3-6 祈りの先、境界線の向こう側
ぼんやりと草原を眺めていると、目の前にいつの間にかノアが立っていた。
「ボーッとしてるなんて珍しいよね。いつもは修行だ、特訓だって言ってるのに」
そう言いながら、ノアは墓の前に腰を下ろし、静かに祈りを捧げ始める。
俺は、その横で立ち尽くしたままだった。
この墓に祈っていいのか分からなかった。
みんなが俺を守ってくれた意味も、まだ理解できていない。
自分の中で納得できる答えも、見つかっていない。
何を想い、どう祈ればいいのか。
それすら分からなかった。
そんな俺の迷いを表情から読み取ったのか、ノアはそっと俺の手を引いた。
「祈り方、分からないんでしょ」
「いや、そういうわけ――」
言い終わる前に、ノアは被せるように口を開いた。
まるで俺に迷う時間を与えないように。
「祈り方はね、なんでもいいってクロールさんが言ってたの。大事なのは、何を想うかなんだって」
ノアは墓の前で膝をつき、目を閉じて、手を胸の前で握る。
「私は、みんなに感謝してる。それと、ちゃんと生きてるって報告してるの」
少し間を置いて、ノアは続けた。
「みんなが欲しいのは、懺悔の言葉じゃないと思うから。だから、日々の生活を伝えてるの」
そう言い終えると、ノアはゆっくり目を開き、静かに立ち上がった。
「ほら、レイルもしよ」
そう言うと、ノアは半ば強引に俺の腕を引き、墓の前へと連れていく。
肩を押され、俺は言われるがまま地面に膝をついた。
墓を、初めてこんなに近くで見る。
綺麗に切り出された石。
表面は磨かれていて、ぼんやりと自分の顔が映り込んでいた。
俺は、その視線から逃げるように目を閉じる。
――何を想えばいい。
そう考えた瞬間、頭の中が真っ白になる。
……それでも。
――俺は、みんなのおかげで生きてる。
胸の奥から、自然と浮かんできた。
みんなが残してくれたこの命で、俺はノアを守る。
ちゃんと、生きる。
だから……見ててくれ。
そう心の中で呟き、ゆっくりと目を開く。
俺は立ち上がり、大きく背伸びをした。
「なんだか、スッキリした」
ノアは俺の顔を覗き込むように見てから、柔らかく笑う。
「それならよかった」
そう言ってから、一瞬だけ間が空いた。
その沈黙のあと、ノアはぽつりと続ける。
「ところで――」
胸が、わずかに跳ねる。
「どうして、レイルはここに来たの」
その言葉で思い出す。
俺は、ノアを尾行してここまで来たんだった。
言えない。
咄嗟に視線を逸らす俺を見て、ノアは何かを察したように、小さく息を吐いた。
「……まぁ、いいや。レイルがここにいても大丈夫なら」
ノアはそれだけ言うと、背中を向けて村の方へ歩き出した。
その一言で、俺は理解した。
――ノアまで、俺に気を遣っていたんだ。
何もできない俺に、
アスカたちと正面から向き合う覚悟がない俺に、
無理をさせないよう、ここから遠ざけていた。
……守ってくれていた。
根拠なんてない。
それでも、なぜかそう思えた。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
気づいた時には、口が勝手に動いていた。
「ノア……修行、付き合ってくれないか」
自分でも驚くほど、素直な声だった。
「……え?」
ノアは足を止め、振り返る。
一瞬、目を丸くして、俺を見る。
沈黙。
風が草を揺らす音だけが流れる。
やっぱり変だったか。
そう思いかけた、その時。
ノアは、ふっと微笑んだ。
「いいよ」
柔らかく、でもはっきりと。
「レイルの修行の成果、見せてよ」
その言葉に、胸の奥で何かが静かに灯った。
――――
俺たちは、いつもの崖の前までやってきた。
ノアは目を細め、崖の上をじっと見上げている。
「いつも、ここで修行してるんだ」
俺はそう言いながら、指先を岩の窪みにかけた。
「窪みを壊さずに、こうやって指の力だけで登る」
説明しつつ、身体を引き上げる。
今日は、いつもより慎重だった。
崖の下では、ノアが静かに俺を見守っている。
――これ以上、カッコ悪いところは見せられない。
そう思うと、自然と呼吸が浅くなる。
一つ。
また一つ。
窪みだけを選び、ゆっくりと登る。
やがて――指をかける場所が、途切れた。
「……?」
違和感を覚え、顔を上げる。
そこにあったのは、いつも見ている岩壁ではなかった。
真っ青な空。
どこまでも澄んだ、広がり。
「……よし」
力を入れすぎないように、慎重に身体を引き上げる。
そして、崖の上に立った瞬間――
喜びの声ではなく困惑の声が出た。
「……なんだ、これ」
思わず、声が漏れた。
目の前に広がっていたのは、森だった。
だが、見慣れた森じゃない。
紫色と緑色の木々が混ざり合い、異様な色彩でうねるように生い茂っている。
葉は不自然に艶を帯び、空気まで違って感じた。
俺は、吸い寄せられるように紫色の木へ近づく。
葉に手を伸ばした、その時。
「レイルー、大丈夫ー?」
崖の下から、ノアの声。
俺は拾った紫色の葉を手に取り、返事をしようと崖の方へ歩き出した。
――その瞬間。
首筋に、冷たい感触。
刃物だと、反射的に理解した。
「あなたが……アスヘルでしょ」
背後から、女の声。
振り向こうとした瞬間、
――パキン。
乾いた音が鳴る。
振り返ると、ナイフを構えた女が立っていた。
人間に近い姿。
だが、背中には黒い羽。
腰からは、悪魔のような尻尾が揺れている。
――魔族。
空気が、一気に張りつめた。
「なになに、こわいこわい。普通、ナイフなんて触れただけじゃ折れないし」
魔族の女は軽い口調でそう言い、俺から一歩距離を取った。
その態度が、逆に不気味だった。
――喋る魔族。
今まで見てきた魔物とは、明らかに違う。
「ノア! 今すぐ――」
叫ぼうとした、その瞬間。
声が、消えた。
喉は動いている。
確かに叫んでいる感覚はある。
なのに――俺の耳に、自分の声が一切届かない。
「ダメダメ。やめてよ、ほんとに」
魔族の女は、まるで子供をなだめるような口調で言いながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。
俺は反射的に、拳に脈気を纏わせた。
カウンターの構え。
――その瞬間。
女の足が、ピタリと止まった。
「ねぇ……なんで? 私、何もしてないじゃん」
まるで、俺の動きを読んでいたかのようなタイミング。
「どうしたのー?」
崖の下から、ノアの声が届く。
伝えろ。
逃げろって言え。
そう思っても、声は出ない。
(くそ……)
武器はない。
このままなら、俺から仕掛けるしか――
そう考えた時、魔族の女が再び口を開いた。
「あなたの仲間の女の子が見てないからって、私みたいな“か弱い魔族”をいきなり殴ろうとするの?」
少し頬を膨らませ、わざとらしく怒った顔。
「私さぁ、あなたを頼って、ここまで来たんですけど?」
言っていることが、まるで噛み合わない。
頭の中が、混乱でいっぱいになる。
――何を言ってる。
――何が目的だ。
俺が言葉を失っていると、女は一度だけ深く息を吐き、少しだけ表情を落ち着かせた。
そして、まっすぐに俺を見て――
「ねぇ、アスヘル」
その名前が、空気を切り裂く。
「私を、守って」
魔族からの、ありえない頼み。
「なんで、守らないといけないんだ」
俺は低くそう問いかけた。
だが、魔族の女は答えない。
ただじっと、俺の顔を見つめている。
「……なんでだ」
もう一度、少し強く言った。
その時、女は「あっ」という顔をして、軽く手を叩いた。
「ごめんごめん。声、遮断しちゃってた」
まるで大したことじゃないみたいに、へらっと笑う。
そして、俺が次の言葉を発する前に、被せるように続けた。
「でさ、ところで――私のこと、守ってくれる?」
間の抜けた口調。
緊張感の欠片もない。
「このままだと、ちょーピンチなんだけど」
空気が、一気にずれる。
さっきまで張りつめていたはずの緊張が、変な方向に崩れそうになる。
だが、俺は無理やり踏みとどまった。
「……どうして、守らないといけないんだ」
女は少しだけ首を傾げる。
「どうしてって――」
ほんの一瞬、考える素振りを見せてから。
次の言葉は、妙にあっさりしていた。
「私が、追われる身だから……みたいな?」
……は?
頭の中で、何かが止まった。
話す魔族に初めて会ったと思ったら、
今度は意味が分からなすぎて、逆に話が通じない。
理解が追いつかないまま、沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、草原を渡る風の音だけが、やけに大きく聞こえた。




