第七世代(2080年〜)
2050年代の夕暮れ町は、
坂上一翔、池田 逢星という2名の天才芸術家を世の中に輩出いたしました。
そしてその名は全国に轟き、ついに夕暮れ町は、『芸術の最前線』と呼ばれる町になったのでした。
夕暮れ町では、10年に1度、『夕暮れ技術祭』が開かれることになりました。
世界中から作品が集まる、大イベントです。
この芸術祭がきっかけで、坂上家と池田家は対立を深めていくことになりました。
奇しくもそれは、『宗教という閉鎖環境に縛られ続けた』坂上家と、『己の血に争い続けた』池田家の対立という、
数奇な出来事にございました。
そして今、2080年度、だ一回夕暮れ芸術祭が開幕しようとしています。
このような環境で、夕暮れ町の三家には、どのような子供が生まれ、どのように育ち、どのような運命に巻き込まれるのでしょう。
それでは観察を開始いたしましょう。
[ケースA]
2080年の坂上家はこんな状況です。
坂上家立地:坂の下に駅があり、勾配の上に立っている。 住宅街で、周りは宗教活動が盛んである。
信者以外の人間を、咎めるわけでもないが勧誘は続き、暮らす身としては窮屈。
何せ急勾配のてっぺんに家があり、車がないと生活は不便である。
坂上翔一が、初代夕暮れ芸術祭大賞を受賞している。
教団は、イメージ向上を図り坂上家を取り込もうとする。 教団と組めば、メディアに顔が利き、賞に対しては有利に働くが、 坂上家にとっては障害の象徴のような組織である。
坂上家夫:坂上一翔、『語らない語り手』として世界中に名を馳せる芸術家の一人。 教団から母への嫌がらせを、受けてきた。
2080年度、第一回夕暮れ芸術祭大賞を受賞している。
坂上家妻:(第一世代、池田家夫のファクターを使用)怠け者。うつ病の傾向がある。親離れできておらず、無趣味である。
家族や他人に対して一切の興味を持たず、親の介護のことばかり考えており、
親を二人とも良い施設に入れる傾向にある。
坂上家(2080年)のポイントです。
環境と社会的背景:坂上家の住まいは、急勾配の上に位置し、交通の便が悪いものの、静かな環境が創作活動には適している。周囲の宗教活動は依然として盛んであり、教団からの勧誘や圧力が続いている。
一翔の芸術活動が世界的に評価される中、教団は彼を利用しようと接触を試みるが、一翔はこれを拒否。その結果、家族への圧力が増し、特に子供たちに影響を及ぼす。
芸術と宗教の狭間で:一翔の芸術は、言葉を用いずに感情や思想を表現する「語らない語り手」として知られ、2080年の夕暮れ芸術賞で大賞を受賞。
この功績により、坂上家は芸術界での地位を確立するが、教団との対立も深まる。
子供たちは、父の芸術と母の宗教という相反する価値観の中で成長し、それぞれの道を模索することになる。
坂上 透
誕生:2081年|性別:男|長男
【0~6歳】
父・一翔が夕暮れ芸術賞を受賞した翌年に生まれました。
乳児期から夜泣きも少なく、「泣かない子」として静かに育ちます。
母が精神的に不安定な時期、透は幼児ながら「そっと視線を外す」ことで空気をなだめたそうです。
翔一は透の事を、自伝でこう、回想しています。
「透は、気配で語る子だ。自分よりも“沈黙を深く知っている気がする”」
【7~12歳】
教団の勧誘が家に頻繁に来るようになる。「透くんだけでも来てみない?」という声に、首をかしげて笑って済ませたようです。
父から直接“芸術”を教えられたことはありませんが、毎晩、無音のインスタレーション映像を一緒に見る習慣があったようです。
教団の若手信者に「お前の家の芸術は、神がない」と言われ、透は一言も返しませんでした。
後日、机の上に《神が黙っているときのかたち》と銘打たれた絵が置いてあったそうです。
【13~15歳】
何があったのか、突如、学校で発語をやめました。
母親は責任を感じ「教団に祈祷してもらおう」と奔走します。父は「今は言葉がないだけ」と静かに庇いました。
透は“筆談詩”を始めました。文章は詩のようだが、意味がない。“■■■■■■■■”というようなブロック文字の羅列です。
これが内容は読む者によって違うとされ、「詩ではなく、鑑賞者の心が投影される鏡」として注目され始めます。
第二回夕暮れ芸術賞は、池田 逢星が受賞。父親も優秀賞に選出されます。
【16~18歳】
「くちなし」という偽名で、夕暮れ芸術賞ジュニア部門に応募。《記憶の外を歩くための地図》というインスタレーションが話題に。
優秀賞を受賞します。受賞後、インタビューで記者に「あなたにとって“語ること”とは?」と訊かれ、
「……僕は“沈黙”から来たんです。だから、言葉は今も借り物です」
と、人生で初めて自発的に語ったようです。
【19~20歳】
都市圏の大学で芸術記録論を学びます。卒業制作は「記録不可能な演出」。
内容:ある時間・ある空間でだけ起こる出来事を一切記録せず、関係者が語ることも禁じる“沈黙契約”を交わす。というもの。
彼が、偉大な父翔一の息子であることが世に知られたのはこの直後でした。彼は、親の力も借りず一人で、大芸術家への道を踏み込んだようです。
教団からの勧誘は未だ続きます、「その話は、僕じゃなくて父にすればいい」とやんわり拒絶しています。
坂上 直人
誕生:2083年|性別:男|次男
【0~6歳】
透とは違い、生まれた瞬間から主張する子だったようです。
泣く、叫ぶ、笑う。音で世界に反応するタイプで、母親から「この子は“生きてる”感じがする」と可愛がられます。
入信した母親に、教団に連れて行かれ、“幼児向け祈祷体験”などを通して、「褒められることで落ち着く性格」が形成されます。
【7~12歳】
母親と共に教団イベントに積極参加します。歌やスピーチで「信仰は力だ!」と語り、大人たちから拍手を浴びます。
一方で、家で透に話しかけても無反応でした。「お兄ちゃん、やっぱおかしいよ」と距離を置きます。
この頃、教団内で“未来の説教師”と目されるが、「この中にいても、何かが嘘だ」と内心では感じ始めてはいたようです。
【13~15歳】
透の作品が話題になるなか、「兄を否定してきたのに、世界は兄を称えている」ことに混乱しました。
教団幹部から「家族の名声を広げていくのも信者の役割だ」と言われ、プレッシャーを感じました。
夜、透に対して小さく呟きます。「なあ、お前って、どうして全部しゃべらないんだよ……俺は、全部しゃべっても苦しいのに」
それに対して、兄透からの答えは、やはりありませんでした。
【16~18歳】
教団から“後継ぎ候補”にされるが、今のところはそれを拒否しています。
反動で教団を非難する活動に加わりかけるが、兄に初めて制止されました。
「お前の声を、また“誰かの武器”に使わせるのか?」
という兄からの言葉に、
「……じゃあ、俺は何を信じればいいんだよ?」
と直人は苦悩します。
この問答のあと、直人は初めて詩を書きました。 それは、兄への手紙のような、一人語りのような、小さな作品で、これが世間に公表されることはありませんでした。
【19~20歳】
現在、都市の対話カフェ“Quiet Exchange”にて無言相談員として勤務しています。
どうやら、教団がスポンサーについていそうです。
人の話を“聞き取らず、ただその場に居る”という支援スタイルです。
母とは距離を取りつつ、父とも目を合わせず、兄の背中だけは今もずっと見ています。
「兄貴は語らないけど、俺が誰よりも兄貴の言葉を聞いてたと思うよ」と、のちのインタビューで語っています。
結論:坂上兄弟(透と直人)
•透は、「語らないまま、語りきった者」。
•直人は、「語りすぎて、ようやく黙れるようになった者」。
* * * * *
[ケースB]
2080年の池田家の状況です。
池田家立地:代々からの大地主の家で、近くに立派な池がある。 この家の『長男』は、10代のどこかに必ず大殺界が訪れ、
大病or大怪我を引き起こす。場合によってはそこで死ぬことも。 近くに家はなく、外部との接触は元々薄い。
莫大な額の家賃収入が毎月入ってくる。
夕暮れ芸術賞をめぐり、坂上家とは激しい対立関係にある。
それにより、池田家が選んだのは、『より池田の血を濃くすること』だった……。
池田家夫:池田 凰夜(第六世代、池田 凰夜に準ずる)池田 逢星の父親であり、夫となった。 坂上家に対して、並々ならぬ敵意を持っている。
池田家妻:池田 逢星(第六世代、池田 逢星に準ずる)池田の血を濃くするために、人道を外れる。 父(そして夫)の考えは一定の理解を示す。 2090年度、第二回夕暮れ芸術大賞を受賞している。
池田家(2080年)のポイントは以下の通りです。
時代背景:芸術都市化した町。夕暮れ芸術賞の開催地。
家系の方針:「坂上家に勝つ」ため、遺伝子を濃縮していく池田家。
経済状態:地主として莫大な不労所得があるが、外部交流は希薄。
社会的立場:夕暮れ芸術賞の初回・二回を制した家として、権威的ポジションにある一方で、倫理的には孤立しつつある。
長男:池田 朔(2081年生)
[ 0~10歳]
生後すぐに芸術的才能を示しました。「言葉を覚える前に筆を握った」というエピソードまであります。
5歳で自宅地下室の「白壁」に独自の線描を始めます。後にこれが『朔ノ書』の原型となります。
8歳時、大殺界が襲来します。池の縁で転倒し、右目を失明しました。
医師からは「遺伝的な空間把握障害」と診断されます。
外界との接触を絶ち、家族すら通さず独自言語で詩文を書くようになります。
[ 10~20歳]
母親が第二回、夕暮れ芸術賞大賞を受賞しました。
12歳時、自作の詩画集『朔ノ書』が一部の芸術家の間でカルト的流通をします。
2090年(19歳)に、母・逢星と同時出展した作品が、夕暮れ賞ジュニア部門で「特別芸術賞」を受賞。
インタビューなどは拒否。露骨に坂上一翔に対峙する存在として注目されました。
この時の彼の活躍を、母逢星は「息子の作品は、家系の血が叫んでいるだけです」と語っています。
次男:池田 柊司(2084年生)
[0~10歳]
生まれつきの心臓疾患を持ち、手術を複数回行ったとあります。
外出はほぼ不可で、完全に無菌室で育てられました。
視覚と聴覚だけで育ったため、語彙力は非常に豊かだったとされます。
9歳頃から兄・朔の詩を一言一句記憶するようになり、「口述写本家」として評価されました。
兄と共に、池田家の芸術の担い手として期待されますが、
2094年、10歳で心停止。遺体は池の底に埋葬され、記録には残されませんでした。
彼の死について、世間的に大きな憶測を呼び、池田家にも大きな影を落とすことになります。
長女:池田 灯(2085年生)
[ 0~10歳]
比較的健康な体で生まれ、母逢星から最も冷遇されたようです。
幼少期より他家の子供に憧れ、家を飛び出そうとしますが未遂に終わります。
9歳時に次兄・柊司の死を目撃し、以後、自分を"器"と称するようになったようです。
[ 10~20歳]
自身の名前「灯」をテーマに連作写真作品『消灯』を発表します。
2098年(13歳)で精神科に強制入院。当時、世間的に池田家は風当たりが強く、「池田家の闇を作品化した」として一部メディアが取り上げ、騒動になりました。
17歳で退院後、全作品を削除しました。「名前も返上したい」と語り、池田姓を勝手に名乗らなくなり、家を出ました。
行方不明となるも、2101年に坂上直人の講演会に客演していたことが判明しました。
三男(早世):池田 悠馳(2087年生)
生後半年で死亡してしまいます。
家系内では「血が薄かった」「器でなかった」などと語られ、**事実上“記録から抹消”**されています。
墓は存在せず、池があった更地を「無標識墓所」として、そこに遺灰がまかれたとされています。
結論:池田家の方針と未来
・2090年以降、血の純度をさらに高めるため「自己分裂的な婚姻」が囁かれ始める。
・芸術の名を借りて人間性を削り、作品化されることを前提に子を育てる家系となりつつある。
* * * * *
[ケースC]
2080年の山浦家の状況です。
山浦家立地;池田家とまでは行かなくとも、裏に山を持つ地主である。 あたりは、住宅街で周りの人間との交流は多い。
街までのアクセスは良く、徒歩圏内に商店街や、スーパー、 本屋に映画館、最近では、劇場に音楽ホール、アトリエなどが乱立し、世界的に賑わう商店街に。
第六世代、商店街復興ボランティアや、芸術家サロンの主催、商店街の発展などに力を入れ続け、活躍した山浦 陽太とその息子、山浦 彰映が、裏方的に、芸術の街の基盤を作った事で評価を受けており人々の尊敬を集めている。
山浦家夫:山浦 彰映。(第六世代、山浦 彰映に準ずる)今や商店街の重役となっており、夕暮れ芸術祭にも関わっている。
坂上家の長女と結婚したが、池田家と坂上家に対しては対等に付き合っている。 この年代で活躍した芸術家たちにしてみれば顔の上がらない人物である。
山浦家妻:山浦 縁(第六世代、坂上 縁に準ずる)兄、翔一を尊敬する妹にして、本人も芸術家である。
結婚後は良い意味で実家や兄とは距離を置いた。 祖父:山浦 陽太(第六世代、山浦陽太に準ずる)大手出版社「無声文庫」創立者。 飢饉や戦後の商店街を守り抜き、山浦 彰映を育て上げた。
山浦家2080年のポイントです。
• 裏に山を持つ地主。山の一部は「山浦記念緑地」として市に提供され、劇場・音楽ホール・彫刻庭園などに再整備されている。
•商店街への徒歩圏に位置し、近隣住民との交流が活発。
•周囲からは「暮らす文化資産」として尊敬を集める。
•夕暮れ芸術祭のホストファミリー的立場にあり、坂上家・池田家のどちらにも礼を尽くす中立的名門家系。
長女:山浦 響葉(2082年生)
[ 0~10歳]
生後9か月で「風鈴の音」に反応し微笑んだそうです。1歳半で五音階のフレーズを口ずさみました。
3歳で地元ホールの舞台袖に忍び込み、音合わせのピアノを無断で演奏したことが、問題になります。
6歳にして初めての自作曲「よく晴れた午前九時」を発表しました。
彰映・縁は音楽英才教育には手を出さず、自然な成長を重視しました。
[10~20歳]
10代で複数のインディーレーベルからオファーが来ますが、本人は「町の音だけで構成する音楽」に興味を持ち、自宅地下でフィールドレコーディング活動を続けます。
17歳で作曲した「裏山の光景」は、2099年・第三回夕暮れ芸術賞でオープニング演目に選出されました。
演奏を聴いていた池田逢星が、「山浦家にだけは敵わない」と漏らしたという逸話が残っています。
次女:山浦 灯湖(2085年生)
[ 0~10歳]
非常に口数が少なく、代わりにスケッチとメモ帳を常に携行していました。
5歳のとき、家の周囲を記録した観察日記『音のない日報』が商店街掲示板で話題になります。
9歳時に図書館でボランティアを始め、地元の古書修復プロジェクトに関与しました。
[ 10~20歳]
「人の営みを記録する」ことに情熱を注ぎ、14歳で商店街100年誌の副編を任されます。
坂上透の作品を密かに支持しており、家族と坂上家の間の非公式なパイプ役を果たすようになったそうです。
19歳時、『光の当たらない美術展』という企画を商店街で主催し、「縁の思想」を現代的に再解釈したと評されました。
三女:山浦 詠実(2087年生)
[0~10歳]
姉二人と対照的に、芸術活動には強く抵抗的でした。
普通の生活、普通の友達、普通の家庭に憧れ、ついには「普通クラブ」を自宅で開催したのだとか(参加者5名)笑。
10歳の誕生日に「私は町の主役にならない」と謎の宣言をしました。なんというか、ここの姉妹然としてますね。
[10~20歳]
12歳から地域福祉活動に力を入れ、保育・介護ボランティアなどで町の高齢者たちと親交を持ちます。
17歳で“若年者生活支援条例”の制定活動に関与しました。
町の一部からは「芸術バブルに呑まれない良心」として、静かに支持されているそうです。
長男:山浦 嶺(2090年生)
[ 0~10歳]
彰映が高齢で授かった唯一の男子。家中から過保護気味に育てられます。
5歳で「市長になる」と突然宣言。周囲は微笑ましく受け取るが、本人は本気でした。
小学入学時から政治・法律関係の本を読破。演説の練習も始めます。
[ 10~20歳]
12歳で「山浦家と芸術都市の関係史」という論文を地方史フォーラムで発表。
17歳から「商店街青年会議」に参加し、町づくりへの参加を本格化します。
将来的には父・彰映の役職を継ぎ、芸術都市の行政的ハブになることが期待されます。
坂上家とも池田家とも等距離を保ち、若者ながら外交センスに長けた稀有な人物と評価されています、が、一方では、芸術面を評価できる才能はあるのか? と疑問視されています。
• その後……
•響葉、灯湖、詠実、嶺――全員が違う道を進みながらも「町との縁をつなぐ」という共通理念を共有。
•坂上・池田のような「芸術の暴走」とは別のカルチャーを構築しようとする。
•2100年の第四回夕暮れ芸術賞では、山浦家の全子女による**合同作品(ドキュメント×音楽×空間演出)**の出展が噂される。
2080年、芸術祭が開始され、三家とも波乱の年に御座いました。まさに群雄割拠。
坂上家は、兄と弟で違う景色を目指し、池田家は『芸術』という生き残りの道を苦悩しながら模索し、山浦家は中立的な立場にもかかわらず芸術家を大量放出し……
いわゆる第七世代は「終わってみれば山浦家の一人勝ちだった」と評されました。
次の世代では、何が待っているのでしょう。
観察の旅も、いよいよ大詰めです。