事の初め・教会にて
短編版『この結婚、死んでも嫌です』を少し修正して第一話としています。
そのため、第二話以降と比べて、長めです。
神父様が新郎に問いかける。
「汝はこの者を愛し、一生を共にすることを誓いますか?」
「はい、誓います」
力強く張りのある声が、教会の高い天井にこだまする。
私はうつ向き小さく息を吐く。
一回目の人生と同じ神父様、同じセリフ、同じ結婚式。
ただ一つ違うのは、絶望した私の心。
この数ヶ月後、私は夫に殺されることになる。
うつ向いた目の端に何かの動きを捕え、光の差す高い天井を見上げた。
天窓から白い鳩が飛び込んで来る。
鳩はぱたぱたと羽ばたき、窓枠に止まり、首をクッと傾げる。前回にもいたのかもしれない。でも目に留まらなかった鳩。
真っ白いその鳩を見ている内に、突然心が軽くなるのを感じた。
ああ、もういいのだ。
どうせ死ぬのなら、私の自由にしてもいい。
神父様が厳かに新婦に問いかける。
「汝はこの者を愛し、一生を共にすることを誓いますか?」
「……私は誓いません。結婚しません」
小さな声で言った。声が震えている。
一瞬静まりかえった後、どよっと抑えた声が上がった。
神父様が少し前に体を傾け、小声でささやきかけてくる。
「どうか落ち着いて。もう一度聞くから言い直してください。大丈夫ですよ」
私はぎこちなく後ろを振り返った。斜め下を向いたまま早口で言う。
「私は誓いません! 結婚しません!」
父が慌てて席を立ち、祭壇の近くまで出て来た。
「マリア、一体どうしたんだ。あんなに結婚を楽しみにしていたのに」
小声の早口で父が言う。
私はカッとなって一息に叫んだ。
「一体いつ私がそんな事を言いました? 胸に手を当てて思い出してください。今まで何回も嫌だとお伝えしました」
私の細い声は、緊張のせいでいつもより甲高くなっている。我ながらヒステリックな感じ、と頭のどこかで冷静に思う。
母も出て来た。父の一歩前に出て、腕をこちらに差し伸べて訴えかける。
「でも、嫌がる理由がまるでわからないわ。何が嫌だと言うのです。申し分のない結婚なのに」
「その理屈で、私の話を全くまともに聞いてくださらなかったわね。私、死んでも嫌なのです!」
「お姉さまったら、一体どうしたというの?」
両親の横に私の兄と可憐な妹が寄り添った。四人共、非常に驚き慌てている。
参列者たちも驚きを隠せずにいるようだ。
なにせ新郎のジェイソン様は眉目秀麗、エリートしか入隊できない近衛騎士団に所属する侯爵家の嫡男。
どこの貴族家でも喉から手が出るお相手だ。
新郎自身も驚きすぎたのか、目を見開いてぽかんとしている。
私が死に戻ったのは今から二か月前。その時から何とか結婚を回避しようと、色々と働きかけた。でも誰もまともに話を聞いてくれなかった。
結婚を辞めたい理由が、新郎に殺されるからとは言えない。死に戻ったなどと言えば正気を疑われる。
唯一、可能性がある理由、「ジェイソン様のスキャンダル」を告げ口しても、たぶん握りつぶされる。
それで「結婚したくない」の一言で通すしかなかった。これでは説得力がないにも程がある。
結局良い理由を思いつけないまま、今日の結婚式を迎えてしまった。
私は大きく息を吸った。震える手でブーケを握りしめてから口を開く。
「彼には隠している愛人と娘がいます」
「……なんてことを。一体どうして」
ジェイソン様は、心底驚いたように私に向かって言う。
私は彼をキッと睨み付け、一歩距離を取った。
父が新郎のジェイソン様と参席者に向かって詫びを述べた。
「すみません。娘は多分、緊張で混乱しているのです。どうかお許しください」
ジェイソン様は一瞬ニヤッとし、袖で隠して生真面目な表情を作った。
「まさか、こんなに不安定になっていたとは。マリッジブルーでしょうか。だが、私は彼女を深く愛しています。これからは私が彼女を支えていきます。ね、マリア。安心して僕に頼ってくれ」
そう言って心配そうに、私に向かって腕を差しのべた。
参列者たちはバツが悪そうに小声でささやき合う。
貴族の男性が愛人や隠し子を持つのは、ままあることらしい。ただそれが婚前の新婦の耳に入るのは、さすがにいただけない。
こういう事はそれ以前に片をつけるか、徹底して隠すかのどちらからしい。
二か月間、私なりに婚約破棄の可能性を探り、色々と調べたのだ。
この暴露話に女性たちは眉を顰め、男性たちはそわそわと落ち着かなげだ。貰い事故になりそうな夫婦も何組かいる。
「何も、今ここで言わなくても」
そう小声で言う父に、私は震える声で返した。
「これまで何回結婚を取りやめたいと言っても、全く取り合ってくれなかったじゃないですか」
一回言葉を切って、今までの私ではありえない程大きな声で、はっきりと話した。
「だから私の言葉を聞くしかないこの場で、言わせていただきます」
それだけで両親も妹も、友人たちも驚いている。
「マリア、誤解だよ。誰からどんな話を聞いたか知らないが、それは悪意のある嘘だ。信じてくれ」
ジェイソン様は紫色の瞳を揺らし、私を切なげに見つめる。彼の銀髪に光が反射してきらめいた。
私はその様に、ふっと息を吐いた。
彼は美しく有能で地位も高い。全身が自信に満ち溢れている。
私はと言えば、ほとんど社交もしていない地味な令嬢。彼には全く吊り合わない。
世間がどちらを信じるかは、明白というものだ。
でもここでひるんだら終わる。
私は固い声で彼に問いかけた。
「一体、あなたの何を信じろと?」
「私の君への愛をだよ。私が君をこの上なく愛していることは、ここに居る皆さんだって、良く知っている」
とろけそうな眼差しで私を見つめ、その魅力的な微笑みを周囲に見せびらかす。
参列者たちは納得するように頷いている。
「マリア、ジェイソン殿が許して下さると言うのだ。今の内に謝りなさい」と、父が言う。
「そうよ、マリア。さあ早く」
母の言葉に、会場の全員の目が私に集中する。
私が、「はい」というのを待っている。
またいつもの流れだ。
結局いつもこうなる。
しかも今回は、こんなに大勢の人に、ひどく気持ちの不安定な令嬢だと印象付けてしまうことになる。
その時、鳩がバサッと羽音を立てて飛び立った。
私はその白い羽を見つめた。その小さな白い羽は、パタパタと手招くように動いている。
――私は腹を決めた。この先へ進む。生きるために。
「皆様が私の言葉を軽んじるなら、この場で言わせていただきます。ジェイソン様は私を自殺に見せかけて殺し、再婚する手筈まで整えています。どうせ殺されるなら、今ここで、全てを暴露します」
会場はシンとした。
教会で新婦から語られる言葉としては、ありえない内容だ。
「なんて、とんでもない事を」
ジェイソン様が蒼白になっている。
「お相手の名前、言うのは控えますが、数年前から親交の深い、淡いブロンドの髪とブルーグレイの瞳のほっそりした令嬢ですわね。泣きボクロのある」
ジェイソン様がたじろいだ。それと共に、ジェイソン様の友人知人たちが、ぎょっとしたように身体を固くする。彼と噂があった令嬢の特徴にぴったりとハマるからだろう。
「おかしくなったとお思いならそれで結構。結婚が嫌すぎて、おかしくなってしまったのです。だから破談にいたしましょう」
「いくら何でも、言っていい事と悪い事があるぞ」
ジェイソン様が凄んだ。
「娘は一歳ですわね。あなたと同じ銀色の髪に紫の瞳でしたか。どなたかお調べになったら? すぐにわかるわ。何せ、乳母が預かって育てていますもの」
参列者席に座る乳母の子爵夫人が、ぎょっとしたように身じろぎするのが見えた。
参列者たちの頭が、子爵夫人の方に向き直る様が、壇上から見るとよくわかる。
ちょうど動物の集団行動みたいだ。
「女性の方は、侯爵邸に私付きの侍女として入り込んでいると聞きました。一体、何の為に?」
具体的な話が飛び出し、参列者たちは落ち着かない様子になり始めた。
愛人、隠し子の話はよくある。
だが愛人を新婦の侍女として家に引っ張り込むとか、自分の乳母に子供を預けるとかは、一線を越えている。
そして不穏すぎる。
「有り得ない。誤解だ。それにどうやって、そんなことを知ったのだ」
困った。それは死に戻ったからだなんて言えない。
しばらく冷汗をかいて黙っていたが、目の前にあった婚姻の署名用紙を見て閃いた。
私はゆっくりと微笑んだ。
「ある日、手紙が届き始めたのです。善意の第三者であり、お相手の女性の知り合いという署名で」
「君は誰からかもわからない、そんな手紙を信じたと言うのか?」
「初めは信じなかったけど、以前侯爵邸に伺った折に、そこに書かれたのとよく似た女性を見たのです。次の時女は子供を抱いていて、乳母と共に子供の教育の話をしていました。知らなければ次期侯爵夫人にしか見えませんでしたわ」
侯爵夫妻は真っ青になっている。多分彼女に心当たりがあるのだろう。ジェイソン様も真っ青だ。
「彼女とそれほど結婚したいなら、私を殺して再婚などとまどろこしい事をしないで、そのまま結婚したらいかが? あ、失礼。それが出来ないから、わざわざ一度結婚し、彼女との結婚のハードルを下げようとしたのでしたわね?」
乳母は夫の子爵の腕を取り、その場から急いで逃げだした。
バタバタと走る音が妙に大きく聞こえる。
「乳母は彼女たちを逃がす気でしょう。行先はきっと侯爵邸ね。私の話を認めたのと一緒だわ」
参列者たちは半信半疑で聞いていただろう。だが今、乳母夫妻を見送る顔は引き攣っている。
事実無根なら、彼女達が逃げ出す必要などないのだ。
「こんなことをしでかして、君は一生結婚できなくなるぞ」
ジェイソン様は好青年の仮面をかなぐり捨て、掴みかかりそうな勢いで私に迫った。
その顔を見て私は微笑んだ。
「まあ、それがあなたの本当の顔ね。そっちの方が、今までの薄気味の悪い笑顔よりずっとましよ」
「お姉さま、そんな事情があるなら、私たちに打ち明けてくれたらよかったのに」
妹の切なげな声に、私はキッと顔を向けた。
「だから、あれほど嫌だと言い続けたでしょう。自分たちの態度を思い出して見なさい。何が気の迷いよ。だったら代わってあげるから、誰か代わりにこの人と結婚して頂戴」
私は、私を彼の方に押しやろうとした妹や恋のライバルたちに、順繰りにブーケを突き付けた。
「彼と結婚できるなんて、天にも昇る幸せなのでしょ。今からこのブーケを放るわ。受け取った人が、その幸せを引き当てるってどうかしら?」
私は、「行くわよ」と声を掛けて、ブーケを思いっきり放った。
ブーケは弧を描き、綺麗に若い女性たちのいる辺りに飛んでいく。
その瞬間、その辺りから人がさっと逃げ、無人の椅子の上にブーケがバサッと落ちた。誰も受け止めようとしなかったのだ。
彼との結婚を妬んだアナベル嬢、いやがらせまでしてきたベル嬢やシリル嬢たちまでが。
そのブーケを遠巻きに見つめる人々の目には、禍々しい物を見るような色が浮かんでいる。
「あら、不思議ね。誰もその幸せ、欲しくないみたいね。――お分かり? 私だって、そんなもの欲しくないの」
「……なんてことだ。貴族の令嬢としての人生は、これでお終いになる」
父の言葉に私は微笑んで返答した。
「そうね。私もそう思ったから、穏便な婚約破棄をお願いしてきたわ。それが叶わなかったから、最後の手段に出ました。どうせ殺されるなら、死ぬ気でやってみることにしたの。それともお父様は、私がこの人と結婚し、半年経たずに毒殺されるほうが良いとお考え?」
父は黙り込み、代わりに母が絞り出すように言った。
「あなたの幸せだと思ったのよ」
私はその言葉に顔をゆがめた。その善意と愛情。それと私に対する軽い侮りが、どれほど私を疲弊させたことか。
神父様が私の顔を覗き込んだ。
「マリア嬢。これは取り返しが付かない行いです。おわかりですか?」
「いいのです。死ぬ気になったら、何でもできるって気が付いてしまったのです、神父様。この祭壇の前で。白いハトが飛び込んできた時に。神の啓示かもしれません」
ジェイソン様が何とか今の雰囲気を打破しようと、私に突っかかってきた。
「今までの話は事実無根だ。こんなひどい侮辱を受けるなんて思いもしなかった。証拠の手紙を出してみろ」
「手紙は全て燃やしました。婚家に持って行けるものではないから」
「じゃあ、何の証拠もないじゃないか」
「そうですね。毒殺もまだ実行されていませんから、今の時点で証明出来るのは、よく似た娘がいる事だけです」
「俺に子供なんていない。それにもし似た子がいたとして、俺の子だとは証明できないだろう」
「その通りですが……」
私はあることに気が付き、パッと顔を上げた。
「今の段階で発覚してよかったわ。私、毒と毒入りのお茶を検査に送ろうと考えていましたの。でもうまく盗みだせるかわからない。だから遺書も用意するつもりでした。そうしたらあなたと彼女は、絞首台に送られたかもしれません」
ジェイソン様の顔が衝撃に歪んだ。
毒はお茶の時に使う砂糖に混ぜられていた。ここまで言い当てられたら、蒼白になって当然。まあ、全てあなたが教えてくれたのですが。
「――あら? 私ったら、いい事したのだわ」
唖然として口を開けたままこちらを見つめる神父様に、私は微笑んだ。
「神の思し召しです。三人の死と、一人の子供が孤児になることを防げましたわ」
今後、私は貴族社会から排斥されるのかもしれない。
でも、後悔はしない事に決めた。
だから周囲の視線を気にせず、ゆっくりと祭壇から降りた。




