教会から花嫁が帰って来ました。実家に!
短編「この結婚、死んでも嫌です」のすぐ後からの話です。
ぜひ、お楽しみください。
馬車が屋敷に戻ると、執事のロイドがニコニコとしながら出迎え、その場で腰を抜かした。
多分、馬車からウエディングドレス姿の私が姿を現すとは、思いもしなかったのだろう。
冷静な彼のそんな姿は、物心ついてから初めて見る。
初老の執事ロイドが、腰を痛めたら可哀想だと思い、私は手を差し伸べた。
「お嬢様? マリア様?」
「そう。私よ。いいから立って。他の皆が困っているわ」
使用人たちは、お辞儀の姿勢のまま固まっている。自分のせいなのは分かっているので、早く立ち去りたい。
ロイドは立ち上がり、いつもの落ち着きを取り戻そうとした。
「一体何が!? おいミード、何があったのか説明してくれ」
御者のミードがおずおずと、こちらに足を運ぶ。
「わかりません。私は教会の外で待機していたので。そうしたら、お嬢様が一人で教会の礼拝堂から出てこられて、『帰るわ』と」
「結婚止めたの。ミード、お父様たちを迎えに戻ってちょうだい。二度手間でごめんなさいね」
ミードとロイドが固まった。さすが我がクルス伯爵家の古株。驚いても表情は変えない。
「⋯⋯あ、の。お嬢様!?」
「部屋で休むわ。ベル、お願い」
あっ、ベルは⋯⋯いないんだった。
私付きの侍女ベルは、教会で待機している。そのまま一緒に婚家に行くはずだったのだ。
「ベルを置いてきてしまったわ。もう一台迎えを出してね」
そう言い置いて、私は自分の部屋に向かった。数人の侍女が、慌てて後を追ってくるのを見て、気付いた。
ウエディングドレスを着替えなくちゃいけないのだ。
これは着るのも脱ぐのも手がかかる。
うんざりしながら、クルッと振り返り言った。
「二人でいいわ。それから温かいスープとパンをお願い。お腹がすいたの」
その声に、二人が厨房の方へ向きを変えた。
その他の使用人たちは、まだ呆然とした様子で突っ立っている。
「かつての大奥様を見ているようだ」
遅れて追いかけてくるロイドが、呟くのが聞こえてきた。
重いドレスを脱がせてもらったら、気持ちが晴れ晴れした。このまま下着で過ごしたい気分だ。もしくはナイトドレスで。
でもまだ昼の三時だから、さすがにそれは気が引ける。
それで、一番簡素なゆったりしたドレスを着せてもらうことにした。
「そう言えば、ナイトドレスも婚家に送ってあるのよね。戻って来たとして、使う気になれないわ」
なんとなくそう言うと、侍女たちがビクッとした。そして嫌に緊張した空気が部屋に広がる。いつもの私にはない強い物言いに戸惑っているのだろう。
まるで腫れ物に触るような具合だ。侍女たちは目を合わせようともしない。
ナイトドレス以外にも、数日分の洋服や細々した日常の品を、あらかじめ候爵邸に運び込んでいる。
そういった小物がないと、不便なこと甚だしい。
いつものブラシや手鏡、化粧品。
お気に入りのハンカチに、室内履きなど。
仕方なしに客室用の物を持ってきてもらっている。
私はもう数日早く決断しなかったことを、激しく後悔した。
丁度一段落ついた頃に、食事が運ばれてきた。
気を使ってくれたようで、私の大好物、バターの塊と生クリームがたっぷり載った、青豆のポタージュスープと、焼き立てのパンがトレイに載っている。
唾をのみ込んで、さっそくスプーンを手に取った。
生クリームとバターを溶かしこみ、とろみのあるスープを掬って口に運ぶ。
ああ、しみじみ美味しい。
この数日、何を食べても砂を噛んでいる様な気分だった。大ぶりの銀のスプーンが嬉しい。青緑のスープが綺麗で嬉しい。
それを舌で味わえるのが嬉しい。
飲み込むと胃が温かくなる。
嬉しい。
そういえば、死ぬ前の2か月は、満足に物が食べられなかった。
戻った後も、ずっと必死で、食事の味を全く覚えていない。機械的に口に入れていただけだったのだろう。
「美味しいわ。シェフのジョンに、ありがとうって伝えておいてね」
食器を持って出ていった使用人と交代で、執事のロイドがドアをノックした。
「入って。ロイド」
彼は黙って私の斜め前に立っている。でも何も言わない。
「何か言ったらどう?」
促すと、ようやく口を開いた。
「お嬢様が帰宅されたことと、結婚を止めたことと、急に性格が変わったようになられたことと、どれから聞いたらいいか迷っておりました」
軽く嫌味を感じるが、まあ良しとした。
さて、そう聞かれると、どれから説明したものか迷う。
「帰ってきたのは結婚を止めたから。結婚を止めたのは、ジェイソン様に愛人と隠し子がいて、更には私を殺す計画を立てていたから。性格が変わって見えるのは、ものすごく興奮しているからよ」
ロイドは、胃の当たりを拳で押さえ、グッと息を飲んだ。
さすが、完璧な執事と言われるだけある。この話を聞いて、動揺を表に出さないのは凄い。
「承知致しました。ごゆっくりお過ごしください。皆様が戻られたら、ご連絡に伺います」
部屋から出る前に、彼は一度振り返った。
「今のお嬢様は、大奥様によく似ていらっしゃいます。懐かしく思うくらいに」
ニコッと微笑んで出て行った。
なぜかロイドがいつもより若く見える。いたずらっぽい表情のせいかも。
部屋に一人きりになると、私は大きく息を吐いた。
やってしまった。
思いも掛けないことを、起こしてしまった。
私は私に問いかけた。
あれは、本当に私がやったのかしら。夢? ううん⋯⋯夢にだって、あんな自分は出てこないと思う。
くっと、喉に何かがこみ上げる。
口から出たのは、押し殺した笑い声だった。いったん出たら、もう止めようがなくなって、それはヒステリックな大笑いに変わっていく。
嫌だわ。こんな笑い方、したことないのに。
止めようと思っても止まらない。
体を折り曲げて、お腹のあたりを腕で押さえて笑い続けた。最後には息が切れて、やっとで止まった。涙もこぼれている。
笑いながら泣いてもいたらしい。どうりで苦しいわけだ。
笑うのも泣くのも、こんなに疲れるなんて知らなかった。
でも、何かに一区切り付いたような、さっぱりした気分になった。




