の愛人は、乳母のキャリー・モード夫人の血縁者でしょうか。それとも無関係ですか? モード子爵家の動きを、あらかじめ推測しておきたいのです」
「そこは聞いていないの。彼女はメリーという名で、私付きの侍女になったのよ。ジェイソン様が真実の愛を捧げた相手なんですって」
ベルが一気に切れた。
「真実の愛! なんですか、それ。神の前で誓う結婚の誓いは!? 罰当たりめ」
そう叫んだ後、十字を切って祈った。
ベルの理想は純愛なのだ。
「お嬢様。今まで申し訳ありませんでした。お嬢様が嫌がる理由が私には分からなかった。情けないです」
「無理ないわ。はっきりした理由を言わなかったのですもの」
婚約自体、ジェイソン様の勢いに押し流されただけで、違和感は常にあった。
熱望される理由がわからないからだ。
読書の趣味が合うとか、刺繍の見事さに感激した、とかならまだわかる。
でもジェイソン様の口説き文句は、私の頭の上を流れて行くだけの、美辞麗句だった。
『君の麗しい微笑み、小鳥がさえずるような美しい声』とか言われても、困るっていうか?
恥ずかしがりの私は、男性に微笑みを向けるなんて、したことがない。おまけに声は小さくて、しかも低めなのだ。いったい誰の話なのかしらと、いつも不思議に思っていた。
そんなだから、彼の言葉で喜んだことは一度もないのだ。
「今思えば、彼の美辞麗句は、かのメリー嬢を思い浮かべて喋っていたのかもね」
私が何気なしに言った言葉で、ベルが涙ぐんでいる。
「大人しいお嬢様には、相手から強く望まれる結婚が向いていると思い込んでいた私が浅はかでした」
「それを言うなら私もです。世間の評判を調べて、文句なしの優良株と、太鼓判を押したのですから。執事として情けない」
二人ともしょげてしまったので、無理やり明るく言ってみた。
「彼には愛人と隠し子がいるって言ったら、取りやめになったかしら。私がそう言ってみたらよかったのよ」
ロイドが更に申し訳なさそうに下を向く。
「その話だけでは、たぶん破談にはなりません。結婚までに綺麗にするよう、言ってやる程度で終わりです」
やっぱりそうなのね。それもありそうだと思っていたのよ。
「結局、こうなるか、このまま結婚して死ぬしかなかったのね」
ベルが立ち上がり、身を乗り出して、私の腕を掴んだ。
「お嬢様、殺すってどうやってですか? 私が付いていれば、めったなことはさせませんよ」
「毒殺よ」
「まあ、この私の目をかいくぐれるとでも? あらゆる意味で腹が立つ!」
無茶苦茶、憤慨し始めたベルを、私は引っ張って座らせた。
「⋯⋯無理よ。あなたには防げなかったの。あなたはすぐに伯爵家に戻されてしまうの。それから私はずっとメリーに監視されていたし、手紙を出しても全然返事も来なかった。たぶんメリーが隠していたのだわ」
ロイドは黙って私をじっと見ている。
ふと、1回目の事を話してしまったのに気がついた。私は慌てて口元を覆った。
ベルは単純に怒っているけど、ロイドは⋯⋯疑っている? だけど、まさか一度死んで戻ったなんて、考えもしないだろう。
「そういうふうに計画されているって、手紙に書いてあったの」
その時、ロイドがピクッと頬を動かした。
「旦那様方がお帰りのようです。私はお迎えに向かいますので、ここでお待ちください」
立ち上がったロイドが、ピタッと動きを留めた。
「他にも馬車が来ているようですね。お客様です。お嬢様、誰が来たか連絡しますので、早めに心構えをなさってください」
ロイドは上着の襟と袖をピンと引き、いつもの端正な雰囲気を取り戻した。非の打ち所のない執事、と言われるいつもの彼に戻り、静かに部屋から出ていく。
「ロイドと、こんなふうに話すのは初めてだわ。すごく頼りになるわね」
「お嬢様は、いつも静かにされていて、ご自分から何かを頼んだり、わがままを言ったりなさいませんから、接点が少なかったのですね」
ベルは少し首を傾げた。
「今日のロイド様は、いつもと少し違って見えました。でも完全にお嬢様の味方です。頼もしいです」
私はベルの手を強く握った。
前回とは違う。今の私にはベルとロイドという味方がいる。一人ではないのだ。
家族は、どうだろう。私をどうする気だろう。
それは考えても、全くわからなかった。
「この後、多分すごく叱られるわね。賠償金の形に、どこかへ売り飛ばされてもおかしくないわ」
握っている手にギュッと力がこめられた。ベルの表情が怖い。
「お嬢様、弱気になっては駄目です。教会の鳩を思い出してください。きっと神の使いですよ。正義はマリア様に有りです」
なんの根拠もないけど、その言葉が心に響いた。
そうよ、死ぬ気になれば、なんだって出来る!!
そう気勢を上げた時に、コンコンとドアを叩く音がした。
身体がビクンと跳ねてしまう。
やっぱり怖い。
ベルが手を、もう一度強く握り締めてくれる。
「入って」
声が震えた。
やってきたのはお父様の秘書をしている従僕だった。
「伯爵様がお呼びです。急いで来るようにと仰っています」
そういった後、少し早口で追加した。
「ロイド様からの伝言です。お客様は、ローズ公爵家子息のブライアン様です。事情を聞かれるかもしれません。伯爵様とブライアン様には、お嬢様は非常にお疲れの様子だと、お伝えしてあります」
さすが、完璧な執事。そつがない。
「新しいハンカチをお持ちします。それと気付け薬。少しお待ちください」
ベルが急いで出ていく。
戻ってきたベルと一緒に、私は足取りも重く、従僕の後を付いて行った。
従僕がドアを叩くと、すぐにロイドがドアを開けてくれた。
室内にはお父様と若い男性が一人いて、立って話をしている。背の高い、しっかりした体つきの男性で、なるほど騎士だ、と納得できる雰囲気を持っている。
母と兄と妹はいない。ということは、近衛騎士団の公式な立場の訪問なのかもしれない。
緊張して体がスムーズに動かないので、仕方なしに時間をかけてお辞儀をした。
その後、簡単に紹介されて挨拶を交わした。とても実務的で堅苦しい感じのやりとりだ。やはり、公務での訪問なのだろう。
「こちらへ。私の横に座って」
父に促され、父と一緒に椅子に座る。
ベルがすかさず私の横に付き、ハンカチと気付け薬を、これ見よがしに手渡してくれた。
私は目でありがとうと伝え、ハンカチを握り締めた。
「ブライアン殿は近衛騎士団の副団長をされている。今日お前が話した内容について聞きたいとおっしゃっている」
父はそこで一旦切って、様子を探るように私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か? 大分興奮していたが、今は落ち着いたか?」
私は黙って首を縦に振った。




