第六世代(2050年〜)
夕暮れ町も6世代目に向かっていきます。
戦後の復興もひと段落し、長く続いた飢饉もようやく治りました。
そして、夕暮れ街には春の時代が到来しました。
好景気、そして、土地の資産価値が高騰します。
戦争と飢餓。抑圧に次ぐ抑圧を重ねてきた市民たちの時代は終わり、
平和と自由を謳う世の中となります。
これに伴い、芸術活動が活性化いたします。小説、音楽、写真、絵画に加えて、詩の朗読までもが職業として認知されはじめます。
そして、ベビーブームも到来。「産めよ殖せよ」をスローガンに子供を多く作りたがる傾向があるようです。
一方で、未だ非合法の薬物が横行しております。
このような時代はこの街に、ある二人の天才芸術家を産むことになりました。そしてそれは後により巨大な本流へと合流していきます……。
このような環境に産まれた子供は、どのような子に育つでしょうか。
観察していきましょう。
[ケースA]
坂上家の2050年の状況です。
坂上家立地:坂の下に駅があり、勾配の上に立っている。 住宅街で、周りは宗教活動が盛んである。
信者以外の人間を、咎めるわけでもないが勧誘は続き、暮らす身としては窮屈。
生活が裕福になると、自由を謳う市民色で宗教の力は徐々にマイノリティーになっていき、 むしろ教団は毛嫌いされて避けられるようになるが、
そうなった時に市民から裏切られた教団がどう変わり、 世間に対してどういう行動を起こすのかは未知なところがある。
何せ急勾配のてっぺんに家があり、車がないと生活は不便である。
坂上家夫:(第一世代、坂上家夫のファクターを使用)平凡なサラリーマン。年収は450万。 趣味も特にない灰色の人生。
坂上家妻:坂上 澪奈(第五世代、坂上 澪奈に準ずる)相変わらず教団とは険悪であり、嫌がらせを受けている。
坂上家(2050年)のポイントは以下の通りです。
地域:信仰共同体は少数派化。表面上は平穏だが、かつて信仰に傾倒した家庭への偏見も一部残る。
教団:“市民による裏切り”として被害意識を強め、選ばれし者思想/報復的活動に傾き始めている。
社会:芸術と自由が称揚され、「自分を語れる者=生きる価値がある」という風潮。
子育て環境:高福祉化。教育支援・医療・住環境は整備され、特に“表現分野の才能支援”が厚い。
子供:経済的には、二人の育成が限界。澪奈の兄弟を持たせたいという願望から二人に。
◆ 長男:坂上 一翔
【0~6歳】
澪奈が毎晩語る“無名の民話”と、何も言わずに隣にいる父のバランスで、穏やかに自己像を形成します。
教団の信者が、定期的に“家の外”に貼り紙や手紙などの嫌がらせ行為を行うようになります。
母、澪奈はそれを一翔に見せ、「これは相手の“語りたさ”でもある」と説明したようです。
【7~12歳】
詩を褒められ、「才能がある」と言われるが、自分では“どこか嘘を書いている”と感じて悩むようになります。
校内コンテストで賞を取り、テレビ取材を受けた夜、母にこう言いました
「おれが書いたのは『誰かに褒められる文章』で、ほんとのおれの言葉じゃない」
母はそれに対し「その気づきのために、まず一度褒められてよかったんだよ」と言ったのだそうです。
【13~15歳】
教団の「次世代向け公開対話プログラム」に“無記名で”応募しました。
自分の文章を「無名の子ども」としてぶつけました。
「あなたの神は、私の沈黙をどう扱うつもりですか?」という一節が、内部で波紋を呼びます。重たい言葉です。
これに対して教団は沈黙。一翔は「“何も返ってこない”という答えを、初めて体験した」と、のちに記しています。
【16~18歳】
詩・エッセイの才能が認められ、自治体主催の若手作家育成プログラムに選出されました。
しかし、一翔は「誰かに読ませるつもりで書いてない」と辞退したそうです。
最終的に、10代にして小屋を借りて「声のない詩展」というものを主催しました。
【19~20歳】
一翔は今、詩を書かない詩人/語らない語り手として活動しています。
インスタレーションや“喉を震わせるだけの声楽パフォーマンス”など、
言葉の未満/以外を追う作家として世界から注目され始めています。前衛的ですね。
母・澪奈とは月に一度だけ、手紙でやりとりするようになりました。
◆ 長女:坂上 縁
【0~6歳】
言葉の発達は平均よりやや遅いが、誰も気にしなかったようです。
泣かず、騒がず、静かにその場に“在る”だけの存在でした。
親類からは「この子、本当に見えてる?」と冗談めかしく言われるが、実際にはすべて観察していたようです。
【7~12歳】
学校では「自己主張のない優等生」だったようです。
クラスの友人が不登校になった際、その子の家庭の様子を“誰にも頼まれず”観察し、担任に報告したというエピソードが残されています。
日記では一貫して「私は、ここにいるだけでいい」と書いてあったようです。小学生の言葉とは思えませんね。
【13~15歳】
兄、一翔の活動(声を使わないパフォーマンス)に強く影響されました。
ノートに詩のような断片を記し始めるが、すべて“他人の視点”で描いたようです。
例:
「あの子が笑った。でも私は、あの子じゃない。 でも、あの子の笑顔が“私を写したもの”だったら、私はあの子を消してしまったのかもしれない。」
誰にも見せず、記録することが存在証明という信念を持ち始めました。
【16~18歳】
兄・一翔が“語らない芸術”を打ち出す一方、縁は誰にも知られない日々”をアーカイブし始めたそうです。
方法:毎日、町の無人交差点/古本屋の窓/捨てられた靴などの写真を一枚だけ撮る。 → それを日記に貼り、脇に「その日に自分が言わなかった一言」を書き添える。
【19~20歳】
匿名のまま、“無言日記”という形式の展示を企画します。
展示内容:無人の町の写真、言葉の断片、音のない録音ファイル、誰の声か分からないつぶやきなどです。前衛的ですね。
評論家に「この展示は“消えていく人々の救済”だ」と絶賛されます。
この時期、彼女が残した発言に、
「私は誰も救いたくて書いてたんじゃない。 誰かが“見られてたことを忘れないように”したかっただけ」 というものがあり、
この発言が、SNS上で共感を呼び、若者世代を中心に“静かな記録ブーム”が起きました。
◆ 坂上家(2050年)第六世代 結論
坂上家は、「語る者」を代々受け継いできた家系だった。
2050年、その語りは“言葉を超えて生きる方法”へと進化した。
一翔は、語らずに世界を揺らすことを選び、縁は沈黙の中で世界を記録し始めている。
坂上家は、語る力を“他者に押し付けない”ところまで到達した家になった。
* * * * *
[ケースB]
池田家の、2050年の状況です。
池田家立地:代々からの大地主の家で、近くに立派な池あったが、今は更地である。
この家の『長男』は、10代のどこかに必ず大殺界が訪れ、大病or大怪我を引き起こす。 場合によってはそこで死ぬことも。
近くに家はなく、外部との接触は元々薄い。 莫大な額の家賃収入が毎月入ってくる土地価値の高騰した今、池田家にも大きく影響するに違いない。
池田家夫:池田 凰夜(第五世代、池田 凰夜に準ずる)匿名の詩人として活動中。薬物は未だに捨てられずにいる。そしてそれを妻には言えないでいる。
池田家妻:(第一世代、坂上家妻のファクターを使用)弟が引きこもりで、母親が弟を溺愛している。息子には真っ当な道に進んでほしい。
池田家(2050年)のポイントは以下の通りです。
経済:土地価値は爆発的に上昇。池田家は“都市近郊の幻想”として土地開発話が絶えない。
社会:芸術が称揚され、家系の歴史そのものが「作品」として価値を持つ時代に突入。
家の空気:資産があるのに、家自体は無機質で無言。**“誰の物語も始まらない家”**として重く沈む。
子供:母は二人目を望んだが、精神的に凰夜と接点が持てないこと、家系への不信感から断念。
◆ 長女:池田 逢星
【0~6歳]
母は絵本・習い事・健康食など、都市的な育児方針を徹底させました。
父・凰夜は妻と、日中もろくに話さず、夜になってから「詩」を彼女の机に置きました。(え……)
逢星は、“父が何かしていること”だけを記憶する子になります。
【7~12歳】
友達の家に遊びに行ったあと、逢星は、
「なんで私の家だけ、誰も喋らないの?」と良心に問いかけました。
母は「喋っても壊れないものだけが、ここにはあるの」と答えますが、逢星は納得できませんでした。
そして、薬物らしきものを発見(父の机にある微細な粉末と吸入器)してしまいます。
逢星はこの時から「父を助けたい」と思い始めます。だが、それを母にも言えませんでした。
【13~15歳】:大殺界と“語りかけてくる記録”
14歳の時です、突然の失語症状にかかりました。脳に異常はありませんでした。
医師からは「ストレス性の選択的沈黙」と診断されます。
以後、学校で口をきかなくなりますが、筆談・演劇などを通して表現は継続させていきました。
こっそり、父の“詩の箱”をすべて読み始めました。 → 内容は、母への詫び、自分への許し、そして「名前のない子ども」への語りかけだったとあります。
逢星は“自分に宛てて書かれていた”ことを、ようやく理解しました。
【16~18歳】
学内演劇で『声のない詩の朗読』という企画を主催。
→ 最後に、父の詩を引用。「名もなき娘へ」という一節に、観客が涙。
その日以降、凰夜は薬を減らし始めます。逢星には伝えないままでした。
【19~20歳】
現在、街のコミュニティセンターで『言えなかったことを代わりに詩にする活動』をしています。
市民から言葉にならない記憶を集め、それを「詩」に変えて返るという活動です。
これにより彼女は、世界的に有名な芸術家となりました。
地元では“声を失ったことのある詩人”として知られはじめています。
◆ 池田家・第六世代 結論
•逢星は、「語れなかった父」と、「語っても壊れていく母」の間で、**“他人の声を借りて生き延びた”**存在。
•彼女の強さは、「自分の言葉で立つこと」ではなく、**“他人の沈黙を代わりに語ってやれる優しさ”**にある。
・ 池田家は、最後に“声を返す者”を生んだ。土地ではなく、血でもなく、『記録でもない“声そのもの』を愛した存在だった。
* * * * *
[ケースC]
2050年の山浦家の状況です。
山浦家立地;池田家とまでは行かなくとも、裏に山を持つ地主である。 あたりは、住宅街で周りの人間との交流は多い。
街までのアクセスは良く、徒歩圏内に商店街や、スーパー、本屋に映画館など、立地的には恵まれてるといえる。
春の時代の到来で、 商店街も発展するに違いない。
山浦家夫:山浦 陽太(二世)(第五世代、山浦陽太二世に準ずる。)商店街復興ボランティアに力を入れるなど、芸術の裏方役に回っている。
商店街復興委員/文庫管理/対話サロンの裏方/若者支援基金の立ち上げにも関与。
坂上一翔(第六世代、坂上家長男)とは、「無音空間の調律」イベントで協業。
池田逢星(第六世代、池田家長女)とは、彼女の詩を「読むことなく受け取る人」として定期的に手紙をもらっているなど、交流はある。
山浦家妻:(第一世代、池田家妻のファクターを使用)
親が厳しく、自分の判断で大きな決断をしたことがない。結婚も、親からの命令で、親が選んだ人を夫とする。結婚してからは恋愛癖が生じ、ホスト通いがやめられなくなる。
教育熱心な家で育ち、恋愛は「禁止されたもの」だった。
結婚=家の義務と捉え、陽太に感情的な結びつきは希薄。
結婚後、街で知り合ったホストに心を持っていかれ、二重生活のような状態に。
山浦家(2050年)のポイントは以下の通りです。
商店街:春の時代。空き店舗がほぼ再生され、若者の出店・芸術展示が活発化。
芸術交流:町ぐるみでアートフェスが定着。
山浦家の役割:“静かで温かい裏方”として町の信頼を集める拠点。
子供:妻が子どもを欲しがったわけではないが、「この家にいて当然だから」と出産。
子どもは、陽太が中心となって育てることに。
◆ 長男:山浦 彰映
【0~6歳】
陽太が毎朝、小さな焚き火を炊き、その火を見せながら語らずに子を抱いたそうです。
母・希光は、食事・服・遊びの段取りは完璧でしたが、感情の接続を試みようとはしませんでした。
彰映は、「父の無言のあたたかさ」と「母の冷たい手の動き」を両方記憶に焼きつける子として育ちます。
【7~12歳】
学校では、感情の起伏が少ないが、誰かが泣いていると必ず一歩近づくタイプでした。
担任に「この子、言葉で慰めるのは苦手だけど、存在が“慰めそのもの”みたいです」と評されました。
週に一度、父とともに商店街の展示準備を手伝うようになります。
【13~15歳】
母・希光が突然家を出て、2週間帰リませんでした。その間、父は何も言わず、いつも通りの日々を送っていました。
彰映は、何も問わず、その背中を見ながら「父も痛みを黙って燃やしながら生きている」と察したそうです。
【16~18歳]
彰映は、商店街の古民家を改装して“展示しない展示館”を企画しました。 開館日、最初に訪れたのは同年代の芸術家、坂上縁だったそうです。 彼女は展覧会にて「ちゃんと聞こえるね」と感動して帰った。というエピソードが残っています。
これが、彼らの出会いでした。
【19~20歳】
彰映は、商店街の案内板や、観光ガイドブックの編集を手がけるようになりました。
しかし、そこに「この町は誰が語った?」という言葉は一度も載せませんでした。
代わりに、写真の下にこう記しました。
「ここは、“語られなかった町”です」
後に『語られない芸術の街』として知られる夕暮れ町。その基盤を作ったのは彼ら、第六世代の山浦家でした。
◆ 山浦 家結論。
彰映は、陽太が守ってきた“語らない支え”を、“見せない記録”として昇華した男。
•彼は、坂上や池田の子たちのように「言葉」を武器にしなかった。
•代わりに、「居る」「支える」「名を記さない」ことで、 芸術の背景を“風景そのもの”に変えていく人間となった。
第六世代となった夕暮れ街の記録。いかがでしたでしょうか。
飢饉が去った夕暮れ街には、
『語らない語り手』坂上一翔。そして、『方られなかった言葉の代弁者』池田 逢星という芸術家が誕生しました。
この世界線では、これは『知の爆発』に匹敵する事件だったでしょうね。
彼らの血族は後に何を残していくことになるのか、注視していくことにしましょう。もう少しだけ……。