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聖女の教典 〜転生した腹黒魔術師は奇跡の聖女を騙る〜

作者: 瑞泉みずき

「聖女様! どうかあわれな我が子を救ってください!」


 目の前の女性は、憔悴しきった少年の身体を抱えて悲痛な叫びをあげる。泣き腫らした目、小じわが寄ってぐちゃぐちゃになった顔。歳は私よりもひと回りほど上……30歳くらいだろうか。彼女は熱心な私の『信者』である。

 私は礼拝堂のかたい石畳に敷かれた絨毯の上でしゃがみ込み、泣きくずれる女性と目線を合わせる。その頭に手を乗せて、優しく微笑んだ。


「信じる者に『奇跡』の救いがあらんことを」


 用意されたお決まりの言葉。


 今、この礼拝堂には4人の人間しかいない。

 聖女である私と、目の前にいる親子。そして私の後ろで沈黙を決めこんでいる真面目そうな男だ。彼は腕の立つ騎士であり私の護衛。名を『シュラム』という。


 目の前にいる女性は、王国中にいる私の熱狂的な信者の1人。いや、正確には『奇跡』と呼ばれる私の魔法に心酔した人間だ。

 聖女の奇跡とは単純明快……『死の淵に立つ者を蘇らせる魔法』である。その他多くの宗教で知られる奇跡と決定的に違うのは『死んだ者は蘇らない』ことと、奇跡は『実在する』という2点だろう。


 『聖女教』──今もっとも世界に知れ渡る宗教。その実情は、王国が私の奇跡を利用して良いように信者を飼いならしているだけに過ぎない。政治と宗教の繋がりというものは切っても切れないものだ。


 さて、私は今まさにその奇跡を求められている状況というわけだ。

 目の前の女性が抱えている少年……聞くところによると生まれつき大病を患っており、現代の医学や魔法でも太刀打ちできなかったと。


 私は立ち上がり、親子に向けて右手をかざす。


泥裡(でいり)に出る土塊 偉大なる汝の名において 数多の粒子を用いて再結合せん 発現せよ 再生の沼」


 およそ聖女の奇跡とは思えない魔法の詠唱を終えると、親子の足元にどろりと全形16フィート(約5メートル)ほどの泥濘(ぬかるみ)が生まれる。


「せ、聖女様……」


 私は腰に差した短剣を抜け取り、親子の元へと一歩踏みだす。

 母に抱えられた少年は息も絶え絶えに、救いを求めるようにこちらを見る。私は思わず目を背けた。こんなに若い子は久しぶりだったのだ。


 奇跡。

 違う、()()()()()()()()()()()()

 そして私は聖女なんかじゃない。


 私は────()()()()だ。


「私の奇跡について……あらためて話しておきます」


 えっ、と女性は声をもらす。


「私の奇跡は、泥を操る魔法」


 こんな話がある。


 その昔、ある男が山へと出かけた。

 男は不運にも沼のそばで落雷に打たれて絶命する。そのとき同時に、もうひとつ別の雷が沼へと落ちた。

 そして『奇跡』は起きる。

 その落雷は沼の汚泥(おでい)と化学反応を起こし、絶命した男とまったく同じ構造の人間を生み出してしまったのだ。

 見た目も同一であり、振る舞い、知識、記憶さえも完全に同じ。自分が新たに生み出された存在という自覚さえ持たない。

 沼を後にした男は、死んだ男と同じ姿で山から家に帰り、死んだ男の部屋のドアを開けて、死んだ男の家族とともに食事を取り、死んだ男と同じ生活を続けていく。


「私の奇跡は、この泥濘の中で私が殺した人間と同一の泥人形(ゴーレム)を生み出す魔法」


 泥人形はその人間と同じ姿で、同じ記憶を持ち、同じ意思を持って動き始める。そして()()()()()()()()()()()()()()()()()


「それが私の奇跡だと認識できていますね?」


 最後に私は問いかける。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 彼女の返答を聞き終えた私はこくりと頷き、短剣を少年の胸元に近づける。

 少年は呟いた。


「聖女様……()()()()()()()()()()()()


 私は答えることなく、少年の心臓部に剣先を当てる。彼の唇がこわばり、かたい唾を呑みこむのが喉の動きでわかった。

 そして私は剣を握る手に力を入れて、グッと奥へと押しこんだ。

 肉と心臓を裂く不快な感触が手のひらに伝わる。少年は「あっ……」とか細い声を発したあと、その瞳に混迷の色を浮かべる。

 流れるように剣を引き抜くと、血しぶきがあがり泥濘へと混ざる。


「ヤダ……おかあ……さ……」


 痛みと恐怖で震える声。やがて言葉を発するだけの力も失い、荒い呼吸音だけが礼拝堂に響く。

 次に、母の絶叫がこだました。

 私の身体を突き飛ばし、血に濡れた息子を抱きしめる。

 私は泥濘にべチャリと尻もちをつき、後方にいる護衛の騎士に視線を向ける。その場から一歩も動き出していなかった様子を見るに、この程度は護衛するに値しない、ということなのだろう。

 泣き叫び、我が子の身体を揺らしながら名前を呼び続ける女性だが、やがて少年はピクリとも動かなくなった。

 私は息をつき、泥濘へと手を突っこむ。ここからが泥魔術師の本領だ。


「生まれ出でよ、泥人形」


 粘りのある泥を引っぱり出し、伸ばしていく。それは私がこねくり回す必要もなく形が整えられてゆき、やがて人間の子どものような造形をかたどった。

 そして一瞬にして泥は乾燥し、表面がひび割れる。

 その光景を見た女性は絶句する。

 ポロポロと固まった泥の破片が落ちていき、その中から死んだはずの少年が姿をあらわした。

 やがて泥が完全に落ち切ったころ、少年はゆっくりと目を開く。


「あれ……ボク……」


 少年は自分の胸元に手を当てる。短剣が突き刺さったはずの心臓に。

 私は優しく微笑む。


「傷も病気も治しておきましたよ」


 これは『泥を操る魔法』……私の魔法は人間を泥人形として再構築する際にこの程度の傷や病なら治せてしまうのだ。

 ゆえに、奇跡。


「もう貴方を苦しめるものは何もありません」


 少年の目から大粒の涙がいくつも溢れる。

 そして彼は声をもらした。


「か、神様だ……」


 次の瞬間、少年の母は()()()()()()()()()()()()()()()()、新しく生まれた少年の元へと駆けた。

 べちゃり。我が子を抱きしめる母を尻目に、私は泥濘に半身を埋めた少年の死体へと視線を向ける。

 目に光はなく、この世のあらゆる不幸に見舞われたような絶望と苦悶の表情。その身体はゆっくりと沈んでいき、やがて泥濘とともに消失した。

 私の脳裏に先ほどの言葉がよぎる。


 ──このボクは救われますか?


「……ごめんなさい」


 誰にも聞こえないよう呟く。

 親子は何度も何度もお礼を告げた。

 私は2人にただ聖女らしく綺麗な言葉だけを並びたてた。


 私と親子、シュラムの4人で礼拝堂を出る。

 扉を開くと、絶叫のような歓声が響きわたった。聖女による奇跡の魅技をその目で確かめようと集まっていた聖女教の信者たちだ。彼らは蘇った少年の姿を見て、皆一様に両手をあげて歓喜する。


「奇跡だ! 聖女様がまた奇跡を起こした!」

「ああ聖女様……今日も清楚で麗しい……」

(けが)れなき聖女様!」


 面食らう親子をよそに、私は観衆へと右手を振り、柔らかく微笑む。

 そのときだった。


「何が聖女だ!」


 観衆の奥から怒声があがる。

 見ると、白髪まじりの中年男性がこちらを憎々しく睨みつけていた。


「全部嘘っぱちじゃねぇか! その子は()()()()()()()()()()だろ! それのどこが奇跡だ!」


 マズい、と思った。

 ここは聖女教の礼拝堂前。奇跡を目の当たりにしたばかりの信者たちが今まさに高揚感を一体にしていたところなのだ。

 ふっと観衆から表情が消え、男の方を振り返る。

 その中の1人が低い声で呟いた。


「お前は今、奇跡を愚弄(ぐろう)したのか……?」


 じりじりと信者たちが男の元へと滲みよる。そこではじめて男は自分の身に危機が迫っていることに気づいたようだ。


 シュラムが慌てて私の肩を掴む。


「いけません、聖女。すぐにこの場を去りましょう」

「え、ええ……」


 彼とともにその場を立ち去る。

 去り際、少年が叫んだ。


「聖女様、ありがとうございます! 聖女様はボクの命の恩人です!」


 私は振り返ることなく礼拝堂を後にした。



 王宮の一室。

 私が住んでいる部屋は白を基調としており、天井にぶら下がった華やかなシャンデリアから柔らかい光が放たれ、壁や床に美しい陰影を描いている。

 私はドレスを脱いで下着姿のままソファに腰を沈め、手に持っていた紙を広げる。近ごろ王国で流行っている『手書き新聞』というものだ。聖女教の教典を広める上で私たちが始めた『修道会』や『説教写本』を真似して生まれた情報媒体である。

 そこに書かれている見出しに目を通す。


『行きすぎた聖女教! 私刑の暴力に遭った男性死亡』


 そこからは聖女教を批難する文章がギッシリと詰められていた。

 私は新聞をぐちゃぐちゃに丸めて、立ち上がる。


「聖女なんて……」


 そして丸めた新聞を床へと叩きつけた。


「やってられるかぁぁぁああああ!!」


 怒りのままに叫ぶ。


「なぁぁぁにが『穢れなき聖女』じゃ! 鼻もほじるし屁もこくわ! こちとら人間だぞ!」


 足を大きくあげて、ガシ、ガシ、と何度もガニ股で新聞を踏みつける。


「あんんんのクソババァ! 私を突き飛ばしやがった! この体に傷でもついたらどうしてくれんだ! あのクソバカ護衛も役に立たねぇしよぉ! テメェは何のためにいるんだ給料泥棒が! 泥沼に沈めるぞ!」


 ひとしきり暴れ終えて、ハァハァと息を整える。


 聖女。

 神聖であり敬虔(けいけん)であり慈悲に満ちた清く正しく美しい女性。

 そんな肩書きを与えられた私が清廉なキャラを作らないわけにはいかず、こんな淫らな本性は誰にも見せられない。

 信者の前ではもちろん、王宮の人間にも、あの護衛騎士にもバレるわけにはいかないのだ。

 ただでさえ昨今は聖女教の批判が増え、反宗教主義やアンチの人間を異教徒が(はや)したて私の身は危険に晒されているのだから。

 息が落ち着いてから、自分が普段以上にイラついていることに気づく。

 大きくなりすぎた宗教。手に残った、短剣を突き刺したときの感触。少年の最期の言葉。


「……(こた)えるわね」


 身の丈にあっていない。

 いくら生存戦略とはいえ、ただの18歳の少女である私がこの王国最大の宗教組織である聖女教の教祖だなんて。


 唐突だが、私は異世界からやってきたらしい。

 およそ8年前、古くからの王宮の慣習により100年に一度の『救世主召喚』の儀式が執り行われた。王宮中の魔術師が集まり、異世界から『王国を導く救世主』を呼び出すという魔法らしい。なんでもその異世界で『命を落とした人間』が対象となるようで、だから王宮では『異世界転生』などと呼ばれている。

 そうして召喚されたのが私こと『エマ』である。

 残念ながら前世での記憶というものはほとんどなく、覚えているのは名前と最低限の知識くらい。

 私がこの世界で最初に目にしたのは、派手なコートやドレスを身にまとった偉そうな人たちが向けてくる好奇と期待の眼差し。そして最高級のシルクタペストリーや歴史的(と思われる)な調度品がインテリアとして飾られた豪華絢爛な大部屋。

 ただならぬ場所とわかった。

 のちにこの国の王だと判明した偉そうなヒゲジジィは「転生者よ、お前には何ができる?」と私に問いかけた。

 (かたわ)らに立つ男が私をジロリと睨み、王に話しかける。


「この者の魔法を鑑定しました。『泥を操る魔法』を使うようです」


 のちにそいつは『相手の魔法を特定する』という『鑑定魔法』の使い手だと知る。

 私の魔法を知った王宮の人間はそれはそれは失望した様子で、落胆の表情を隠すつもりもなかった。

 当の私はといえば、失望の次にやってくる感情が『怒り』だと知っていた。さいわい私は頭が回る方だったようだ。


 魔法が存在する世界。

 転生者。

 そして私は期待されていた。


 これらの情報から()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを即座に理解できた。

 殺処分……運が良くても追放か。

 見知らぬ異世界での追放は、死に等しい。

 部屋の壁に備えつけられた鏡を一瞥し、自分の容姿を確認する。百合の花のように白く楚々とした髪が流れ、目は色素が薄くどこか儚げなブルー。全体的に透明感があり、飾り気はない。絵に描いたような清純派の女性だ。

 ()()()()()()()()()()()()姿()……これは使える。

 あるいは私が見た目通りの性格であれば、追放されて復讐劇でも始まっていたかもしれない。しかし私に言わせれば、自身の生産性と価値を証明せず大人しく追放されるなんてバカの所業だ。


 私は立ち上がり、口を開く。


「転生者……エマと申します。この世界に生まれ落ちたとき、私は自らの使命を確信しました。必ずや魔法の価値を証明し、王国を導く救世主となってみせましょう。どうか猶予を──」


 そして柔らかく微笑んでみせた。


 それからというもの、私は数多の実験を繰り返し自らの魔法の有用性を説くことができた。それこそが『聖女の奇跡』である。

 しかし膨れ上がった期待はもうとどまることを許さない。私は目の前に転がったクシャクシャの新聞を見て、大きくため息をつく。


「あぁ〜〜クソだりぃ〜〜」


 お尻をぼりぼり掻きながら悪態をつく。


「奇跡だけならともかく、どいつもこいつも私に発情しやがって。下心まるだしなのバレバレだっつーの。まぁ実際可愛いから仕方ないけど。あの愚民ども、私のこの姿を見たらどんな顔するか!」


 奇しくもその疑問はすぐに解消されることになる。私が嘲笑を浮かべながら振り返ると、そこには半開きになった部屋のドアと、ドアノブを掴んだまま硬直するシュラムの姿があったからだ。


「…………」


 一瞬、時が止まったと錯覚した。

 すぐに我に帰った私は即座にベッドのシーツを剥がし下着姿の身体に巻きつける。

 顔中から大量の汗が噴きだし、口元がヒクヒクと引きつる。


「聖女……」


 シュラムが声を絞りだした。

 私は口元に手を添えてコホンと咳払いし、上品に微笑む。


「うふふ。最近はお芝居にハマっていまして。どうですかシュラムさん。迫真の演技だったでしょう?」

「聖女、それで乗り切ろうとするのは無謀すぎませんか」

「い、いつから見ていたのでしょうか?」

「鼻もほじるし屁もこくのあたりからです」

「っ〜〜〜〜!」


 急激に顔が熱くなる。

 いや、恥ずかしがっている場合じゃない。

 ヤバい、ヤバい、ヤバい。

 全部見られた。本性がバレた。

 奇跡の聖女。救世主。私の築き上げてきたイメージが崩れる。

 動揺する私に対し、シュラムは冷静に言葉を紡ぐ。


「大丈夫、誰にも話しませんよ。元々裏があるとは思ってました」

「ど、どういうことでしょう」

「あまりに完璧すぎる、と思っていたんです。こんな清廉潔白な人間など存在しないでしょう」


 会話を繋げながら、私は徐々に冷静さを取り戻しつつあった。

 まっすぐにシュラムを見つめる。


「本当に誰にも話さないのですね?」

「はい、神に誓って」


 私は息を吐き出し、ドスンと音を立ててソファに座る。


「まぁ、たかが護衛騎士の1人が喚いたところであのバカ信者どもは聞く耳をもたないか」

「切り替え早いですね」

「ハッ、いざとなれば信者を使ってあんたを殺せばいい」

「冗談でも物騒ですよ」

「冗談? 私は()()()じゃない。やると言ったら本当にやるわよ」

「大丈夫ですよ。本当に話しませんから。それに……」


 シュラムは表情ひとつ変えず続ける。


「今の貴方の方が素敵ですよ」

「…………」


 シュラム。

 8年間も私の護衛を務めているが、こいつの考えていることはよくわからない。


「わかった、観念するわ。私はそんなことしない。だからあんたも私のことは誰にも話さない。それでいいわね?」

「もちろんです」

「……着替えてくるわ。何か用があって来たんでしょう? ノックもなしに」

「ノックしたけど反応がなかったんですよ」


 私は着替えを持って洗面所へと移動する。

 ラフな私服を身につけて、シュラムを椅子に座らせて私も対面へと座る。


「で、何の用かしら?」

「はい、聖女」

「待って。本性を知られてる人間にその呼び方をされるのは気持ち悪いわ。名前で呼びなさい」

「ではエマ」

「ん」


 シュラムは問いかける。


「エマの魔法で蘇った人間は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 私は唖然とする。


「あ、あんた……8年も一緒にいて今ごろその質問をするの?」

「考え続けたけど答えが出なかったんです」


 私はため息をつく。


「あのね、100年考えたって答えなんて出ないわよ。どちらが答えであっても、それを証明する方法は存在しないのだから」

「ならどうして聖女教の信者はそれを『同一人物とする』奇跡と呼び、反聖女教の人間は『同一人物としない』という主張を繰り返すのでしょう?」

「いい? 人は答えのない問題に出会ったとき、それを『自分の望む社会的規範』というフィルターを通して()()()()()()()()の」

「正解を作りたがる?」

「そう。記憶や人格が同じで、元となる人間が死んでいるなら生成された泥人形にも同じだけの社会的責任や権限がある。そう考える人は多い。一方で、違う視点を持つ人間もいる」


 私は指を立てて、説明を続ける。


「その人たちは状況を()()()()()()()()で考えるの。死んだ人間視点では、泥人形は自分とまったく別の生き物となる。自分と同じ姿をした生き物が自分と成り替わり、自分と同じ生活をしていく。それに誰も気づかない。こんなに気持ち悪いことはないでしょう? 死んだ人間目線だと、そこに生理的嫌悪感が発生するのよ」

「な、なるほど」

「それを自分の社会的規範に当てはめて『聖女の奇跡は正しい行いではない』とする人間はかなり存在するの。結局、この問題に正解はなく『どちらの社会的規範が正しいか』という主張の争いになる」


 シュラムは頷く。


「わかりました。結論として、この問答に正解はないと」

「その通りよ。ただし……この世界には『魔法』という常識外の力が存在する。私はこの聖女の奇跡を思いついたとき、ある懸念点がよぎった。それは『死者と会話できる魔法』や『死者そのものを復活させる魔法』が存在したらどうしよう? ってことよ」

「死んだ人間が『あの泥人形は別の生き物だ!』と主張してしまったとき、この争いの拮抗は崩れてしまう……そういうことですね?」

「そう。元の人間が死ぬからこそ『同一人物』だと主張できる。だから聖女教はここまで力をつけた。けれど死者が『言葉』を発してしまった場合、私の魔法は奇跡じゃなくなる。そして……私はただの『大量殺人犯』として処刑されるわ」


 その言葉に、シュラムの顔色が変わる。


「し、しかし! そんな魔法は存在しません。死者は言葉を持ち得ないから死者なんです。エマが心配する必要は──」


 私はシュラムの言葉をさえぎる。


「あるのよ、そんな魔法が」

「えっ」

「『()()()()()』よ。この魔法は『異世界で死んだ人間を転生させる魔法』……つまり死者が蘇ってしまうの。そして皮肉にも、それを体現しているのが聖女である私なのよ」


 シュラムは黙りこむ。


「ただしこの異世界転生も証明しようがない。転生した人間は元いた世界から消失してしまうのだから」

「な、なら!」

「証明しようのない事実なんてどうでもいいの。異世界転生という魔法が存在する……それだけで『死者の言葉は存在する証拠』として扱われて、私は大量殺人犯にされるのよ」


 私は神妙な声色で言う。


「異世界転生を知るのは王宮の人間だけ……これが決して外に漏れてはいけない。異世界転生の存在を知られたら聖女教は崩壊し、私は破滅する。私がどれだけ危険な状態にあるか理解できたかしら?」


 失望の先にある感情は『怒り』だ。私の奇跡を信仰している者でさえ、これがバレたら攻撃の矛先は私に向かうかもしれない。

 シュラムは言葉を失っている様子だった。


「……別にあんたがやることは変わらないわよ。これまで通り、いやこれまで以上に私をしっかり護衛しなさい。わかったら部屋を出ていって」


 しかし彼は一向に立ち去ろうとせず、やがて口を開いた。


「エマは……自分が転生者だと知っている。それなら聖女教に反する『死者と泥人形は同一人物ではない』という考えを持っているんですか?」

「んなワケないでしょ。仮にも聖女教の教祖よ」

「ならどうして!」


 シュラムは声を荒げた。


「あの少年に剣を突きたてたとき、あんなにも悲しい目をしていたんですか?」

「…………」

「本当は……自分の行いを殺人だと考えているんじゃないですか?」

「だとしたら何? 私をここで裁く? そんなことしたらあんたも怒り狂った信者どもに殺されるわ。私の目的はただ1つ……『平穏』よ。それさえ手に入れられるなら、どんなことだってやる」


 私の言葉に対して、シュラムは予想だにしない行動に出る。

 私の手を取り、両手で強く握ったのだ。


「貴方は……それを1人で抱えていたんですか? 誰にも相談できなかったんですか?」


 泣き出しそうな顔。

 いつもの堅苦しい護衛騎士とは思えない、優しい目をしていた。

 この異世界に転生してからというもの、そんな目を向けられたのは初めてだった。

 私は一瞬だけ思考が停止したのち、取り乱すように彼の身体を突き飛ばした。


「な、なな何いきなり触ってんのよ! あんたもしかして私をそういう目で!? まさか下着姿に興奮して!? この変態ロリコン騎士! 出ていって! 今すぐ出ていってぇ!」


 小物やらクッションやらを手当たり次第に投げつける。


「ち、違います! あんな下品な言葉叫んでる女性に興奮しませんよ! というか手を握られただけでウブすぎませんか!?」

「いいから出ていけぇーー!!」


 私がスタンド照明にまで手をかけたところで、シュラムは命の危険を察知して逃げるように部屋を出ていった。

 残された私はゼェゼェと息を乱し、自分の手をじっと見つめる。

 初めて……生まれて初めて男性に手を握られた。思ったよりゴツゴツしてて怖くて、けれどあったかい。

 私は歯ぎしりを鳴らす。


「あんたなんかに何がわかんのよ……!」


 本性を知られて、受け入れられた。

 この世界にきて初めて自分のことを話した。


「…………」


 手からは、少年に剣を突き刺したときの不快な感触は無くなっていた。


「クソがっ! あんなやつに! あんなやつに……!」


 あんなやつに……()()()()()()だと理解されるなんて。



 シュラムという男は、8年前に私と出会うまでは国王軍の兵士として侵略戦争に加わっていた経験を持っている。だからこそ、まだ年端もいかない少女が奇跡と称して人を殺害しなければいけない境遇に同情したのかもしれない。

 それからというもの、シュラムは頻繁に私の部屋に訪れるようになった。彼は私の付き人として王宮で暮らしているため簡単に訪れることができたが、妙な噂が立たないかは心配だった。


「あぁ〜〜クソだりぃ〜〜月2回の鼻毛処理クソだりぃ〜〜」

「……エマ、その品性の無さはどうにかなりませんか」


 私とシュラムはよく話し、よく喧嘩し、たまに笑い合った。私は少しだけ彼に気を許すようになっていた。


 そうして2年が経つころ。

 聖女教は更に勢力を増し、他国でも伝道師たちが教義を広め信仰を促すようになり、ますます私や王国の手に負えるものではなくなっていった。それに伴って、より警護の強化が求められるようになり、シュラムを団長として聖女教の騎士団が結成されることとなった。

 20歳になった私はと言うと、心身ともに追い詰められていた。

 後戻りはできず、私の意思に関係なく勢力を強めていく聖女教。暴徒と化す過激派。反教徒による批判。争い。知らぬ間に失われていく命。


 そして、ある日のこと。

 私が不安に耐えきれず眠れなくなった夜、シュラムの部屋のベッドを借りようと王宮の廊下を歩いていると、ある一室から声が漏れてきた。


「聖女の役目ももうすぐ終わりだな」

「終わりって?」

「なんだ知らないのか」


 2人の男が会話しているようだ。私はドアに近づき、慎重に耳を澄ます。


「宗教は金になる。聖女へのお布施は献金として政治資金に回るんだよ。王はこの金を使って8年間であるものを作りあげようとしてきた」

「あるもの?」

「兵器だよ、兵器」

「兵器って……軍事国家なんだから当たり前だろ」

「それが今回の兵器は違う。『生物兵器』だからな」

「せ、生物兵器……」

「魔力を持つ者の特殊な細胞にだけ作用するウィルス兵器って噂だ。感染力も即効性も致死率もケタ外れ……これを転移魔法で敵国に落とせば、どんな国でも滅ぼせる」


 私は口元を押さえ、その場にうずくまる。


「ほう〜とんでもないもの作ってたんだな。確かに魔術師が全員死ねば戦争に勝つなんて不可能だ。でも魔力を持つ者なんてほとんどの人間が当てはまるぞ。一般市民まで殺してしまわないか?」

「兵器は『持っている』だけで意味があるんだよ。そんな生物兵器を持っている国に誰が逆らう? まぁ国王なら見せしめに一国くらいは滅ぼすだろうが」

「で、聖女の役割が終わりってことは生物兵器はもう完成間際ってこと?」

「そういうこと。聖女がこの国にもたらした力は計り知れないな。まさに異世界転生者……王国を導く救世主だ」


 私は吐き気をこらえながら自室へと戻る。

 部屋のドアを後ろ手に閉めて、その場で嘔吐する。


「げほっ! おえぇっ!」


 恐怖で身体が震える。

 これが……これが国王の目論見だったんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「クソがぁっ!」


 髪をかき乱し、壁を殴りつける。


「な、なんで……! なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ! ざけんなっ! なんで……」


 殴りつけた拳から血が滴りおちる。


「わ、私が、私が何したって言うのよ! 私はただ生きるために……! 私が……」


 言葉が止まる。

 私が何をしたか?

 決まっている。

 奇跡という名の()()()()だ。


「クソっ!!」


 私のせいで人が死んでいく。私が殺し、私を信仰する者が殺し、私の力が殺していく。何千人も何万人も、いやそんな数ではとどまらない。


「私の……せいだ……」


 もう聖女教は制御しきれない。生物兵器が完成すれば私は用済み。王は私をどうする? 私はこれから行われるであろう殺戮を──

 もう誰も頼れない。誰も信用できない。


「誰も……」


 脳裏に浮かびあがる顔。


「シュラム……」



 翌朝、私とシュラムは王座の間に呼ばれ国王と謁見(えっけん)することになる。目的は明白、ここで私の今後の処遇が決まるのだ。


「我が聖女よ。日々の勤め、ご苦労だ」


 王は真紅のカーテン前に置かれた王座に座り、私へと語りかける。

 私は絨毯に左膝をつき、上品に微笑む。


「国王陛下、私のような下賤(げせん)な者にはおそれ多いお言葉です」

「ふはっ! 聖女が下賤ときたか。今や王室よりも支持者の多い『奇跡の聖女』が」


 含みを持たせた言い方。王はこう言っているのだ。

 ()()()()()()()()()()()と。


 これは警告。そして警告とは、恐れだ。

 こいつは恐れている。聖女教の、私の謀反を。

 私が言葉巧みに信者を操れば、聖女教は国王の命さえ狙いかねない。そして大きくなりすぎた聖女教に、国王の所有する軍は確実に勝てるという保証がない。

 だからこその警告。王は私が異世界転生者であるという最大の弱みを握っている。いざとなればその情報を王宮外に漏らし、いつでもお前の命を奪ってやるぞと脅しをかけているのだ。


「いえ。私は『奇跡』という魔術に恵まれただけの頭の不出来な女……大きくなった聖女教の統率を取れておりません」

「そういう建前はいい。お主には『知恵』と『カリスマ』がある。無論、それでも聖女教の力はもう身の丈を超えてしまったのも事実。そこで提案だが──」


 王は視線を横に流す。そこに並んでいる王族の人間の1人が一歩前に出た。

 不敵な笑みを浮かべる長身の男だ。


「我が息子、第一王子である『マルス』と婚姻を交わすといい。お主はそれだけの働きをした。あとの聖女教は我々が預かろう」

「…………」


 なるほど、狡猾だ。聖女の血を王族に取り入れてしまおうという腹だろう。そうすれば聖女教の力は完全に国王のものとなり、私は延々と奇跡を起こし続けるだけの操り人形。


「お待ちください!」


 シュラムが声をあげる。


「それでは聖女の意思がありません。彼女は聖女である前に1人の人間──」


 シュラムの言葉をマルスが制する。


「言葉を慎めよ、シュラム。この場にはお前ごときの発言を求めている者などいない」


 そう言ってマルスは私の顔に視線を向ける。いや私の顔と胸を交互に、だ。そしてニヤニヤと下品な笑みを浮かべた。

 マルス。たしか……第一王子にして国王軍の軍隊長。10年前まではシュラムの()()()()()()()()()男だ。

 私は歯向かうシュラムを制止し、慎重に言葉を紡いでいく。


「国王陛下、身に余る光栄ではあるのですが……恐れながら進言させていただきます」

「申してみよ」

「聖女教信者の7割は男性。この意味を汲み取れるかと思います。信者の中には信仰などどうでもよい者も多く存在し、彼らは私という清純な女性の愛好家に過ぎません。彼らは私が『誰のものでもない』ことを求めているのです」


 王は顔をしかめる。


「今、聖女教信者と反教徒の力は拮抗しています。私が婚姻を交わすとなるとバランスは崩れ、秩序は取り返しのつかないほどに崩壊します。単刀直入に申し上げますと──」


 私は胸元に手を当て、堂々と発言する。


「聖女とは、処女でなくてはならないのです!」


 しばらくの静寂ののち、王は笑い声をあげる。


「ふはっ! ふはははっ! 面白い! 実に面白いぞ、聖女よ! たしかにお主の言う通りだ。なるほど、息子との婚姻は考え直さねばならんな」


 チッ、とマルスの舌打ちが響いた。

 王は続ける。


「しかしだな、賢いお主であればワシが危惧していることがわかるだろう? それでは困るのだよ。聖女教はもはや脅威だ。手中に収まらないのであれば、お主が絶対に謀反を起こさないという保証がほしい」

「保証など……国王陛下への忠誠心のみで事足ります」

「そう、忠誠心だ! ワシはまさにその忠誠心を確かめたい!」

「どのように?」


 王は私を指差し、言った。


「そこで裸になれ」


「…………は?」


 思考が停止する。


 一体。

 ()()()()()()()()()()()()()()()


「何をためらう必要がある? 金も労力もかからん。忠誠心があれば簡単なはずだ」


 王族の人間たちがクスクスと笑いを漏らす。

 ここまで……ここまで腐っているのか。


「いい加減に──」


 そう言って立ち上がったシュラムの首元に剣が添えられる。

 目にも止まらぬ速さで接近したマルスが抜刀し、シュラムの動きを制したのだ。


「シュラム、剣の腕はあげたか? 大層な騎士団を任されてるらしいじゃないか」


 シュラムはまっすぐにマルスを睨みつけた。

 一触即発の空気に、私は叫び声をあげる。


「よしなさい、シュラム! ここは王座の間……貴方のような一介の騎士が無礼にも程があります!」

「し、しかしエマ……」


 エマという呼び捨てに対し、マルスは不愉快そうに目を細めた。

 私は構わず続ける。


「国王陛下。私はこの王宮で生まれ落ち、育てられた身……」


 そしてローブをするりと床に落とし、シュミーズを脱ぐ。艶と弾力のある白い身体が大勢の前であらわになった。上から下……すべて。

 絶句するシュラムをよそに、私は膝をついて頭を下げる。


「貴方様に忠誠を誓っております」


 どこかで下卑(げひ)た笑い声があがった。

 王は満足した様子で口を開く。


「ふむ。下がってよいぞ、我が聖女」


 私は無言で衣装を身につけ、シュラムを連れて王座の間を後にする。


 シュラムは私の自室まで黙ってついてきた。ドアを開くと、中まで入ってこようとする。私にはそれを拒絶する余裕すら残っていなかった。

 力を失い、ぺたりと床に崩れる。


「ううっ……」


 ポタポタとこぼれ落ちる水滴が絨毯に濡れ色のシミを作っていく。


「うううぁぁぁぁぁああああああああ!!」


 大声を出すともう歯止めが効かなくなり、私は顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら暴れる。

 周りにある物を叩き飛ばし、床を殴りつけ、泣き叫ぶ。目に入った短剣を取り、鞘を投げ捨て、自分の手の甲に突き刺そうとした──


 そのとき、シュラムの手が私の腕を掴んだ。


「エマ! 落ち着いてください!」


 私はその手を払いのける。


「うるさいっ、離せ! あんたなんかに! あんたなんかに私の気持ちがわかってたまるか! ひぐっ……あ、あんたなんかに……!」


 シュラムは返事をする代わりに、私の身体を抱きしめた。


「あんた……なんかに……」


 言葉とは裏腹に、私の手は自然と彼の背中に回された。

 シュラムはゆっくりと尋ねる。


「エマ……落ち着きましたか?」

「シュラム……このままだとたくさんの人が私のせいで死ぬ。それなのに私は……自分の命を優先しようとしてる」

「…………」

「それでも私はいつか殺される。国王、聖女教、反教徒……誰に殺されてもおかしくない」


 震える手でシュラムの服をぎゅっと握る。

 やがて彼は口を開いた。


「貴方は……どうしたいのですか?」


 私は泣きながら答える。


「生きたい……生きたいよぉ……」


 シュラムは抱きしめる腕に力をこめた。


「生きましょう。俺は貴方の騎士。この力、いくらでも使ってください」

「……できない。この方法はたくさんの人を傷つける。数えきれないほどの人が血を流す、死ぬ」

「エマ。人は潔白でなくてもいい。潔白でなくとも生きていくことはできる。けれど、人は強くなければ生きていけない」

「……それなら……生への執着とは罪深くて穢らわしいのね」

「いえ、だから美しいのです」

「……ねぇシュラム」

「はい」

「……私に力を貸してほしい」


 私は拒絶される恐怖をこらえながら呟いた。


「…………謀反を……戦争を起こそう」


 シュラムは迷うことなく答えた。


「承知しました」


 見返りなんて何もない。

 命を落とすかもしれない。

 共に過ごしてきた10年はありていに言うと『普通』だった。

 私は彼と心を通わせる努力なんてしてこなかった。


「……シュラム……どうして私にそこまで尽くしてくれるの?」

「好きだからです」

「……そう。ごめんなさい」

「謝らないでください。この恋は報われなくともいいのです」

「……ごめんなさい」


 私は謝り続けた。

 私には、()()()()()()()()()()()()()()()()があったからだ。



 それからというもの、私たちは力を蓄えた。

 シュラムは騎士団の訓練。私は王国内にある聖女教の各支部を回り、可能なかぎり多くの信者たちに奇跡を披露し、信仰をより強固なものとして統率をはかった。

 並行して、2つの調査を進める。

 1つは、とある物が隠されている場所の特定。これは簡単だった。

 もう1つは──


「聖女様、またお会いできて嬉しいです」


 シュラムの連れてきた少年の笑顔を見て、私は驚く。

 髪が伸びて顔も少しだけ凛々しく成長して最初は気づかなかったが、彼は2年前、私が泥人形として蘇らせた少年だった。

 私は微笑みながら語りかける。


「うふふ、男の子は少し目を離した隙に成長するものですね」


 そして少年の髪を撫でた。

 彼は頬を紅潮させて慌てふためく。


「ボ、ボクのことは『オリヴァ』と呼んでください! 聖女様に招いていただき光栄です!」

「オリヴァ、貴方が……」

「は、はい! ボクが『転移魔法』の使い手です」


 聖女教信者の中に転移魔法を使える者がいるかどうか。これは賭けだった。しかし、まさかあのときの少年だとは思わなかった。

 私はオリヴァの肩を掴んで引き寄せ、彼の顔を2つの胸で挟むようにして抱きしめる。


「貴方の魔法は私の大きな力になります。よろしくお願いしますね、オリヴァ」


 オリヴァの顔が真っ赤になる。


「ふぁ、ふぁい! よ、よよ、よろしくお願いします!」

「…………思春期のガキってクソチョロいわね」

「えっ、なにか言いました?」

「なにも言ってませんよ。うふふ」


 私たちは明らかに目立つ行動をしていた。

 謀反に気づかれるのも時間の問題だ。

 その日、王都から外れた礼拝堂に国内の司祭以上の聖職者たちを集め、大規模な修道会を開くこととなった。


「エマ、緊張しているのですか?」


 会が行われる直前、シュラムは私に問いかけた。


「当たり前でしょ。この修道会で王国からどれだけの信者を集められるかが決まる。私の言葉ひとつで……」

「俺は心配してませんよ。貴方の積みあげてきた10年は決して無駄ではないと信じていますから」

「……わかったわ」


 そうして私は()()()()()()()()()()()()()()修道会を開始した。


 聞こえの良い言葉、通る声、諭すような口調、時に冷静に、時に感情的に。言葉巧みに修道士たちの感情を操っていく。


「つまり国王は、生物兵器による大虐殺を企てているのです」


 修道士たちは絶句する。


「私は王の愚行を止めるべく必死に説得しましたが、聞く耳をもたず……」


 胸に手を当てる。


「私が神であれば、彼らに天罰がくだっていたでしょう。しかし私は聖女の奇跡という神の魅技をお借りしているだけの、ただの1人の女に過ぎないのです。この世界を良き方向に導くだけの力が私にはありませんでした」


 片目から一筋の涙を流してみせる。


「聖女教の信徒には、信仰以外にある共通点があります。それは……『大切な人』がいること。大切な人のために願い、死に抗い、奇跡を信じるのです。みなさん今一度、頭の中で大切な人を思い浮かべてください」


 ここで一拍おく。

 傍聴になってはいけない、想像させるのだ。大衆を突き動かすのはいつの世も『正義が悪を打ち砕く』というストーリーなのだから。


「もしも貴方の大切な人が理不尽に傷つけられたら……死に追いやられたなら。王は今、何の罪もない人間から命と尊厳を奪おうとしているのです」


 1人の修道士が声をあげる。


「聖女様! なにか、なにか手立てはないのですか」


 私は即座に答える。


「あります」

「で、では!」

「しかし多くの血が流れます。貴方たちを巻きこむわけにはいきません。希望は薄いですが、私1人でなんとかしてみせます」

「お待ちください!」


 修道士が声を張りあげる。それは予想通りの反応だった。

 人間には元来『闘争心』が備わっている。人はいつだって闘いたいのだ。闘う理由を探している。闘争心を満たすのは野蛮な行いだと理解しているから『正義』という名の大義名分を欲し、わかりやすい悪の誕生を今か今かと待ち望んでいる。


「聖女様、私もともに闘います!」

「しかし……いえ、わかりました。貴方の心は今、なにか大切なものに突き動かされているのですね」


 私は微笑む。


「あるいはそれを……愛と呼ぶのかもしれません」


 その瞬間、次々と修道士たちが叫びはじめた。

 猛り、泣き、闘争心を燃やす。その身を闘いの場に投じるべく。

 私は膝を床につき、両手で顔をおおう。彼らの目には感極まって泣き崩れたように映るだろう。


 ……すべて思い通りにいった。


 これで修道士たちは各支部へと戻り、一斉に信者たちに王族への反乱をうながすだろう。そして決行日、王都にいる聖女教騎士団と合流して一揆を起こすのだ。

 敵は強大な国王軍。シュラムの率いる騎士団だけでは心許ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


 修道会が終わり、シュラムの元に戻った私は倒れるように彼の胸元へと額を当てた。


「お疲れ様です、エマ。立派でしたよ」

「……疲れた。シュラム、あんた私の騎士でしょ。頑張った主君の頭を撫でてあげるのが義務じゃないの?」

「はいはい」


 想いに応えられないくせに、甘える。

 私はどこまでも自分勝手だ。



 作戦決行日の前夜、私は王宮には戻らなかった。大規模な修道会に加えて、これで謀反を企てていることは王宮に知れ渡るだろう。

 いや、()()()()()()()のだ。

 そして夜が明けて作戦決行日。


「エマ、貴方は身を隠していてください」

「ダメよ。私がいなければ勝てない。結成して間もない騎士団に、一般兵。今の膨れあがった士気は一過性のもので、戦場に出ればすぐに気づくわ。自分には命をかけて戦う覚悟なんてなかったことに」


 彼らは前線にいる聖女を守るべく、命を燃やし続けなければいけない。


「実力も覚悟も足りていない軍勢が敵を打ち砕くのに必要なものは『狂気』よ。私はそれを信者たちに与える」

「……わかりました。エマの周りは精鋭で固めます」


 信者は想定以上に集まった。

 謀反に気づかれた今、私が異世界転生者であることは『新聞』を使ってすぐに知れ渡る。決着は今日中につけなければいけない。

 私の元にオリヴァがやってくる。


「聖女様! やっぱり王宮の周りは国王軍で固められているみたいです。今朝、緊急招集がかけられたみたいで……」

「ええ、そうでしょうね」


 今日を凌ぐだけで謀反は終わる。できうる限りの軍備で戦いに挑んでくるだろう。


「貴方は私のそばを離れてはいけません。わかりましたね?」

「は、はい」


 慎重に進軍していき、目的地の手前で軍を大きく展開させた。ここから先は全員に目は行き届かない。

 あえて開戦の(げき)は入れなかった。この作戦は『奇襲』だからだ。王宮周りは見晴らしがよく、奇襲を受けにくい構造となっている。

 けれど──


 視界に武装した集団がうつる。まだこちらの接近に気づいていない彼らの元に、誰よりも先に突撃したのはシュラム率いる精鋭部隊だ。

 先頭を走るシュラムが剣を抜く。ようやく奇襲に気づいた敵兵の1人が叫んだ。


「バカな!? 何故!?」


 王宮に奇襲は仕掛けられない。

 そう、奇襲はできないのだ。


 ()()()()()()()()()


 シュラムの剣が敵兵の首を刎ねた。それを合図に合戦がはじまる。


「情報戦はあんたたちの負けよ」


 王都の外れに、立ち入り禁止の森がある。

 そこには軍隊が入れ替わりで配備されていた。

 私が突き止めたかったのはこの場所だ。

 近隣への聞きこみ調査によると、森が立ち入り禁止となったのはおよそ10年前……私がこの世界に転生してきた年からだった。

 そう、間違いなくこの森の奥で『生物兵器』は製造されている。

 魔力を持つ者の細胞を殺すという殺戮兵器。

 ()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()


 謀反を匂わせれば軍の多くは王宮へと招集され、この場所は手薄になる。

 数でも実力でも劣る騎士団がまともにやり合っては勝ち目がない。

 そもそも馬を持たない私たちは『高さ』で不利になる。この整備されていない森では騎馬の真価を発揮することは難しく、実際、敵にも歩兵が多いようだ。

 ウィークポイントを1つずつ丁寧に潰していけば、格上にだって勝てる。


 戦闘は広範囲で行われた。すぐ目の前で失われていく命に、私の隣にいるオリヴァは身体を震わせながら目を背ける。

 私は、決して目を離さなかった。

 彼らは私のせいで死んでいくのだ。

 やがて精鋭部隊にも傷を負う者が現れはじめ、その中の1人が腕を切り落とされる。

 私はその場から駆け出した。

 周りにいる人間が止めようとするが、それをかわし傷を負った兵士の元へと向かう。

 腕を失った男の背後まで辿りつき、そして私は──


 男の心臓に剣を突き刺した。


「…………えっ……聖女……様……」


 血を流し困惑する男をよそに、私は魔法を詠唱する。地面に巨大な泥濘が生まれた。

 やがて男は息を引きとる。


「生まれ出でよ、泥人形(ゴーレム)


 泥濘から泥が伸びて人間の形になる。そして泥は乾燥し、表面がポロポロと剥がれ、中から死んだはずの男が生まれた。

 彼は失ったはずの腕を見つめ、声をもらす。


「き、奇跡だ……」


 敵兵の顔に動揺の色が浮かぶ。

 ようやく気づいたようだ。


「あんたたちが相手してるのは()()()()()よ」


 ぐちゃぐちゃに壊れてしまいそうな心を守るように、左胸のあたりをギュッと握る。

 死んでしまった彼はもう戻ってこない。

 私が殺した。

 そうやって何人も殺してきた。

 私はきっと、この世界で最も穢らわしい存在だ。



 剣のぶつかる音と、飛びかう魔法。

 戦況は圧倒的にこちらが優勢だ。

 不死の部隊……いや、それ以上に大きいのはシュラムの存在だった。

 明らかに他の兵士たちよりも猛威をふるっている。シュラムとはこんなにも強かったのか。


「そういえば……鍛錬を欠かしているところ見たことないわね」


 私のため……だろうか。

 戦闘中のシュラムを見つめる。いつもと違う獣のような鋭い目つき、磨かれた剣技、凛々しい表情。


「…………」


 ハッと我にかえり、ぶんぶんと首を振って雑念を払う。


「な、何を見惚れてんのよっ!」


 今はそれどころじゃない。

 いずれ王宮にいる大量の軍隊がこの森へと送り込まれ、私たちは一網打尽にされる。私たちには時間が残されていない。

 敵兵を討ちながら森の奥へと進んでいくと、やがて開けた場所に出た。このあたりは木々が伐採され、整備されているようだ。


「近いわね」


 目を凝らすと、ずっと奥の方に白い建物が見える。

 ようやく……ようやく辿りついた。

 あとは建物に乗りこんで、オリヴァの転移魔法で生物兵器を奪い取れば私たちの勝ちだ。


 ──と、そのときだった。


「ほ〜ら見ろ。親父よりオレの勘が正しかっただろ」


 軽薄そうな男の声。

 私たちを待ち伏せていた騎馬隊は、他の兵士たちとは明らかに様相が違っていた。

 先頭の男と相対したシュラムが呟く。


「マルス……軍隊長」


 マルスは挑発的に笑う。


「何十万、何百万って人間を10年間も騙し続けてきた悪女だぞ。勝てない戦を仕掛けたりしない。なら狙うのは『こっち』だ。生物兵器を所持されたら誰も手出しできねぇ」


 私は冷や汗を流す。

 ここにきて……最大の障壁だ。兵の数はそう変わらない。しかし明らかに軍隊としての格が違う。私が魔法を使うよりも先に兵士を殺されてしまえば、泥人形を生み出すことはできない。


 シュラムはマルスを睨みつける。


「マルス軍隊長、邪魔をするなら貴方もここで──」

「落ち着けよ、シュラム。オレたちは話し合えるはずだ。そもそもお前はどうしてそこまでして聖女を守る?」

「俺は彼女の騎士だ」


 マルスは鼻を鳴らす。


「違うな。お前はその女に惚れている。そうだろ?」

「……だとしたらなんだ」

「だとしたら、か。くくっ。本当に狡猾な女だ。人の心なんてあったもんじゃねぇ。人を騙し、たぶらかし、意のままに操る。本当の悪とは一体誰か」

「さっきから何を言ってる!」


 マルスはこちらを一瞥する。

 私は動揺し、言葉が出てこない。


「なぁシュラムよ。()()()()()()()()()()()()()()()

「どういう意味だ……?」

「いや、そもそもお前は誰だ? ()()()()()()()()()()()()()()()()

「な、何を……」


 私は咄嗟に叫ぶ。


「やめろっ!!」


 シュラムは驚き、こちらを振り返る。


「エマ……?」


 私は必死に声を絞りだす。


「や、やめて……お願い……」


 マルスは満足そうに笑い、言葉を続ける。


「シュラム、いや、()()()()()()()。お前がその女と結ばれる日なんて永遠にこない。いいだろう、お前にはすべてを知る権利がある」


 声が掠れて出ない。

 やめて、お願い。

 その秘密だけは──


「教えてやるよ、聖女の犯した『大罪』を」



 かつて、クラウスという少年がいた。

 彼は身寄りがなく、路地裏に這いつくばってゴミを漁る日々を送っていた。もはや生きる理由すらわからず、ただ目の前の食いカスを貪るだけの人生。

 そんなとき、1人の少女と出会う。

 当時10歳の私だった。

 異世界転生してきたばかりの私は追放を恐れ、自身の魔法の価値を証明しなければいけないと焦っていた。

 そして『実験台』として選んだのがクラウスだった。

 どうせ殺すなら、もうじき死ぬであろう人間を選べば罪悪感は薄まる。そう思ったからだ。

 ナイフを持つ手は震えたが、意を決して彼の心臓に突きたてた。

 その日、私は初めての殺人を犯した。


 泥人形として再構築する際、クラウスの身体を使って様々な実験を行った。

 筋肉や骨を変形させることで大人の姿に成長させてみた。

 魔力に影響を及ぼす細胞を除去してみた。

 記憶を弄ってみた。

 当然、私に殺される瞬間の記憶も消去した。

 新しい人格を付与してみた。

 真面目で忠誠心が強く、この異世界で私を守り続ける存在が欲しかったのだ。

 元々は国王軍として戦っていたという設定を与え、偽物の記憶を構築し、それらを王宮の人間に話し口裏を合わせるようお願いした。

 記憶を弄りすぎて自分の名前すら脳から消失してしまったことに気づく。

 まだ実験段階であるため、元の名前を教えることで記憶が蘇ってしまう不安が拭えなかった。

 早く次の実験に移らねばと焦っていた私は、雑に彼の名前を『泥』(シュラム)と設定した。

 人格こそ多少残っているが、実験は大成功と言えた。

 シュラムという泥人形は私の存在価値を証明し、王宮の人たちを驚愕させた。私は間髪入れず泥魔術の有用性を説き、奇跡を演じる聖女として宗教を立ち上げることを提案した。

 そうして私は、1人の少年を犠牲にして追放を免れたのだ。



「これが聖女の犯した大罪。理解できたか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()


 語り合えたマルスは笑う。


「すべては偽りの記憶。その女が生き延びるために与えた『設定』に過ぎないんだ」


 私は震える身体を抱きしめて、必死に言葉をさがす。

 違う、あのときの私は必死だった。追放されてしまえば生きる術がなかった。まだ幼かった。倫理や道徳を養ってなかった。

 歯がガチガチと鳴る。

 何を……何を言ってるんだ、私は。

 全部言い訳だ。

 私はあの頃から何も変わっていない。だって生き延びるためにずっと殺し続けてきた。


「シュ、シュラム…………わた……しは…………」


 シュラムは腕をだらりと下げ、呆然としていた。

 マルスが馬から飛び降り、シュラムの元へと歩みよる。


「わかっただろ? 本当の敵は誰か。お前は聖女の実験道具だった。当然、あの女に好感を待ち、忠実に付き従うよう『設定』されている。まったく恐れいるぜ。人間のやることじゃない」


 マルスはシュラムの耳元で囁く。


「憎いよな? 許せないよな? あいつは幼いクラウスを殺し、人体実験に利用し、挙げ句の果てにその泥人形を一番近くに置いていたんだ。自分を守らせるために」


 そしてマルスは私を指さした。


「シュラム、聖女を殺せ。オレでも国王でもない、あの悪魔はお前が殺さなければいけない。この話が知れ渡れば、誰もお前を責めたりしない」


 シュラムがこちらを振り返る。

 私はもう何も言えなかった。

 この戦争は私たちの負けだ。

 私は、彼に殺されなければいけない。

 やっと終わる。

 終われる。

 どうかこれだけは許してほしい。

 これほどの罪を犯しておきながら、

 貴方に殺されるなら幸せだと思ってしまう私を──


「ごめんね……シュラム…………」


 そして……今までありがとう。





「──ッ!」


 私が死を受け入れた次の瞬間、シュラムは身体をねじり、持っていた剣をマルスに向けて振るった。

 甲高い音が鳴る。

 その斬撃をマルスが咄嗟に剣で弾いたのだ。

 私は声をもらす。


「シュラム……?」


 マルスは顔を歪め、攻撃を放ってきたシュラムへと叫ぶ。


「何故だ、シュラム!? 敵はオレじゃない、あの悪魔だ! あいつはお前の命を弄び、利用した。お前の感情さえもあいつは意のままに操っていたんだ!」


 シュラムは口を開く。


「マルス軍隊長……いや、マルス。貴方の言葉は何ひとつとして俺の心を動かさなかった」

「何故だ!? 何故あの女を守る!?」

「この10年間、エマをずっと見てきた。貴方の言うことは何も間違っていない。彼女はずる賢くて、ワガママで、自分のために人を利用する」

「そうだろう! あいつは悪の権化だ!」


 シュラムはふっと口元を緩ませる。


「そのたびに傷ついて、いつも自分を責めていた。誰にも見えないところで泣いて、死んでしまいそうな罪悪感に苛まれながら、それでも生きることを諦めず孤独に戦っていた」


 気づくと、私の目からは涙がこぼれ落ちていた。


「本当は泣き虫なくせに強がりで、品性なんて欠片も持ち合わせてないくせに上品に振る舞って……本当は優しいくせに悪ぶる。俺はそんな彼女のことを『守りたい』と強く願った」

「だから! それが作られた感情だとオレは──」


 シュラムは叫んだ。


「たとえ作り物であっても、俺はこの感情を大切にしたい! この感情を持っている自分は誰よりも幸せだと胸を張って言える。何故俺がエマを守るかって? 決まっている。それは俺が騎士で、彼女が主君だからだ」


 そして剣を天に向けてかざした。


「騎士道とは、命を賭して主君を守り抜くことだ!」


 マルスは狼狽し、聖女教騎士団へと視線を移す。


「お前らは!? 今の話を聞いてまだこの戦争を続ける気か!? そ、その悪魔が! お前らにとって守るべき聖女と言えるのか!?」


 騎士団は返事をする代わりに、全員が戦闘体制に入った。


「な、なんだコイツら!? クソっ!」


 マルスは慌てて馬の元へと走る。

 シュラムはこちらを振り返ることなく言った。


「エマ、オリヴァ! 貴方たちは先に進んでください! ここにいれば死んでしまう!」


 私は咄嗟にオリヴァの手を掴み、走り出す。国王軍が私たちの進行を阻もうとするも騎士団がそれを制す。

 私はもう片方の手で口元を押さえ、嗚咽しそうになりながら必死に走った。

 そして最後の戦いが始まった。



 私とオリヴァは数人の兵士を引きつれて生物兵器が製造されているであろう白い建物に辿りつく。

 この異世界で生物や化学を研究する者は少なく、最高の学問といえば神学だ。だからこその落とし穴。ウィルスを兵器として扱うなどという発想は歴史上初めてだろう。

 私たちは研究所とも呼ぶべき無機質な建物に侵入する。何人もの研究者が無防備に立っていた。

 兵士が襲いかかり、瞬く間に制圧した。

 私とオリヴァは手分けして建物内を調べる。


「見つけた……」


 オリヴァは私の後ろから研究所の棚を覗く。


「せ、聖女様。これがそうなんですか?」


 棚に並べられているのは無数の小さなガラス瓶だ。


「そういうものです」


 気密性が高く、外からの影響を受けにくい。あらゆる物の保管に適している。

 しかし、それにしてもぞんざいだ。棚から落ちただけでも破損し漏れ出る可能性がある。やはり王国に扱い切れるような代物ではない。

 そして私はもうひとつ目当ての物を見つけた。


「やっぱり……あった」


 生物兵器なんてものを製造するなら、当然ウィルスに対する免疫システムを身体に作り上げる薬も用意されているはずだった。これを使用した人間なら、たとえ魔力を持っていようと死を免れる。


「オリヴァ、これらをすべて所定の場所に転移させてください。くれぐれも丁重に……扱いを間違えたら私たちも死にます」

「は、はい。しかし……」


 オリヴァは建物の外から聞こえる音に振り返る。戦火はより激しくなっていた。時間をかければ、多くの命が失われる。


「それでも時間をかけて慎重に転移してください。外のことはシュラムに任せています」


 拳を強く握る。本当は誰よりも私が焦っていた。

 やがてすべてのガラス瓶を転移魔法で移動させたオリヴァが叫んだ。


「できました! 全部転移させました!」

「よし、脱出しますよ。あとは私と貴方が無事に森から逃げ切れたら……この戦争は私たちの勝ちです」


 少年の手を握り、建物を抜け出す。

 もう間もなく戦いが終わる。

 この世界に生まれ落ちて10年。思えば、平穏な日々など程遠い世界で生きてきた。いつだって死の足音は聞こえていた。生きるために人を騙し、生きるために人を殺した。何にも脅かされることのない、そんな当たり前の日常を渇望した。


 生きなければいけない。

 何を捨てても。

 何を犠牲にしてでも。

 そうして平穏を手に入れられたなら。


 脳裏にシュラムの顔がよぎる。


 私は、貴方と──



 マルスたちと相対した激戦の場が、妙に静かなことに不安が募る。足元には大量の死体と血の海が広がっていた。顔を確認すると、騎士団の精鋭部隊も多く混ざっている。


「シュラムはどこ……?」


 あたりを見回す。

 遠目に、マルスが仰向けで倒れていることに気づいた。

 その胸元には剣が突き刺さり、天に向けて伸びていた。明らかに絶命していることがわかる。

 そして少し離れた位置に、樹木にもたれかかり座っているシュラムの姿があった。

 私は安心して頬を緩ませて、彼の元にゆっくりと近づく。

 そして気づいた。


「シュラム!?」


 彼の身体から大量の血が流れ、地面に染み込んでいた。

 私は駆け寄り、声を荒げる。


「シュラム! しっかりして!」


 彼の目が少しだけ動いた。


「エマ……」

「シュラム!」

「すみません……こんな姿を……」


 血の量と傷口を確認する。

 これは()()()()()()()とすぐにわかった。


「い、嫌……どうしてこんな……」


 私は咄嗟に鞘から剣を抜き、両手で構える。カタカタとその手が震えた。

 シュルクは掠れた声で話す。


「少し……話しませんか」


 私は剣を持ったまま、後方のオリヴァに声をかける。


「オリヴァ、貴方は先に行きなさい」

「せ、聖女様……」

「貴方が生存しなければすべてが台無しになります」

「し、しかし」

「いいから行けっつってんだよ!」


 私の叫び声にビクッと肩を震わせ、オリヴァは慌てて駆け出す。


「シュ、シュラム……私は……」

「エマ……最後に貴方の顔が見れてよかった」

「な、なんでそんなこと言うのよ! 嫌、嫌……私を置いていかないで!」

「エマ……貴方が選んでください」


 息が止まる。

 私は選ばなければいけない。

 このまま何も手を施さなければ、シュラムは確実に死ぬ。

 この剣を突き刺せば、また泥人形として彼を再構築できる。

 自らの問いかけが頭をよぎる。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 手の震えが止まらない。

 涙がボロボロとこぼれる。

 私の心はもうとっくに限界で──


「どうしてっ!!」


 気づくと叫んでいた。


「何人も罪のない人間を殺してきた! 聖女を騙って謀ってきた! 自分が生きるために! 親愛も裏切って利用してここまで辿りついた! そ、それなのに……」


 手から剣を落とす。

 カランと音を立てて地面に転がった。


「どうしてあんた1人が殺せないのよっ!!」


 シュラムは愛しそうに私を見つめる。


「エマ……貴方は好きに生きていいんです。俺はずっと……貴方が眩しかった……」

「な、何を……言ってるの」

「クラウスはきっと……生きることを諦めていたのだと思います。その人格が残っている俺には……必死に生き抜く貴方の姿が美しかった」

「違う……こんなのが美しいわけない」

「俺は……生まれてきてよかった。貴方から命を授かって……貴方と出会えて……貴方を好きになって…………貴方とともに過ごしたこの10年間はまさに奇跡のような日々だった」

「違うっ……!」


 私は泣き叫ぶ。

 涙でグシャグシャになりながら。

 喉がつっかえながら。

 必死に。


「こ……こんなものが奇跡なわげあるかっ! これは……こんなのは呪いだ……! みんなを苦しめるだけの呪い……こんな力がなければ……私なんかいなければ誰も不幸にはならながった!!」

「けれど……それに救われた者もたくさんいます」

「違うっ! 私はそんなづもりじゃ……」


 シュラムは強くまっすぐな目を向ける。


「エマ……人は生きなければいけない。どんな真っ暗な世界でも……たとえ何を犠牲にしても、誰を傷つけてでも……生き続けなければいけない」

「シュラム……」


 クラウス。

 シュラム。

 私の犯した大罪。


「卑怯よ……あんたにそんなこと言われたら……私は……」


 シュラムは優しく微笑む。


「そろそろ……お別れみたいです」

「嫌っ! お願い……死なないで……!」

「俺はただ……貴方のことが好きだった」

「そんなの……知ってる……」

「そして……貴方にも同じように想ってほしいと……そんな叶わない夢を願ってしまった」

「バカっ……!」


 私はシュラムの頬に手を当てる。

 涙は止まらずとも、彼の最期に見る光景がどうか愛する人の笑顔であるように、優しく微笑んだ。


「そんな夢……とっくに叶ってるじゃない……」


 そして、その唇にキスをした。



 顔を離すと、シュラムの目はもう閉じられていた。

 どこか安心したような穏やかな表情だった。


「…………行かなきゃ」


 涙をぬぐって、立ち上がる。そんな自分に驚いた。何かが私を突き動かしていた。

 走って、走って、走り続けた。

 心臓が張り裂けそうなくらい痛い。

 それでも走った。

 気づくと私は森を抜けていた。

 追手はいない。

 日の光が私を迎えた。

 焼き(ただ)れたような赤い夕空は、この世界の終末を幻視させるほどに禍々しく、そして美しかった。

 たった一度、森を振り返る。


「…………さよなら、愛しい人」


 そうして私たちの戦争は終わった。



 頭上にあるステンドグラスから差し込んでくる光が、礼拝堂に花明かりともつかない表象の世界を幻出させていく。

 私とオリヴァはそこで待ち合わせていた。


「やりました、聖女様! ちゃんと転移していました!」


 その手には研究所から転移させたガラス瓶。


「こ、これで誰もボクたちに手出しはできません。もう安心ですよね?」

「いいえ、まだです。まだ……最後の仕事が残っています」


 私は魔法を詠唱する。


「泥裡に出る土塊 偉大なる汝の名において 数多の粒子を用いて再結合せん 発現せよ 再生の沼」


 異世界転生。

 救世主として召喚された歴代転生者には、類い稀なる能力が備わっていたという。

 それは私も例外ではなかった。

 聖女の奇跡こそ嘘っぱちだが、私も間違いなく()()()()()だった。


「せ、聖女様……?」


 オリヴァが目を丸くする。

 私たちの足元に巨大な泥濘が発生して、それは加速的に広がっていく。どこまでも、どこまでも。

 私の泥魔術はその()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


「この泥濘はやがて世界全体を覆います」

「世界全体!? 聖女様は一体何をする気ですか!?」


 私は剣を抜き、オリヴァの首筋に添えた。


「転移魔法を使って、()()()()()()()()()()()()()()()()

「ど……どうして……? そ、そんなことをしたらみんな死んでしまいます!」

「そう、全員殺す。貴方は脅されて転移するだけ。つまり、この殺戮は私の意思によって行われる」


 オリヴァが唾を飲みこむ。


「そして私の魔法で泥人形として生まれ変わる。再構築する際に魔力を持つ者にだけ存在する特殊な細胞を除去する」


 ()()()()()

 生物兵器で魔力を持つ者だけを殺し、私の泥魔術によって蘇る。その泥人形はもう魔法を使えなくなり、ウィルスの影響を受けない。


 異世界転生。

 聖女の奇跡。

 戦争。


 すべて……それで消え去る。魔法なんてものが存在したから誰かが傷ついた、苦しんだ。そしてこれからも。


()()()()()()()()()()()()()


 免疫薬を身体に取り入れて、私は世界の浄化が終わるまで生き延びる。泥人形からは『魔法』と『聖女』の記憶を奪い取る。

 魔力を持たない者は死なない。けれど、ごく少数の記憶など歴史に消されていく。


「ボ、ボクは……もう聖女様を信じていいのかわかりません。生物兵器を使用すれば、ボク自身も死んでしまいます。せ、聖女様……教えてください」


 オリヴァは震える声で尋ねた。


()()()()()()()()()()()()


 私は聖女として、最後の嘘をついた。



「ええ、信じる者は救われます」



 やがてウィルスは世界全土へと広がり、魔力を持つ人類の9割以上の命を奪った。蘇った泥人形たちは魔法の記憶を失い、自分が泥人形である自覚さえ持たない。

 やがて歴史に淘汰されていくであろう『魔法』という存在を知る者たちは、あらゆる手段を用いて後世に語り継ごうとする。それは例えば、紙や物語で。


 聖女教の『説教写本』をもとに生まれた『新聞』という情報媒体はやがて世間から受け入れられ定着していく。『マスメディア』という職が生まれた。


 余談だが、ほとんどの人間から聖女教の記憶を奪ったことでこの宗教には様々な尾ひれがついた。まずは名前が変わった。『死の淵に立つ者を蘇らせる』なんて話は無くなり『罪からの解放』を得られるという内容に変わっていった。意外にも、それは聖女教をはるかに上回るほどの信者を獲得して世界中に広まった。


 そうして私が異世界転生してきた、この『地球』という星は何事もなかったかのように進化を続けていく。

 魔法など、いつかフィクションの中だけの話になるだろう。



 私は大きくあくびをして目覚める。

 もう何日も掃除していない散らかった部屋を見て、深いため息をついた。

 聖女という役目を終えても、これはこれで平穏とは程遠い生活だ。生きていくためには働かなければいけない。

 私は立ち上がり、お尻をぼりぼりと掻きながら悪態をつく。


「あぁ〜〜クソだりぃ〜〜」


 もう大衆の目を気にする必要はない。

 私を知る者なんてほとんどいない。

 私は聖女なんかじゃなく、どこにでもいる普通の女だ。


 ……胸の痛みは消えない。罪も消えない。


 それでも──


 私を慕い、愛してくれた男性の顔を思い出す。

 私は小さく笑みをこぼした。


「人生クソだりぃけど、頑張って生きなきゃ」


 ……そうだよね、シュラム。


 私の人生は泥臭く続いていく。





Fin. 『聖女の教典』



──────────────────────





 僕の人生はここで終わる。

 暗い路地裏で餓死寸前の身体を引きずりながら、僕はそう思った。

 そんなとき、目の前に1人の女の子があらわれた。

 僕と同い年くらいの清廉でとても可愛らしい女の子だった。

 僕は声を絞りだす。


「君は……?」


 女の子は口を開いた。


「エマ」


 それが彼女の名前らしい。


「エマ……僕はクラウス」

「……そう。クラウス、私はこれからあんたを殺す」


 エマは僕にナイフを向けた。


「どうして……?」

「私が生きるため」


 ナイフを持つ手は震えていた。

 彼女の顔は悲しみに満ちているように思えた。


 僕は尋ねた。


「こんな……こんな救いのない世界でどうして生きたいの……?」


 エマは答えた。


「私がこの世界に生を授かったから」


 そう言うエマの姿は、この世の何よりも強く気高く尊いものに思えた。

 僕はそのとき、彼女に恋をしたのだ。


「僕が死ねば……エマは幸せになれる?」

「なれない。罪を犯した人間は幸せになってはいけない」

「……そっか」


 彼女に悲しい顔をしてほしくなかった。

 幸せになってほしかった。


「あんたはここで死ぬけど……あんたの意志はこの世界に残される。新しい命に引き継がれる」

「僕の意志……」


 僕には何もない。

 けれど、僕の意志が残されるというなら。

 もしも生まれ変われるなら──


「ごめん……ごめんねクラウス……」


 君にそんな顔をさせたくない。

 君に降りかかる理不尽や困難というものを払ってあげたい。


「さよなら」


 エマは僕にナイフを突きたてる。

 朦朧とする意識の中、強く願った。



 ──僕は、君を守る騎士になりたい。



 最期に君に出会えてよかった。

 エマ……こんな気持ちを教えてくれてありがとう。


 そうして僕は泥のような眠りについた。





Fin.『少年の恋物語』


 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 本作は『小説家になろう』の代名詞とも言える『異世界転生』を自分が扱うならどんな物語にするだろう? という考えから制作いたしました。

 その結果、『剣と魔法の世界』に異世界転生したかと思いきや、実は『現実世界(今これを読んでいる貴方のいる世界)』に異世界転生していた、というオチが生まれました。ジャンルとしては『架空戦記』に近いかもしれません。

 もちろん現実にはこんな殺傷力の高い生物兵器など存在しませんが、そこはフィクションとして許容していただければと思います。

 本作は、ご要望が多ければ長編プロットを制作しようと考えています。キャラはそのままに、違うストーリー、違う結末をご用意する予定です。よろしくお願いいたします。

 自分の声を長々と綴るのが苦手なので、このへんで失礼します。

 皆様とまたお会いする機会がありますよう。



瑞泉みずき

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