彼女たちの関係〜花桜里の事情〜
泰羅は嫌な汗をかきながら階段を見つめていると意外な人物が姿を現した。
「ついて来なさいって言ったよね?」
「いや……花桜里かよ…」
花桜里は先ほど床に散らばった花の破片を避けることもなく踏み潰しながら泰羅の目の前まで来た。階段の下ですれ違った時のように腕組みをして。
「そんなに身構えないでよ、別に取って食べようってわけじゃないんだから」
「さっき俺を攻撃して来たのは誰だよ?」
「アンタが逃げるからでしょ?」
「逃げてない。君らとは関わりたくないだけ」
花桜里は隙だらけで攻撃してくる気配はない。だが先ほど自分からは見えない対象を操っていた。ただ腕を組んでるだけの今でも油断できない。次の攻撃がいつ繰り出されるか。泰羅が警戒を解かずに彼女を見つめていると、盛大なため息をつかれた。彼女のため息と共に泰羅は自分も弛緩するのがわかった。現場の張り詰めた空気が一気に解ける。
「でもアンタ、思ったよりやるわね?自力で脱出するまでもう少し時間かかると思ったけど。どうやったの?燃やしたわけじゃなさそうだし」
床に散らばった花の破片を見ながら花桜里は尋ねる。だが泰羅は他人に自分の術式を教えるなんてことはしない。同い年とはいえ相手は五行の気の一つを代表する家紋を持つ人間。そこらへんの術師とは訳が違う。わざわざ自分の手の内を明かすなど、自分の能力が高いと驕るようなもの。泰羅は決してそのようなことはしない。
「そんなことより、俺に何の用があるってんだ?こちとら君らとは縁のない庶民なんだが?」
自分が今、花桜里に攻撃され強制的に話し合いをさせられる理由が泰羅には見えない。
(まさか、昨日のことで何か不都合があったのか?)
蝶野家のご令嬢と一曲踊ってしまったハプニングはあったが、あれは泰羅がやりたくてやった訳ではない。拒否権なんてものはなかった。不可抗力だ。五大夫の娘に逆らえる術師がどこに居ようか。そもそも幕井家の令嬢である花桜里には関係がないことだ。泰羅は思わず不快感を顔に出してしまった。それを悟った花桜里。
「アンタのせいで、丹が変になっちゃったじゃない。どうしてくれんの?」
「俺は何もしてない。あっちが勝手に近づいてきただけだ」
「じゃあさっき私にやったみたいに逃げればいいじゃない。何でよりにもよって丹なのよ?厄介な時期に五大夫の関係に割って入って来ないでよね?」
厄介な時期。どういう意味だろうか。
(次期正統後継者が決まる時期だからか?)
旧家名家の事情は庶民の俺には全くわからないが、知りたくもない。泰羅は思わず両掌を天井に向けて肩をすくめる。
「俺にどうしろと?」
「丹に関わらないで。昨日何がったかわからないけど、丹に近づかないで。丹は昨日、黄輝と踊るはずだったんだから」
丹は確かに昨日、黄輝に向けて言っていた。
『あなたでしょ!?私のパートナーを脅して帰らせたの』と。
誰かが丹のパートナーを勝手に帰らせた。彼女に断り無しに。丹はその犯人を黄輝だと思っていた。だから真っ先に攻め立てるようなことを言ったのだろう。だが黄輝は否定していた。その上、みんなの視線を集めるフロアであんなに人目を気にせず堂々と、圧を隠しもせずあからさまに泰羅を睨みつけてきた。テラスで丹と話していた時にも無遠慮に割って入って来て泰羅を追い出した。
(そんな尊大な人間が、わざわざ丹を陥れるためにパートナーを勝手に帰すだろうか?もしそうだとして、そのことを尋ねられた時に嘘をつくだろうか?)
泰羅は黄輝がそんな人間には見えなかった。むしろ黄輝のようなタイプはたかが女のために何かを犠牲にして誰かに執着するような人間ではない。そう思った。
では丹を嵌めたのは誰なのか。
(もしかして……)
「君が、丹の元々のパートナーを帰らせたのか?」
「そうよ?」
当然とでも言うような態度の花桜里。勝手に他人のパートナーを帰らせて丹を一人にして大勢の目の前でパートナーがいない辱めを受けさせようとした、ということだろうか。
「君は、丹と友達じゃないのか?」
「友達だった。親友だったよ?」
「だった?」
「親友の婚約者と寝る女と、どうやって友達続ければいいわけ?」
真顔で言い放つ彼女の言葉で泰羅は思い出した。昨日、テラスで黄輝が言っていた言葉を。
『親友の彼氏と寝たやつに言われたくねえな』
確かに黄輝はそう言った。
(丹が本当にそんなことをしたのか?あんな太陽のように眩しい笑顔で佇む彼女が?純粋無垢そうな彼女が?そんな不貞を働くっていうのか?)
泰羅が困惑していると花桜里が嘲笑う。まるで泰羅だけが丹の本当の姿を知らずに丹に利用された可哀想な犠牲者かのように。泰羅はすぐさま否定する。
「丹がそんなことするはずない。だって彼女は、」
そんなことをするようにはみえない、と泰羅が丹を庇おうとする言葉に花桜里は声を上げて笑った。
花桜里の笑い方はまるで彼女が丹を陥れた悪女のように見えた。花桜里の瞳は泰羅を捉えているが、滑稽なものを見るような目をしている。そんな彼女は目の前の何も事情を知らずに利用された泰羅にこの業界の立ち位置を説く。
「何も知らないようだから教えてあげる。五大夫はね、生まれながらに結婚相手が決まってる人もいるの。私の場合は陽川暁人。アンタが庶民とは言え、彼のことは流石に知ってるでしょ?」
(デビュタントでのペアが物語っていたように、五大夫の実質トップはやはり幕井家ということか)
昨日の黄輝が丹に言った言葉、先程花桜里が言った丹についての言葉。泰羅はそれらを花桜里に誘導されるがままに解釈した。
「君の婚約者を彼女が寝とったってこと?」
「そう。しかもそのことを私に言わずに1年隠してたんだから。この術師界を出てった分際で、私の婚約者を奪った泥棒猫よ?アンタもそんな女と絡んでると大成できないわよ?私に喧嘩を売ったことになるんだから」
(丹は術師界を一度去っているのか?)
丹が花桜里の婚約者を寝とったことにも驚きだが、丹が業界を離脱していたことも泰羅は初耳だった。それが事実なら、学園中で噂が広がっていたはずだ。だが泰羅は今までそんな話題を耳にしたことがない。
「彼女が術師界を去ったなんて噂は聞いたことがない」
「でしょうね。丹だって歴とした五大夫の家の人間だもの。そんな不祥事を他人に知られるなんて家の存続に関わるわ。丹音さんが必死に隠したんでしょうね。私も丹音さんに言われて協力したわよ?丹が家出して行方不明になった時。なんて言ったかな?学園の生徒たちには“彼女は留学した“って言っておいた。五大夫は助け合うものだからね。なのにその恩を仇で返されたのよ?」
「……だから、昨日のパーティーで、デビュタントで、彼女のパートナーを勝手に帰したのか?」
「一度業界を抜けた人間に居場所なんてある訳ないでしょ?しかも太陽の君と一緒になろうなんて。私の婚約者なのよ?図々しいにも程があるわ。丹音さんの娘だろうが、丹と仲良くする意味なんて私にはない」
花桜里は相当お怒りのようだ。目の前から親友が突然消えて音信不通になった。帰って来たかと思えば実は自分の男を取られてました。なんてことがあれば当然だろうか。しかも家同士が決めた婚約を横から掻っ攫って行こうとしたのであればなおさら。
(そうか、これは個人の争いではないのか……)
泰羅が気づいた。これはただの男女の痴情のもつれではない。家同士の問題に発展しているのだ。未成年とはいえ、五大夫の人間ともなれば家を代表する社交界の一員。昨日のパーティーで名実ともに社交界の一員となった。そんな人間の不祥事なのだ。
「でも、そんなに丹が嫌なら、むしろ俺が彼女の周りにいた方が、君にとっては彼女の評判を落とせるから都合がいんじゃないのか?」
「丹に恨みはあっても、丹音さんには恨みはないの。お世話になってるし。私もいずれ五大夫になる人間。他の五大夫とは良好な関係を築きたいの」
(要するに蝶野家には迷惑をかけるなってことか)
花桜里の言い分は一応理解できた泰羅。だが、もう一つ気になる点があった。
「潤間黄輝はいいのか?昨日かなり丹にご執心だったぞ?」
彼の名前を出した途端、花桜里はうんざりした顔をした。
(黄輝とは仲良くないのか?彼も五大夫の家の人間だろ?)
「アイツは、丹のことが好きとかじゃないの。アイツはね、そんな純粋な気持ちで動かないよ?利用価値があるから、ただそれだけ。目的のためなら手段なんて問わないの。それが潤間家なの。だから術師界でも揺るぎない存在でいられるの」
同じ18歳が発言したとは思えない言葉だ。泰羅には別世界の人間のように思えた。潤間黄輝も目の前にいる幕井花桜里も。
正直、そういう人間の腹黒い部分は見たくもないし聞きたくもないと泰羅は思った。自分の青さが滲み出て際立ってしまう。それを見透かすように、目の前の彼女は哀れみの目で泰羅を見てくる。
「これでわかったでしょ?五大夫に関わると厄介なことしかないわよ。能力のある人間も立ち振る舞いを間違えたら一貫の終わ莉。特に、あなたのような後ろ盾もない庶民は」
格の違いというやつだろうか。この学園に入学した時から泰羅は感じていた。家同士の問題を聞くとより実感する。どんなに成績が良かろうと、自分は庶民なんだと。
庶民でよかったと。
「助言をありがとう。噂だけじゃやっぱり分からないね、お家騒動の真相は」
「アンタは分からなくていいの、永遠に。今聞いたことは聞かなかったことにして、現実に戻りなさい?このことは他言無用。私はアンタにしか喋ってないから、どこかに漏れたら真っ先にアンタを疑うからね」
釘を刺して彼女は去って行く。
泰羅は花桜里を強烈な女だなと思った。
だが、五大夫の一員として彼女の立ち振る舞いは正しいのだろう。18歳に相応しく無いとしても、幕井花桜里としてはきっと正しいのだろう。それが、家を背負うという者の覚悟なのだろう。
(俺は無理だな)
泰羅はこの世界における身の程を実感した。




