マーカスー2
主治医とニックは下を向いていて、私と目を合わせようとしない。
「お前は誰だ。私にそんな口の利き方をしていいと思っているのか」
つい興奮して叫んだ。
女の服装は金がかかっていて、もしかしたら高位の貴族かもしれない。
だが、私には見覚えのない女なので、あまり親しくないはずだ。それなのに、腹が立つほど、馴れ馴れしい。というより、生々しい悪意を感じる。
「私はあなたの妻よ」
「……嘘だ」
そう言って、横に立つ主治医とニックに目を向けると、下を向いたままで顔を上げない。その態度で、この女の言葉が本当なんだと分かってしまった。
女をまじまじと見ると、傲慢さと残忍さが見て取れた。
こんな女と私は結婚していたのか? 私の天使、エリスとは正反対の、こんな女と?
「そんな……」
「あら失礼ね。私は侯爵家の娘で、婚約者候補の一番だったのよ。あなたも満更ではなかったじゃないの。贈り物のサファイアの首飾り、大切にしているわよ」
芝居がかった言い方が嫌らしい。喜んでいるのが丸わかりなのも驚愕だ。
どうみても、取り返しのつかない失敗を自覚した私を、愚弄しているだけだ。
本当に質の悪い女だな。
サファイア?
その昔、俺はこの女にサファイアが似合うと思ったのだろうか。思い出せない。今度は事故の後の記憶がぼんやりとしている。
「彼女は単にもて遊ばれただけだと思っているでしょうね。かわいそう」
女は楽しくてたまらなそうに笑う。
「そんなことは無い。彼女に加護の石を預けた。私の一番大切な物を。私の心を信じてくれているはずだ」
「なんですって!」
女が叫んだ。
そして凄い剣幕で、私に掴みかかってきた。
「この、愚か者。なんてことするの」
そう言いながら、私の襟首を掴んで揺さぶる。
これが、俺の妻か……俺はいったい何を考えて?!
主治医とニックが女をなだめ、無理やり引きはがした。
「マーカス様には安静が必要です。頭を打ったせいで、記憶が混乱しておられるようですから、安静にしてお眠りください」
主治医が私に向かって宣告し、ニックが丁重に女を部屋から送りだした。その後、ベッドのカーテンを引いてくれた。
私はいつの間にか眠っていたようだ。
そして夢の中で、あの東屋に似た場所で、若い女性と一緒にいる。彼女は、とても大切な女性だ。
パチッと目があいた。
部屋の中は暗い。
それからしばらく、ぼおっとしている内に、記憶の統合がなされた。
失われた三ヶ月分の記憶が戻ったのだ。それ以降の事もちゃんと覚えている。
私の記憶の全てが繋がった。
事故の前、三ヶ月ほどの記憶が無くなっているのは、聞かされて事実として知っている。でも、特に問題のあることとも思わなかった。加護の石についても全く記憶が失われていたが、無くなってしまったのだから仕方がない。
戴冠式については、周囲の者達が様子を教えてくれた。その後の外遊での様子も従者たちから聞いている。ただ、そこから足を延ばした、半月ほどのお忍び旅行については、わからないままだった。
その時に従っていた従者は、馬車の事故で亡くなってしまったのだ。
エリス?
エリスだ。
あれから何年経った? 四十年近い。
私は、何を失ってしまったんだ?
記憶と現実と気持ちがぐるぐると回りながら一つになって行った。
私は、愛を失ったのだ。
そう結論が出るころには、外は明るくなっていた。
朝になると、息子が見舞いにやって来た。
私はすっかり身じまいをして、椅子に座り、朝のコーヒーを楽しんでいた。
「お父様、おはようございます。お加減はいかがですか?」
心配げな表情を作って、私に話し掛ける。顔だちは私に似ているが、性質は妻にそっくりだ。残念なことだと思う。
「ああ、ありがとう。だいぶいいよ」
「昨日、母から加護の石について聞きましたが、他国にあるとは思いませんでした。それを返してもらわないといけませんね」
「そうだな。国から内密に打診してみたらいい。彼女なら、すぐに返してくれるだろう。渡すときに私の一番大切な物だと言っておいたから、捨ててはいないと思うが、どうかな」
「王家の宝だとは伝えなかったのですか?」
「その辺はまだ少し曖昧なんだ。なんて言って渡したのだったか思い出せない」
息子はわざとらしく溜息を吐いた。
「では密偵を送り、元エリス・ベール令嬢の消息を調べさせましょう。父上にもご報告差し上げたほうがいいでしょうか」
元、という単語が胸に堪える。元エリス・ベール嬢は、私の隣に寄り添い、私の息子の母になっていたはずなのだ。
その気持ちを隠して、息子に向かって言った。
「報告書は私にも回してくれ」
この息子は、変な風に裏をかんぐる癖があるので、下手なことは言えない。
何せ、今は一国の王なのだ。その影響力は大きい。
「もう記憶は、はっきりしたのですか? 昨日は混乱していたと伺いましたが」
「ああ、今朝起きたら、すっかり普通になっていた。昨日は、事故から後の記憶に靄がかかったようだったが、今は大丈夫だ。部分的にまだ思い出せないことはあるが、大体は繋がったよ」
「よかったです。それなら、加護の石についてもお伺いできますね」
ああ、そういえばこの子は加護の石に固執していた。
今までの私の事故の何割かは、この子の指図だ。そういうところも母親譲りだな。
私は視線を窓の外に移した。虚しいものだ。
「あの石を取り戻し、私が持ち主になれば、加護は私に移るのですか?」
私は視線を息子に戻した。
「いいや。戴冠式のときに誓いを述べる儀式があるだろ。あれで次期王に加護の譲渡が決定する」
息子が驚いてこちらを見る。そして私を責めるように言いつのった。
「でも、私はまだ加護を受けていません。未だに父上が加護を受けているじゃないですか」
「実際に加護が移るのは、現在の持ち主が亡くなった後だよ。その後に儀式で指名した次期王に移動する。つまり儀式は前契約みたいなものだな。それから王が石に最初の願いを行う。それを石が受け入れれば契約が結ばれる」
息子は不服そうにぶつぶつ言っている。
「では、父上より先に私が死んだら、どうなるのですか」
「儀式のときに、お前が譲る相手の名も述べただろう。つまり王太子に譲られる」
やっぱり不服そうだ。加護の持ち主が死ねば、次期王に加護が移ることは伝承されていたので、私に早く死んでもらいたかったようだが。
「それから、加護を受けている人間に害をなそうとした者には、加護は移らない。石が拒否するからね」
そう言ったら、目に見えて蒼白になった。
「何を驚いているんだ? 当たり前だろ。王家に害をなすものを、石が守るわけがない。だから敵に渡ったりはしないから安心しろ」
私は少しだけ、気分が晴れた。この息子に加護は移らない。だから息子が指名した孫の王太子にも加護は移らない。
実は王太子に譲るよう、祈りを捧げようかと思っていたのだが、どうにも気が乗らないまま、今まで来てしまった。
王太子がどんな性格なのか、私には良くわからない。妻や息子よりまともに思えるが、接点が少なかったせいか親近感を感じないのだ。
愛想は良いし、頭も良さそうだ。だが、彼に譲りたいという気持ちがなぜか起こらない。
結局今は、次の契約者の指名がなされていない状態なのだ。
昔、子供の頃、父に言われた事を思いだした。
「この石は、邪悪な思いを秘めた者には加護を与えないようだ。だから王位を譲る時は、それを考えて後継者を決めるようになっている。おかげで、この国も周辺も平和だろ?」
私は父に聞いた。
「それで加護を受け取れる人がいなかったらどうなるの?」
「石が自分で次の主を決めるそうだよ。今までは無かったし、お前も大丈夫だろう。石に選んでもらえる人物がいなかったら、それはもう、この国は石を持つ資格が無いってことだ」
そう言っていたなとしみじみ思う。
別にこの加護が無ければ国が保たれないわけではない。現に王である息子だって、無くて困っているわけでもないのだ。
常時、暗殺の対象にされ、何度も殺されかけるのでなければ。




