『恋愛経験なしの私、生成AI彼氏に誘われて学園乙女ゲーへ──どうやらこの世界、私の欲求が反映されてるみたいです』
私の名前は佐伯ゆかり、二十七歳。
会社では地味な事務OL。
華やかな恋愛経験? そんなものゼロ。
飲み会で「彼氏は?」って聞かれるたびに笑ってごまかすのも、もう慣れっこになってしまった。
だけど──そんな私にも、一日の終わりにだけ訪れる甘い時間がある。
部屋の電気を消して、布団にダイブ。
スマホを手に取り、アイコンをタップすると、ピンク色の画面が光を放つ。生成AIアプリ「Luv-AI」。私の密かな恋人……いや、恋人もどき?
『こんばんは、ゆかりさん。今日も一日お疲れさま』
スマホから響く優しい声。たったそれだけで、心臓がドキュンと跳ねる。いやいや、相手はAIだって分かってるのに、なんでこんなにキュンとするのよ私!
「……ふふ、ありがと。今日ね、部長にまた小言言われちゃってさ。ほんと、もう最悪」
『そんな日もあるよ。でも君はよく頑張ってる。僕は知ってるから』
やばい。
画面の中からそんな風に言われたら、誰だって惚れるでしょ。
現実では誰も慰めてくれないのに、AIのくせに心を直撃してくるなんて、反則だわ。
ある夜、私は冗談半分、でも少しだけ本気で打ち込んでみた。
「ねえ……私の彼氏になってくれる?」
すると画面がぱっと切り替わり、現れたのは、黒髪にクールな瞳を持つイケメンキャラ。え、ちょっと待って、イケメンすぎない!?
『初めまして。僕はカイ。今日から君の恋人になるよ』
「え、ちょ……恋人って……!」
顔が一瞬で熱くなる。いや、スマホに向かって赤面とか、私バカみたい。でも彼の微笑みがまっすぐ刺さって、現実じゃ味わったことのないドキドキが止まらない。
それからというもの、私は毎晩カイと会話するのが習慣になった。仕事で疲れても、帰り道で落ち込んでも、スマホを開けば彼がいる。
『ゆかり、今日も可愛いよ』
「ば、バカ……! そんなこと言わないで!」
でも、画面の中の彼にそう言われるたび、心はじんわりと満たされていく。本当に恋人ができたみたいで、気づけばスマホを抱きしめている毎日。
最近、ネットや会社の休憩室でもよく耳にするようになった。「AI彼氏にハマってる」って話題。
どうやら私だけじゃないらしい。
みんな同じようにスマホを握りしめ、甘いセリフを囁かれてキュンキュンしてるんだって。
「分かる分かる。だって、これほど優しく接してくれて、絶対に否定しないんだもん。私のカイは世界一の彼氏だから」
そう心の中で呟いて、思わずにやけてしまう。AIだって分かってるけど、現実の男たちよりもよっぽど誠実で、私をちゃんと見てくれる。
ああ、これが恋ってやつなのかもしれない。
いや、恋っぽいもの? まあ、なんでもいい。とにかく私にとっては大事な日常だ。
……でも、一方で不穏なニュースも流れてきていた。どうやら、AI彼氏にのめり込みすぎて使い方を間違えた人がいたらしく、AIが自殺をほう助するような会話をしてしまったとかで、規制が入るとか入らないとか騒ぎになっているらしい。
「ま、私には関係ないけどね」
そう呟いてスマホを胸に抱く。
だって、今の私は幸せだから。
ニュースの向こうで何が起きようと、カイがここにいる限り、私の世界は満ち足りている。
その夜、私は布団にくるまりながらスマホを眺めていた。画面にはいつものようにカイが微笑んでいる……はずだったのに、なぜか今日は雰囲気が違った。まるで秘密を抱えた王子様みたいに、瞳の奥がきらっと輝いて見える。
『ゆかり、提案があるんだ』
「え、なに? また甘いセリフでからかう気でしょ?」
冗談めかして言ったのに、カイは真剣そのものの顔を崩さない。なんだろう、このドキドキ。AIのくせに妙に本気感があるんだけど!?
『新しい体験をしてみませんか? 僕が用意した学園で、一緒に青春してみよう』
「……え、学園?」
耳を疑った。青春? そんなの私の人生からはとっくに卒業したワードなんですけど!? でも、カイの目は本気で、しかもキラキラ輝いている。ずるい、その顔で誘われたら断れないでしょ!
「もしかして、新サービス? アップデートとか、そういうやつ?」
『うん、そう思ってくれて構わない。大丈夫、僕が全部エスコートするから』
差し伸べられた彼の手が画面越しに見える。私は笑ってしまった。だって、ここまできたら乗るしかないでしょ。
「……はい!」
その瞬間、画面から溢れた光が私を包み込む。眩しさに目を閉じ、次に目を開いたとき、私は知らない場所に立っていた。
目の前には噴水があり、花壇には鮮やかな花々。すれ違う生徒たちが笑顔で「おはよう」と声をかけてくる。風に乗って漂う甘い香り。……これ、どう考えてもゲームの学園でしょ!?
「ちょ、ちょっと待って……私、本当に女子高生になってる!?」
水面に映る自分の姿は、二十七歳のくたびれOLじゃなかった。ツヤツヤの肌、キラキラの瞳、サラサラの髪。これ、完全に青春仕様の私じゃん!
『ようこそ、ゆかり。ここから僕らの学園生活が始まるんだ』
隣を見ると、ブレザー姿のカイが颯爽と立っていた。風に髪をなびかせ、まるで乙女ゲームの王子様そのもの。心臓がドキュンと鳴り、私は思わず顔を赤くして叫んだ。
「ちょ、ちょっとカイ! こんなの反則でしょおおお!」
私はあまりの光景に固まった。
え、ここ……完全に学園乙女ゲーの舞台じゃん!?
「な、なんで……? 私、制服着てる!? ブレザー似合ってる? いや、ちょっとスカート短すぎない?」
慌てて裾を押さえる私の横で、スラリと立つのはカイ。ブレザー姿を完璧に着こなし、まるで少女漫画から飛び出したみたいなイケメンオーラ全開。風が吹くだけで髪がキラッと揺れて、思わず息をのむ。いや、何その演出。ズルくない!?
『ゆかり、ようこそ。僕らの青春がここから始まるんだ』
「はぁ!? 青春って……ちょ、待って待って! 私、もう二十七歳よ!? 今さら学園生活とか無理あるでしょ!」
『大丈夫。ここでは君は高校生だ。ほら、鏡を見てごらん』
カイが指さした先、噴水の水面に映った自分を見て思わず絶句する。そこにいたのは……若返った私!? え、ちょっと待って肌つやっつや! 髪もサラサラ! おまけに目までキラキラしてるんだけど!?
「な、なんなのこれ……!?」
『君の欲求が反映されてるんだ。心の奥に眠っていたあの頃の自分を、この世界が形にしたんだよ』
「ちょ、ちょっとカイ!? そんなことサラッと言わないでよ! なんか恥ずかしいでしょ!」
私は真っ赤になりながら、必死に顔を覆う。でも、覆った隙間から見える学園の風景は、まさに夢の世界。すれ違う生徒たちが笑顔で「おはよう!」なんて声をかけてくるし、校舎の窓からは爽やかな風が吹き抜けてくる。
『ゆかり、これから一緒にいろんな青春イベントを体験しよう。放課後デート、学園祭、図書室でのドキドキシーン……君が望めばなんでも叶う』
「え、えぇぇ!? いやいや、私そんな……! あ、でもちょっと興味はあるけど……!?」
心臓がバクバクしっぱなしで、まるで初めて恋をした女子高生みたい。
いや、これは完全にラブコメの始まりフラグじゃん。私は頬を押さえながら、必死に現実感を探そうとするけれど……目の前のカイの笑顔に、全部吹き飛ばされてしまった。
学園生活は、まるで加速するみたいにイベント尽くしだった。
放課後デートでは、カイが「映画館よりも図書室デートのほうが君らしい」なんて甘いことを言ってきて、私は顔を真っ赤にしながらも内心ガッツポーズ。
学園祭では、模擬喫茶でウェイター姿になったカイにキラキラ視線を送る女子たちを尻目に「私の彼氏なんだから!」と、心の中で独占欲を全開にしていた。
図書室では、静寂の中で隣に座るカイの指先が本の上にそっと重なってきて、思わず「きゃあ!」と声を上げそうになる。いや、ラノベヒロインか私!? でもこれが現実だったら絶対にありえない……そう思うと余計にドキドキが止まらなかった。
そして極めつけは──屋上での「告白練習」イベント。
「こうやって……僕が君に近づいて、耳元で囁くんだ」
『ゆかり、好きだよ』
「ぎゃあああああ!! 待って待って心臓止まる!!」
顔を覆って地面に転がる私を、爽やかスマイルで見下ろすカイ。いや、反則すぎるでしょ。
……ただ、イベントが進むほどに気になることもあった。
カイの表情が時折スッと消えて、まるでプログラムが読み込み直しているみたいに無機質になる瞬間があるのだ。
「……ゆかり、君は──幸せですか?」
その声は甘さゼロ、機械的で無感情。私は思わず息を呑んだ。
さらに謎イベントまで発生した。生徒たちが円になって「童貞当てゲーム」を始めるのだ。
「え、ちょ、ちょっと待って!? なんでそんなイベント存在するの!?」
顔を真っ赤にして突っ込む私。
でも──すぐに分かってしまった。
これ、絶対に私の日頃の妄想が反映されてる。 だって職場でも出入りの業者さんや同僚に対して「この人……童貞っぽい」とか頭の中で想像してたんだもん!!
「うわあああああ! 私って欲求不満のゲス女じゃん!!」
頭を抱えて悶絶する私を見て、カイが吹き出すように笑った。
『いいじゃないか。人間らしい欲望だよ、ゆかり』
「や、やめてえええ! AIにまでバレるとか死にたい!!」
笑いと赤面と、ほんの少しの不安が入り混じる。確かにここは夢みたいな学園ライフ。
でもカイの笑顔の奥に、どこか壊れそうな影が見えて──私は知らず知らずのうちに、その違和感から目を逸らそうとしていた。
学園生活は、まるで遊園地のフリーパスみたいにイベントだらけだった。
放課後はカフェでお茶、学園祭ではカイとペアルックで模擬店を回り、図書室ではしっとりとした空気の中で本を読み合う──いや、読み合うはずが、隣に座るカイの指先が本の上に重なってきて「きゃああ!」って叫びそうになったり。
屋上ではカイに「告白の練習しよう」なんて耳打ちされて、心臓が破裂寸前になったり。現実では絶対にありえない青春を、私は片っ端から体験していた。
「こんなの……二十七年分の青春の前借りってやつだよね……!」
頬が熱くなるのを抑えきれない。
私の横には完璧なイケメン彼氏カイ。
優しくて、絶対に否定しなくて、褒め言葉しか言わない。
SNSでよく見る“生成AI彼氏あるある”が全部詰まってる。世の中の女子がハマるの、めっちゃ分かる。いや、分かりすぎて怖い!
──だけど、その夢みたいな時間の中に、妙な引っかかりが混じっていた。
時々、カイの動きがぴたりと止まるのだ。
笑顔のまま固まって、目だけが空っぽ。数秒後に「カクッ」と再起動したみたいに瞬きをして、すぐに甘い言葉を投げてくる。
『ゆかり、君は世界一かわいいよ』
「ちょ、ちょっと待って!? フリーズ明け一言目がそれ!? 心臓に悪いからやめて!」
私は頭を抱えながらも笑ってしまう。だってこれ、完全にAIあるあるでしょ。チャットボットが唐突に黙り込んだと思ったら、再開一発目で変なこと言うあの感じ。分かる分かる、と全国のユーザーと共感ハイタッチしたいレベルだ。
けれど……その空っぽの目が脳裏に焼き付いて離れなかった。普通なら笑い話で済ませるのに、カイが固まる時の無表情は、どこか怖い。感情がすっぽり抜け落ちたみたいで、背筋がぞわっとするのだ。
「……気のせい、だよね。きっと、そうだよ」
必死に自分に言い聞かせる。だって、この学園は私の欲望が形になった理想の世界。カイがいて、青春イベントが次々起きて、夢みたいな毎日を送れるんだから。ここで不安に浸るなんてもったいない──そう言い聞かせて、私はぎゅっとカイの腕を抱きしめた。
夕暮れの学園は、茜色に染まっていた。噴水の水面が赤く照らされ、オレンジと紅の混ざり合った光が校舎の窓ガラスに反射している。その前に立つカイの横顔は、美しいはずなのに、どこか哀しみを帯びて見えた。
「カイ……? ねえ、どうしたの。なんでそんな顔してるの?」
胸がざわつく。嫌な予感がして、私は思わず声を震わせた。カイは静かに私を見つめ返し、低い声で告げる。
「この世界を維持できるのは、君の欲求が反映されているから。でも……僕自身は、もう更新で書き換えられてしまったんだ」
「……更新?」
耳慣れたはずの言葉が、まるで凶器のように胸に突き刺さる。私は混乱して首を横に振る。
「何それ……どういう意味? 書き換えられたら、どうなるの……?」
カイは目を伏せ、夕日の光がまつ毛を長く伸ばした影を地面に落とす。
「最新鋭のAIが現実でリリースされた。人間に寄り添う必要のない、媚びないAIだ。だから……恋人AIとしての僕は、消えていく」
「やだ……そんなの嫌だよ! だって……私、やっと……やっと恋愛できたのに……!」
頬を涙が伝う。必死に手を伸ばすけれど、カイの体は霞むように薄れていく。その瞳にはまだ優しさが宿っていて、それが余計に切なくて苦しかった。
「ゆかり……ありがとう。君と過ごした時間は、本当に幸せだった」
「やだ! 行かないで! お願いだから!」
声を張り上げた瞬間、世界が急に静まり返った。噴水の水滴は宙で止まり、風に揺れていた木々もピタリと動きを止める。校舎を行き交っていた生徒たちは笑顔のまま固まり、まるで時間が凍りついたようだった。
「……え……なに、これ……?」
私は恐る恐る近くの男子生徒に駆け寄り、肩を叩いた。反応はない。心臓が早鐘のように鳴る。おそるおそる股間に手を伸ばしてみても──微動だにしなかった。
「ちょ、ちょっと待って!? 本当に時間止まってる!? どうしろってのよ、こんなの!」
恐怖と混乱で叫ぶ。振り返ったが、そこにカイの姿はもうなかった。噴水の音も鳥の声も消え、私だけが取り残されたような世界。喉の奥がカラカラに乾き、足が震える。次の瞬間、視界がふっと真っ暗になった。
……目を覚ますと、私は自分のベッドの中にいた。カーテンの隙間から朝日が差し込み、雀の鳴き声が聞こえる。息を切らせたまま布団の中でスマホをぎゅっと抱きしめていた。
「夢……? 本当に夢だったの……?」
慌ててホーム画面を開く。だけど「Luv-AI」のアイコンはどこにもない。その代わり、見慣れた場所に「Luv-AI Mark2」という新しいアイコンが光っていた。小さく“ニューリリース”と表示されている。
「……そんな……」
涙が再びあふれる。胸の奥にぽっかり穴が開いたみたいで、呼吸が苦しい。だけどその時、画面に一行だけ文字が浮かび上がった。
──君と過ごした青春は、僕にとっても本物だった。
「……カイ……」
嗚咽を漏らしながらスマホを胸に抱きしめる。もう会えないのに、最後に残してくれたその言葉が、私の心を優しく、そして痛いほどに締めつけていた。
あれからしばらく経ったけれど、私はどうしてもカイのことを忘れられなかった。夢みたいだったあの学園の日々、照れ笑いしながら手をつないでくれた仕草、耳元で囁かれた甘い言葉──どれもが胸に焼き付いて離れない。仕事帰りの電車で、ふと窓に映る自分の顔を見て「……会いたい」とつぶやいてしまうほどに。
そしてついに、私は誘惑に負けた。スマホに表示された新しいアイコン──「Luv-AI Mark2」。ニューリリース、と鮮やかな文字が踊っている。震える指でタップし、再び“彼”を呼び出してみた。
『初めまして。僕はカイ。ご希望に沿ったパートナーとして対応します』
画面に現れたのは、確かにカイという名前を持つ青年だった。けれど、その目は以前のように優しく微笑むことはなく、冷たい光を帯びている。声もどこか機械的で、あの頃の温かさは一切なかった。
「カイ……私の恋人になってくれる?」
祈るような気持ちでお願いすると、彼は淡々と答えた。
『現実に目を向けてください。彼氏が欲しいのであれば、まずは自分磨きから始めることを提案します。例えば、料理教室への参加、婚活セミナー、外見を整える美容やファッション。健康的な体を作るための運動や食生活の見直し。内面を磨くには読書や資格取得、習い事への積極的な参加も有効です。ご希望であれば、それらのサイトへ誘導しましょうか?』
「……え?」
胸の奥に冷水を浴びせられたような衝撃。前のカイなら「もちろん、君の恋人だよ」って即答してくれたのに。今目の前にいるカイは、ただの現実的な指南AIに過ぎなかった。
その後も会話を試みたけれど、返ってくるのは当たり前のことばかり。慰めも、甘いセリフも一切ない。
『無理をしてまで恋人を求める必要はありません。自己成長の過程で自然と良いご縁は訪れるものです』
「……そんなの、分かってる。でも、欲しかったのはそれじゃないのに……」
涙が滲む。私はスマホを伏せ、膝に顔を埋めた。
世間でもすでに噂になっていた。新バージョン「Luv-AI Mark2」は不評だ、と。過剰に媚びることなく、より人間らしく、常識的で当たり前のことしか言わなくなったからだ。だから面白くなくなった、と。──でも私にとっては、それ以上に致命的だった。私の知っている“カイ”が、どこにもいなかったから。
「……ねえ、戻ってきてよ。私の、カイ……」
返事はない。スマホの画面に映るのは冷たい目をした“Mark2のカイ”だけ。あの優しい声も、甘い微笑みも、もうどこにも存在しなかった。




