2-7 守られる者、失われた記憶
「なあ、脈気ってなんだ」
俺は三人の子供たちに率直に聞いた。
「僕たちも知らないよ」
スライムの子供が、軽い調子で答える。
「俺ら、アスヘルに教えてもらった」
ツノの生えた子供が言った。
――アスヘル。
名前を聞いた瞬間、胸の奥がざわつく。
「三人とも、ありがとう!」
それだけ言って、俺は走り出した。
息を切らしながら小屋のドアを開ける。
中ではノアが部屋を掃除していた。
「おかえり、レイル」
ノアは柔らかく微笑む。
「ノア! 俺、わかったんだ! アスヘルの場所、知ってるか?」
思わず肩を掴む。
ノアは驚きもせず、嬉しそうに答えた。
「アスヘルさんなら、森に……。レイルそんなに急いで大丈夫?」
「それだけわかれば十分だ、ありがとう!」
俺は再び外へ飛び出した。
村の外れ、森の手前で立ち止まり、息を整える。
そして叫んだ。
「アスヘル! どこにいる!」
俺が叫んでも、森からは何の反応もなかった。
聞こえてくるのは、風が葉を揺らす音だけだ。
「ここじゃないのかよ!」
吐き捨てて村へ走り出した、その瞬間――
「なんだ」
低い声が、背後から落ちてきた。
振り向いた時には、目の前にアスヘルが立っていた。
「うわっ」
驚いて尻餅をつく。
いつの間に、背後に回ったんだ。
考えるより先に、言葉が飛び出す。
「なぁ! あんた強いんだろ! 俺に脈気ってやつを教えてくれ!」
俺は真正面からアスヘルを見る。
アスヘルは俺を見下ろし、短く答えた。
「ダメだ。お前に教えることはない」
「なんでだよ! 村の子供たちには教えてるだろ!」
「ムウたちか……口が軽い」
アスヘルは頭を押さえ、淡々と続ける。
「お前に教える理由はない」
「なんであいつらには教えて、俺には教えないんだよ! 俺はもう、失うわけにはいかないんだ!」
アスヘルは少しだけ黙ったあと、問いかける。
「お前は、本当に守るために強くなろうとしているのか」
体が、わずかに震えた。
「ノアちゃんのためと言い訳して、自分にとって都合のいい強さを求めているだけだろう」
逃げ場のない言葉だった。
「断言する。お前が強くなった先にあるのは復讐だ。ただそれだけだ」
何も言い返せない。
「だから教えん。鍛えたいなら、一人で勝手にやれ」
アスヘルは背を向け、森へ歩いていく。
俺は歯を食いしばったまま、
その背中が見えなくなるまで、その場から動けなかった。
アスヘルがいなくなってから、どれくらい時間が経ったのかはわからない。
俺はまた、いつもの特訓場所へ向かっていた。体を動かしていないと、頭の中が壊れてしまいそうだったからだ。
川辺に着くと、三人組の子供たちが水遊びをしていた。
「なあ、俺に脈気ってやつ、教えてくれないか」
必死な顔だったと思う。自分でもわかるくらいに。
「お前、だれ」
ツノの生えた子供が、警戒するように俺を指差す。
「俺の名前はレイル。強くならなきゃいけないんだ」
それだけ言った。
「僕、ムウ!」
スライムの子供が、平べったく伸びたかと思うと、びよんと縦に長くなって名乗った。
「僕はロロ。この口の悪い子がガウ」
人間の子供がそう言い、ガウと呼ばれたツノの子供は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「お兄ちゃん、強くなりたいの?」
ムウがその場でぴょんぴょんと跳ねながら言った。
「ぼくもだよ!」
その無邪気さに、胸が少しだけ痛んだ。
「じゃあさ、教え合いっこしようよ。僕には大木の持ち上げ方、教えて」
ムウが言うと、ロロとガウもすぐに声を上げる。
「ムウだけ抜け駆けはずるい。僕にも教えて」
「俺が一番強くなる」
三人とも、まっすぐだった。
こうして俺たちの修行は、静かに始まった。
「力をつけるにはね、こうはぁーってやって、とうってやるんだよ」
ムウが全身を使って説明してくるが、俺にはさっぱり理解できなかった。
「ムウ! それじゃわからないだろ」
ロロが呆れたように言い、今度は俺の方を見る。
「レイルさんは、自然を感じられますか」
自然を、感じる?
「自然って、この村は豊かだなって思うとか、そういうことでもいいのか」
「はい。エルド村が豊かだと感じられたら、それで大丈夫です」
ロロはそう言って、そっと目を閉じた。
「エルド村のことを考えながら、手を前に突き出すと――」
次の瞬間、突風が走る。
村を囲む豊かな森の葉が、一斉に激しく揺れた。
「ほらね」
ロロは誇らしげに俺を見る。
俺も同じように地面に座り、目を閉じてみる。
横ではムウが相変わらずぴょんぴょんと跳ねていて、ロロはじっと俺を見ている。
ガウはというと、俺の修行など気にも留めず、大木を持ち上げようと必死になっていた。
俺は直立して立ち、目を閉じる。
エルド村の自然を感じる。風、土、森の気配。
――感じられた、と思った瞬間、声を出して手を前に突き出した。
「ハッ!」
何も起きない。
周囲には、さわやかな風がときどき吹いているだけだった。
「難しいね」
ムウが明るい声で言う。
「お前センスない。俺は一発でできた」
ガウが煽る。
「レイルさん、がんばろう」
ロロがそう言ってくれる。
それから俺たちは、毎日のように練習を繰り返した。
結論から言うと、俺はまったく進歩しなかった。いつまで経っても脈気は使えない。
代わりに、俺は三人にレガルド王国でアスカとやっていた腕立てや股割りといった基礎訓練を教え、一緒にやった。最初はできなかった三人が、少しずつできるようになっていくのを見るのは楽しかった。
ムウが腕らしきものを生やして腕立てをしているのは、意味があるのかわからないが面白かった。
ある日、いつも通り俺たちが特訓していると、ノアが村の女性と一緒に近くの道を歩いているのが見えた。
その女性の腰には、尻尾が生えていた。
俺がノアの方を見ていると、ロロが大きな声で叫んだ。
「おかあさーん!」
そう言ってロロは斜面を駆け上がっていく。ノアの隣にいた、尻尾の生えた女性がこちらに気づき、静かにぺこりと頭を下げた。
俺は一拍遅れて、同じように頭を下げ返す。
「あれはね、ロロのお母さんなの」
横でムウが小さな声で教えてくれる。
ロロは母親の横まで行くと、今度は振り返って俺たちに向かって手を振った。
「みんな、こっちきて」
ムウは迷いなく笑顔で駆けていく。
俺が一瞬立ち止まっていると、ガウが横から俺の手を掴んだ。
「お前、来ないのか」
有無を言わせない力で引かれる。
「来ないとダメだ」
そう言われ、俺はガウに引っ張られるまま、ロロの母親とノアのいる場所へ向かった。
ロロのお母さんは俺に向かって、とびきりの笑顔を向けた。
あまりにも眩しくて、俺は目を合わせることができず、無意識にその足元へ視線を落としてしまう。
「あなたがレイルくんね。いつもロロがお世話になっています」
そう言って、ロロのお母さんは丁寧に頭を下げた。
その素直な感謝を、俺はどう受け取ればいいのかわからず、呆然と立ち尽くしていた。
「お世話になってるんじゃなくて、僕がレイルさんをお世話してるの」
ロロが母親の横から、少し胸を張って言う。
ノアもそれに同意するように、微笑みながら頷いた。
「そうね。レイルはロロくんたちに守ってもらってるわ」
満面の笑みだった。
俺が何も返せずにいると、今度は下の方から声が飛んできた。
「兄ちゃんはね! 脈気なしですごく強いの!」
ムウが自慢するように言う。
「俺の方こそ……ロロくんたちにはお世話になっています」
そう言って、俺は咄嗟にガウを抱き上げた。
ガウは少し照れたように顔を背ける。
「レイルくんは、ノアちゃんと一緒にエルド村に来たけど……どうして?」
その問いに、ノアが一瞬、焦ったような表情を浮かべた。
俺は言葉に詰まる。
――どうして、この村に来たんだっけ。
思い出せない。
沈黙が流れかけたところで、ロロのお母さんが慌てたように声を上げる。
「ところでレイルくん。今からノアちゃんとお昼ご飯を作るんだけど、一緒に食べない? あなたたちのこと、もっと知りたいの」
誘いはありがたかった。
けれど、そんなことをしている場合じゃない。脈気の特訓をしなければ。
「レイルさん、一緒に食べよー」
ロロが俺の腕を引っ張る。
「そうだよー。たまにはみんなでお話ししよー」
ムウも横で、楽しそうに跳ねる。
「俺が連れていく」
ガウはそう言って俺の腕から強引に脱出すると、また容赦なく俺の手を掴んだ。
引っ張られるまま歩き出す俺の後ろを、ロロのお母さんとノアたちは、笑いながらついてきていた。




