王宮にてー1
馬車の中は静かだった。
ブライアン様が胸のポケットからハンカチを取り出し、手の上に広げるのが、伏せた目の端に見えた。
「まあ」
私の贈ったハンカチだわ。
花の色がブライアン様の目とピッタリ合っている。
いい出来ね。こうやって客観的に眺めると、惚れ惚れするわ。
ブライアン様はハンカチを鼻先に近付け、深く香りを吸い込んだ。
「よい香りです。これはマリア嬢のオリジナルですか。嗅いだことのない香りです」
「はい。強い香りが苦手なので、私用に調香してもらっています。カモミールとスズランがメインです」
「そうですか。素敵な香りです」
そんな会話をしていると、ブライアン様の横に置かれたカゴの蓋が少しずつ持ち上がり、チャックが頭を出してきた。
そして私のハンカチの端をくわえて、カゴのなかにくいっと引っ張り込む。
ブライアン様が慌てて取り上げようとしたが、それを下に敷いて、また眠ってしまったようだ。
「あら、まあ」
私は口元を扇子で隠して笑った。おかげで今までの緊張が解けていく。
チャックは幸せそうにスピスピと鼻を鳴らした。その鼻面を、ブライアン様が人差し指でツンと触る。
「こいつは、俺の宝物を奪い取っておいて、いい気なものだな」
俺の宝物?
驚いて横に座るベルの方を向くと、ベルはすました顔のまま、一度頷く。
私のハンカチが宝物!?
ボッと血が昇る。きっと今の私の顔は真っ赤だろう。
「マリア嬢。あなたから頂いた大切なハンカチを、この不届き者に奪われてしまいました。申し訳ありません。後で取り返します」
そう言って私の顔を覗き込む。
「お怒りではないでしょうか」
「もちろん、そんなことはありませんわ。チャックったら、寝るときに布を集めて潜るのが好きみたいなんです。だから、ちょうど良いと思ったのでしょうね」
私のスカートの布を寄せ集めて潜った時のことを思い出し、また笑いがこみ上げてきた。
「初めて会った時も、私のスカートの布をかき集めて、そこに潜ったんです」
「スカートですか?」
「ええ、膝に乗せていたら、眠くなったのでしょう。布の中に潜り込んで、スヤスヤ眠っていました」
ブライアン様がうっすらと頬を染めている。
「ドレスの弁償も、第二王子に付けておきます。保護していただいたうえ、色々とお手数をかけたようで、申し訳ありません」
「そんな大したことではありませんわ。こんなに小さいのですから、ドレスも大して傷んでいません」
そう言ってベルを見ると、うーんと考え込んでいる。
「いいえ、ドレスとハンカチ代を請求しましょう。ふんだくってやる」
ブライアン様がいつもと違う。それに第二王子殿下に対する距離感が近い感じがする。
「第二王子様とは親しくされているのですか?」
ちょっと目を瞠った後、ニコッと笑った。
「はい、従兄弟ですから小さい頃からの付き合いです。彼は私の一つ下ですから弟のようなものです」
私は自分の社交知識の薄さを思い出した。興味がなかったので、国の上層部の家系図も、勢力図も、しっかりとは覚えていない。
こんなでは、今日も失敗しそうだと不安になってくる。
それを察したのだろう。
「大丈夫。私が付いていますから、気楽にしていてください。改まった場でもありませんから」
気遣いが嬉しくて、「よろしくお願いします」と言ったら、ブライアン様は真面目な表情になり、軽く座り直した。
「マリア嬢。色々大変だったことと思いますが、ひとまず事は片付きました。落ち着かれましたか?」
全く落ち着いてないのよね、と思いつつ、「はい、少しいつもの生活が戻ってきました。皆様のおかげです」
そう言うと、少し前に乗り出してきた。
「ジェイソンのことは、あまり乗り気でなかったと伺いました。もうその件は吹っ切れたのでしょうか」
「え? はい。なぜ結婚を受けてしまったのか、今では全く分かりません。それくらい、もうどうでもいいことですわね」
ブライアン様が、もう少し前に乗り出してきた。
べルが心なしか横に移動していったような気がする。
「マリア嬢、わ⋯⋯」
プッ。
小さい音がした。
ブライアン様が眉間にしわを寄せ、おでこを指でトントンと叩く。
私は、あまりにも可愛いおならに、扇子で顔を隠して笑いだしてしまった。
隣でベルが、「この不届き者」と低くつぶやく。
「あ、の。すみません。お話を遮ってしまい、申し訳ございません。なんでしょうか」
私はハンカチをベルから受け取り、その香りを吸い込んで、気持ちを落ち着けた。でも次々に笑いの泡がわき上がってくる。
全くこんな可愛い生き物いないわと思う。お別れするのが余計に寂しくなってしまった。
「また今度、お話しします。そうですね、ハンカチのお礼の品を持って伺うときにでも」
「楽しみにしております」
楽しい気分のまま、馬車は王宮の門を潜り、そのまま奥に進んでいく。先日きた近衛騎士団の庁舎とは、全く違う方向で、進むに従って人気が少なくなっていく。
ある建物の前に馬車は停止し、私はブライアン様にエスコートされ、その建物の中に入って行った。
「ここは第二王子の宮殿です。ここには小さい頃からよく来ていたので、私にとっては第二の自宅のようなものです。あそこにある庭は、春になると花が咲き乱れます。とても綺麗なので、是非見ていただきたいです」
ブライアン様に説明を受けていると、侍従らしき人がこちらにやってきた。
それからブライアン様に、にこやかに話し掛けた。
「お久しぶりです。ブライアン様。ようこそおいでくださいました。マリア・クルス様。第二王子殿下の元にご案内いたします」
初めて間近に対面した第二王子殿下、アルフ様は、圧倒されるほど華やかな方だ。
容姿がキラキラしている。
落ち着いた雰囲気を持つブライアン様と並ぶと、その対比が鮮やかだ。
王族というのは、こんなに美しいものか。
挨拶を済ませ、テラスに設えたテーブルに案内される間、私はその光景に感激していた。
テーブルにつくと、ブライアン様がベルからバスケットを受け取り、スヤスヤ眠っているチャックを持ち上げた。
チャックは起きない。ハンカチを咥えて、前足で挟み込んだ状態でアルフ様の隣の椅子に置かれた。
ブライアン様がハンカチを抜こうとしたけど、全然離さない。
「私のチャックが世話をかけたね。無事な姿を見ることができて嬉しいよ」
アルフ様は愛しげにチャックの頭を撫でている。
その声に反応したのか、チャックが目を覚ました。そしてキョロキョロし、王子に目を留めると、うれしそうに立ち上がった。
王子が抱き上げるのと同時に、ブライアン様がハンカチを引き抜き、手早くたたんで胸ポケットにしまった。
「チャックを見つけた時の様子を教えてもらえないか」
アルフ様が私に聞く。
「はい。近衛庁舎に呼ばれた帰りに、気分転換に少し回り道をして、レーヌ地区に足を伸ばしたのです。そこの中央広場の噴水にチャックが走ってきました」
子犬の話題なので、硬くならずに話ができた。それでも以前では考えられない自分だ。
それにブライアン様が笑いかけてくれるのが、とても心強い。
「喉が渇いて水場を探したんだな。そこまでどうやって行ったものやら。結構ここからは遠いのに」
「とても元気そうでした。でも水を飲み始めてすぐに、兄が抱き上げたので不服そうでした」
アルフ様はチャックに向かって、「鯉のエリックめ。今度文句を言っておくよ」と言い、チャックの頭をクシャクシャッと撫でている。
その辺りで、ハンカチが無くなっているのに、チャックが気付いたようだ。
キョロキョロし始めた。
「どうした、チャック。何を探している?」
多分ハンカチを探しているのよね、と思いながらブライアン様の方を見たら、スッと横を向かれてしまった。
ほんわか展開はこの回までです。
次回から緊張ムードになります。




