1-12 その一撃は、長官を越えて
ーー王国歴143年3月3日 9:00
「本日は――」
「誰が基礎を一番“自分のものにしたか”、それを確かめる」
ラセルの声がグラウンドに響いた。
「基礎練は今日で終わりだ」
「次の段階へ進む前に、実際に剣を交えた方が早い」
そう言って、ラセルは一枚の紙を広げる。
「これが今日の訓練――いや、トーナメントだ」
手書きの表には、俺たち剣術班の名前。
そして、その中に――ラセル自身の名前もあった。
「長官!」
背後から、低い声が飛ぶ。
竜核訓練の時、俺を容赦なく叩き潰してきた大男――ジャイだ。
「なぜ、あなたまで入っているんですか!」
「俺も参加する」
ラセルは即答だった。
「お前たちの実力を、近くで確かめたい」
「それだけだ」
そう言って、木刀を手に取る。
「最初は――」
「俺とジャイだ。よく見ておけ」
ラセルの声には、どこか楽しそうな響きがあった。
「試合は単純だ」
「相手の身体に剣を当てた時点で終了」
ラセルは木刀を構え、ジャイに向ける。
「魔族相手なら、一撃もらえば終わりだ」
「その意識で来い」
――始まる。
俺は、ラセルの表情から目を離せなかった。
余裕がある。
いや、“読めている”顔だ。
「いいなぁ」
隣で、アスカが小さく呟く。
「レイル、二回勝てば長官と当たれるぞ」
どうやらトーナメント表を見ていたらしい。
「アスカも決勝まで行けば当たれるさ」
「……見ろよ。余裕だ」
俺はラセルを見る。
ジャイの振り下ろしを、
半歩ずらすだけでかわし、
次の瞬間――
バシン
乾いた音が響いた。
ラセルの木刀が、ジャイの胴に当たっていた。
「……まだ甘い」
「構えが大きい。隙だらけだ」
ラセルは剣を下ろし、淡々と言う。
ジャイは何も言えず、歯を食いしばっていた。
その様子を見ながら、
アスカが、今度は少し真面目な声で言った。
「なあレイル」
「本気の俺と、基礎練で打ち合えてたお前ならさ……」
一拍置いて、
「多分、ラセルより強いぞ」
肩を叩かれる。
冗談めかした仕草なのに、
その言葉だけは、妙に胸に残った。
ラセルは、珍しく笑っていた。
剣を振るうのが、心から楽しいと言わんばかりに。
次の試合、その次の試合も、あっけなく終わった。
そして――ついに、俺の番が回ってくる。
「頑張れー! レイルー!!」
応援席――と言っても、ただグラウンドに座っているだけだ。
その中で、アスカの声だけがやけに大きく響いた。
ジオガンの時とは、違う。
ここでは、俺は――絶対に失えない。
「誰かと思えば、落ちこぼれのレイルか」
対戦相手はヴァン。
自称、兵士の中で一番精神が強い男。
「よろしくな、ヴァン」
俺は短く、それだけを告げた。
審判はラセルだ。
「いいかお前たち」
「俺みたいに、華麗な剣技を披露してくれよ」
本当に楽しそうに、ラセルは笑う。
「早く終わらせようぜ、レイル」
「時間の無駄だ」
ラセルが、旗を掲げる。
「――始め!」
その瞬間。
ヴァンが、一直線に突っ込んできた。
……遅い。
そう思った自分に、少しだけ驚く。
景色が、動きが、まるで水の中みたいに緩やかだ。
なのに――
俺の身体だけは、異様に軽い。
(横から、来る)
踏み込み、肩の動き。
全部、見える。
俺は一歩だけずらし、
ヴァンの木刀を弾いた。
――そのまま、踏み込む。
脇が、がら空きだった。
バシン
乾いた音が、グラウンドに響く。
木刀が、ヴァンの腕を正確に捉えていた。
一瞬の静寂。
次の瞬間――
ラセルの旗が、勢いよく上がる。
「――勝者、レイル!!」
息が、遅れて戻ってくる。
ヴァンは、信じられないという顔で俺を見ていた。
俺自身も、まだ実感が追いついていない。
けれど。
応援席から聞こえた、
アスカの馬鹿みたいにでかい歓声だけは――
やけに、はっきり聞こえた。
応援席に戻ると、アスカは満面の笑みで俺を迎えた。
「だから言っただろ?」
「お前は、俺以外には負けねーよ!」
そう言って、アスカは立ち上がる。
トーナメント表を見る。
アスカの位置は、俺と真逆。
当たるとしたら――決勝。
ラセルに勝てるかどうかは、正直分からない。
それでも。
アスカとは、戦いたかった。
あいつに勝たなければ、
俺はまだ“剣を持つ側”に立てない。
そんな気がしていた。
「次俺だから行ってくるわ」
そう言ってアスカはラセルの元へ向かう
「ほんじゃー、頼むぜー」
アスカは軽くそう言って、
茶髪の女性兵士に木刀を構える。
次の瞬間。
ラセルの旗が下りた。
――そして、終わった。
気づいた時には、
すでにアスカの木刀が、相手の足に触れていた。
一歩も、踏み込ませていない。
相手が理解するより先に、試合は終わっていた。
――速すぎる。
喉が、ひくりと鳴る。
俺は、こんな相手と――
同じ基礎練習をしてきたのか。
いや、違う。
相棒をしてきた、のか。
そう思った瞬間、背中を冷たい汗が伝った。
アスカは、退屈そうな顔で戻ってくる。
「やっぱさ」
「レイルじゃないと、つまんねーな」
そう言って、何でもないように俺の隣へ座った。
――その横顔を見て。
俺は、はっきりと決めた。
決勝で、こいつを倒す。
そうじゃなきゃ、
俺はこの先――剣を握り続ける資格がない。
アスカが、どうやって踏み込んだのか。
その答えを探している間に、俺の二回戦が回ってきた。
次の対戦相手は――
「よう、レイル」
「よくもヴァンをやってくれたな」
小物じみた言葉を吐きながら現れたのは、カイザだった。
「よろしく頼む」
それだけ言って、俺はさっさとラセルの前へ立つ。
――わかった。
アスカが立っていた場所。
あの土は、わずかに擦り減っていた。
最初から、踏み込む準備をしていたんだ。
つま先に力を溜め、
一瞬で地面を蹴るための体勢。
アスカにできた。
なら、俺にも――できる。
「準備はいいか?」
ラセルの声が落ちる。
「……始め!」
旗が振り下ろされた。
カイザは、まだ構えを整えているだけだった。
――今だ。
足の裏に、地面の感触が食い込む。
力を溜め、
一気に――蹴った。
視界が前に跳ぶ。
狙いは足。
迷いはない。
――バシン。
木刀が、確かな手応えと共に相手の脚を打った。
「レイルの勝ち!」
ラセルの旗が高く掲げられる。
その瞬間、応援席がざわついた。
「……レイル、あんな速かったか?」
「あいつ、急に別人みたいじゃねえか」
「アスカくんの時もだけど……目で追えなかった……」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
――大丈夫だ。
俺は、
あいつに挑む場所に、立てている。
応援席に戻ると、アスカが珍しくむっとした顔をしていた。
「アスカ、勝ってきたぞ」
そう声をかけると、アスカは少し苛立ったように言う。
「今さらかよ」
「レイルの凄さなんて、とっくにわかってただろ」
そう吐き捨てるように言って、立ち上がる。
そして、次の試合へ。
――当然のように、
アスカは一瞬で勝っていた。
とうとう俺とラセルの戦いか。
胸が高鳴る。不思議と負ける気はしなかった。
――いや、正確には違う。
ここまで来た自分を、否定する気がしなかった。
しかし、ベスト4が決まったところでラセルが手を上げた。
「ここから先は、きちんとした審判が必要だ。少し待っていてくれ」
そう言うと、ラセルは小屋の方へ走っていき、白衣を着た見覚えのある男を連れて戻ってきた。
ガルドだ。入学初日以来、姿を見ていなかったあの長話のおじさん。
「やあ、みんな。面白いものが見られると聞いてね。今日は忙しいから、長話は控えよう」
――十分長いだろ、とは誰も口にしなかった。
「ガルド殿。私とレイルの試合の審判を頼む」
「おっけー」
俺とラセルは向かい合う。
いつもと同じはずのラセルの身体が、今は一回り大きく見えた。
「それでは――始め!」
旗が振り下ろされた瞬間、俺は地面を蹴った。
一瞬で距離を詰める。今まで通じてきた、俺の速さ。
――いける。
そう思った刹那。
――バシ。
乾いた音が鳴った。
違う。
今まで聞いてきた音とは、明らかに違う。
俺の木刀は、ラセルの木刀に弾かれていた。
反射的に地面を蹴り、距離を取る。
遅れてカウンターが来ると思ったが、ラセルは追ってこなかった。
「いい動きだな、レイル……」
満足そうな声。
その余裕が、俺との決定的な差を示していた。
ラセルが、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「速さだけが、強さじゃない」
次の瞬間、重い一撃が振り下ろされた。
――バシ!
なんとか弾く。
だが、終わらない。
一撃、二撃。
腕に響く衝撃。
防いでいるはずなのに、体力だけが削られていく。
「重い攻撃を、何度も叩き込む。これも強さだ」
弾くたびに、腕が悲鳴を上げる。
このままじゃ、押し切られる。
――一瞬。
弾いた直後の、ほんの僅かな隙。
俺は屈み、横から木刀を滑り込ませた。
――バシン!
確かな手応え。
ラセルは、はっきりと微笑んでいた。
少し遅れて、ガルドの旗が上がる。
「レイルの勝ち!」
「俺の戦い方の弱点が、見抜かれたか……。歳を取ると、速さはどうにもならんな」
そう言って、ラセルは応援席へ戻っていった。
次の瞬間、グラウンドに歓声が広がる。
「長官に勝つなんて……」
「レイルくん、すごい……」
「兵器以外は優秀って本当だったんだ」
顔が熱くなり、俺は逃げるようにアスカの方へ向かった。
そこには、アスカ、カレン、ミレア、アルトが揃っていた。
「さすがだな、レイル!」
アスカはそう言って、拳を差し出す。
「決勝で会おう!」
俺はその拳を見て、久しぶりに心から笑えた気がした。
「まずは準決勝、勝てよ」
「当たり前だろ!」
自信満々な背中を見送りながら、俺は思う。
――まだだ。
あいつを越えなきゃ、意味がない。
「強くなったね……」
隣でミレアが呟いた。
強くなれたのかもしれない。
けれど、俺の相棒はもっと強い。
当然のように、アスカの試合は一瞬で終わった。




