表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第三世代(1960年〜)

 夕暮れ町の1960年。

 夕暮れ町も、大三世代に突入しました。


 ここで、この町……というより、世界的に大変な事件が起こります。

 大飢饉です。

 物価高と就職難が立て続けにやってきます。そうなると、

若い労働力は就職先がなく、ユースバルジ現象が起きてしまいます。


 このような環境下で、大三世代はどのような子が何人育つのか。

 果たして、人間を作るのは、遺伝子か、環境なのか。その実験をしてみたいと思います。


[ケースA]

 1960年の坂上家は、こんな状況です。

 坂上立地:坂の下に駅があり、急勾配の上に立っている。 住宅街で、周りは宗教活動が盛んである。       

信者以外の人間を、咎めるわけでもないが勧誘は続き、暮らす身としては窮屈。      

飢饉が迫る今日、信仰に助けを求める人間は、多くなるかも知れない。         

何せ急勾配のてっぺんに家があり、車がないと生活は不便である。


坂上家夫:(第一世代、池田家夫のファクターを使用)

     怠け者。うつ病の傾向がある。親離れできておらず、無趣味である。 家族や他人に対して一切の興味を持たず、親の介護のことばかり考えており、

      親を二人とも良い施設に入れる傾向にある。


坂上家妻:第二世代、坂上奏に準ずる。      


なを、老人が暮らすには、この家は少々勾配的な問題で足腰が厳しいので、 田舎に越したことにする。


 坂上家(1960)のポイントは以下の三つです。

 ・経済的余裕なし・家庭内エネルギーなし。

 ・奏はもう一人欲しいと願うが、妊娠中の栄養不足で難産となり、医師から「次は  危険」と告げられる。

 ・夫も「これ以上、家の中に人が増えるのはしんどい」と漏らす。


 ◆ 子ども:坂上 駿介しゅんすけ


           【0~6歳】

  飢饉下の出生となりました。夜泣きが多く、粉ミルクも不足する中、母が「歌を歌って紛らわす」育児スタイルに変わります。

  父は育児に参加せず、「静かにしろ」と怒鳴ることもしばしばだそうです。

  元々、友達が皆入信し、宗教に対して抵抗がなかった母、坂上奏は、生活協同組合に紛れた教団の「無料炊き出し」に子を連れていくうち、

  教典の朗読に心を落ち着かせる時間が増えていきます。

 「入信」までは踏み出さなかったようですが、“助けを受けることを否定しない”柔らかい信仰依存が形成されます。

 それは彼女にとって、“人間の優しさ”の形を見直す契機となったようです。

 母が教団の人々から“知恵”をもらいながら、丁寧に、静かに、育てようとする努力を続けるようになります。


           【7~12歳】

 学校では成績優秀、非常に礼儀正しいが、親が宗教と関わりを持ってから、友達が作れません。

 母が宗教活動の中で“食糧配布係”などの役目をもつようになり、その手伝いをすることが増えたようです。

 どうやら母親は入信に踏み切ったようです。

 周囲からは「聖職者の子」のように見られました。

 ですが駿介は、自分の生活が「ギリギリの綱渡り」だと子どもながらに理解しており、

 “誰にも迷惑をかけてはならない”というプレッシャーを過剰に抱くようになります。


             【13~15歳】

 中学で一部の信者家庭から「おまえも本格的に入れ」と勧誘を受けました。

 母は「選ぶのはあなたよ」と言いましたが、それが駿介にとっては**「選べば母が安心する、選ばなければ母を裏切る」**という二重構造になってしまいました。

 祖父母の田舎を訪れるたびに、「坂の上ってのは人間が住む場所じゃねえな」と言われ、

 駿介は「ここを出なければならない」という感情を固めていきます。


             【16~20歳】

  高校は宗教色の薄い進学校を選び、学業に没頭したようです。

  母とは距離を取り、父は相変わらず関わりを断っているようです。

  その一方で、地域の“文献整理ボランティア”に参加。

  歴史や思想に深くのめり込み、「人間は“信じる自由”すら選べない生き物だ」と思ようになりました。


◆ 坂上家(1960年)の結論……

•飢饉と社会同調圧力により、「信じる者と信じない者」が家の中に分裂する。

•奏は初めて他人の“優しさ”に助けられたが、夫はその構造を拒否し続けた。

•子ども・駿介は、その間に挟まれ、「信じることの責任と暴力性」に気づいて   しまった第三者として育つ。


 * * * * *

[ケースB]

 1960年の池田家は、こんな状況です。

 池田家立地:代々からの大地主の家で、近くに立派な池がある。           

 この家の『長男』は、10代のどこかに必ず大殺界が訪れ、大病or大怪我を引き起こす。          

 場合によってはそこで死ぬことも。   

*第二世代で、池を埋め立ててからは、大殺界の対象が長男だけではなく、家族全体になる。           

 近くに家はなく、外部との接触は元々薄い。           

 莫大な額の家賃収入が毎月入ってくる。  


 池田家夫:(第二世代、池田 練 に準ずる)  


 池田家妻:(第二世代、山浦こまり に準ずる。)  なりそめは不明ですが、練は山浦家長女とゴールインしたみたいです。


 池田家祖父:(第二世代、池田湧 に準ずる)    


 池田家曽祖父:(第二世代、池田家祖父に準ずる)


 池田家(1960)のポイントは以下の三つです。


• 練は「次代を複数化することで、家の“負荷”を分散させる」思想を持つ。

・こまりは「育てるなら、せめて1人は外に逃がしたい」という想いを秘める。

・初めて意図的に「呪いに抗うために」子どもを設計した家系に。


◆ 第一子:池田 詩麻しま【長男】


       【0~6歳】

 練は詩麻を「新しい血の起点」として、誕生直後から記録用の『伝記』をつけ始めたそうです。そういえば記録魔でしたね。

 こまりは、そんな父親の教育方針に疑問を感じ、

詩麻には敢えて「不確かさ」の中で遊ばせようとしていたようです。

 このため詩麻は、二重の世界で生きる子になりました。 - 父の前では静かで聡明な子。 - 母の前では奔放で口達者な子。


       【7~12歳】

 勉強は非常にできたようです。だが、自己評価は異様に低く、

「今の自分は記録に残るほどの価値がない」と頻繁に口にするようになりました。

 祖父・湧(第二世代)と唯一心を許し、「この家って、なんでいつも誰か倒れるの?」と聞いたそうです。

 曽祖父(初代・怠け者)は既に寝たきりに近いが、ときどき正気に戻り、 「お前も“アレ”に出会うぞ」と呟いたそうです。。


       【13~15歳:大殺界】

 飢饉で食糧配給が一時途絶え、栄養失調気味に。

 外で倒れ、10代という若さで軽度の脳梗塞と診断されます。左手に麻痺が残ったようです。

 練は記録を増やし、こまりは「これは家のせいじゃない」と必死に否定したようです。

 詩麻は、自分の人生を『記録された呪いの繰り返し』として受け入れはじめます。

 以降、ほとんど会話をしなくなり、玄関の壁一面に数式と詩を書き出すようになったようです。

 壁には、こう書かれておりました。「人はなぜ、数字で終わるのに言葉で始まるのか」

 その後、早すぎる死を迎えます。

 池田詩麻、享年15歳。死因は脳梗塞の再発でした……。

 元々、池田家の長男は運からも家族からも見放される傾向にありますが、

彼の死は、少なからず、今後の池田家に重たい影を残したに違いありません。




◆ 第二子、池田いけだ みお[長女]


         【0~6歳】

 誕生時、母・こまりが「この子は絶対に『閉じ込めない』」と決意します。これは、

第二世代時、両親から干渉を受けてきた兄、山浦昴をみてきた反動から来ているのでしょう。


 父・練は「彼女も家に記録されるべきだ」と主張しますが、こまりがそれを激しく拒絶。

 → 澪の生活記録は、「手書きのノート」にとどまり、日記には残されませんでした。

 祖父・湧とは妙にウマが合い、膝の上で寝落ちしている写真が多く残されています。

 曽祖父は寝たきり状態だが、澪が笑いながら話しかけると「ふふふ」と声を漏らす日があったそうです。

 幼心に、兄は神様に感情を奪われた子だと思っていたようです。


        【7~12歳】

 学校の子とよく遊び、近隣の老人からも可愛がられるような子に。

 学校ではクラスのムードメーカー。「池田の呪われた子」として敬遠されがちだが、自分で『逸脱キャラを演じて無害化』する、

という謎の才能を発揮しました。小学生にして……。

 母が「この子にだけは家を相続させたくない」と毎晩こぼすようになります。

そして、兄・詩麻の部屋に入ったことはありません。本人いわく「怖いとかじゃなくて、“あれは観測所”だから邪魔しちゃダメ」



      【13~15歳:大殺界発動期】


 第二世代で、練が池を埋め立てたからなのか、大殺界の呪いは長男だけでなく、長女にも牙を剥きました。

 この時期、兄・詩麻が軽度の脳梗塞を起こし、左手の麻痺を残す事故が発生。 同時に、池田 澪にも“静かな精神的崩壊”が訪れます。

 事故の日、兄の倒れた姿を目撃します。

 それに伴い、『選択的緘黙かんもく』が発症。

 外では普通に話せるが、家に帰ると一言も喋らなくなりました。

 母は「心因性だ」と理解して支えますが、父・練は「記録に残せないものは病ではない」と語ったそうです。

そして、澪が13歳の時、兄が脳梗塞を再発し、亡くなってしまいます……。


 この時期に起きたのが『壁の落書き事件』です。

 澪は、兄の死を期に、発話の代わりに、部屋の壁に“絵”や“文字”を描くようになりました。

ある夜、玄関の壁に大きくこう書かれていたよです。


「コノ家ヲ爆破スル日マデ、私ハ内部告発者トシテ泳ギ続ケル」

 奇しくもそれは、死の直前兄が書いた壁の文字を上書きするように書かれていたみたいです。


 壁の落書きを見た父・練は、一体何を思ったのか、「この子は思想を継いだ」と満足そうに呟いたそうです。

 おそらく、池田家に一矢報いようとした練の本心だったのでしょうが、パパ、心配です。


        【16~20歳】

 発話障害はやがて回復しました。ただし、言葉遣いが**“演劇的”かつ“抽象的”**になったようです。

 自分のことを「語り部」「実況者」などと名乗るようになりました。

 高校では演劇部に入り、「誰かになりきることが唯一自分を外に持ち出せる手段」と語ったそうです。

 高卒後、芸術大学の舞台芸術学科に進学しました。

 祖父・湧の葬儀では弔辞を読み、「彼は“閉じた家の中にあった窓”でした」と述べて周囲を驚かせたようです。


◆ 池田家(1960年)の結論

 1960年の池田家は、「呪いに抗おうとした結果、呪いの意味を哲学に置き換えてしまった家」です。

 母こまりと、長女澪がこの家からどう離れるかが、最終的に池田家が「構造を越えられるか否か」の分岐点になるでしょう。



 * * * * *


[ケースC]

 1960年の山浦家はこんな状況です。


 山浦家立地;池田家とまでは行かなくとも、裏に山を持つ地主である。 あたり は、住宅街で周りの人間との交流は多い。           

 街までのアクセスは良く、徒歩圏内に商店街や、スーパー、 本屋に映画館など、 立地的には恵まれてるといえるが、飢饉の影響を最も受けた土地ともいえる。


 山浦家夫:第二世代『山浦昴』に準ずる。責任感と自我抑制の塊な昴くんが、なぜ この妻を娶ったのかは不明です。恋愛結婚ができない体質だったのかもしれません。


 山浦家妻:(第一世代、池田家妻のファクターを使用)

 親が厳しく、自分の判断で大きな決断をしたことがない。 結婚も、親からの命令 で、親が選んだ人を夫とする。 結婚してからは恋愛癖が生じ、ホスト通いがやめ られなくなる。


 祖父:第二世代山浦陽太に準ずる。孫にだけはよく話しかけるが、あまりに家庭内 が“空疎”で、うまく噛み合わない。



 山浦家(1960)のポイントは二つです。


・昴は2人を望んでいたが、妻・美晴が育児に向かないことが明白になり、2人目は 断念。


・昴の中で“正しい父親”としての理想像と、現実の崩壊が乖離していく。



◆ 子ども:山浦 麗央れお|長女


        【0~6歳】

 出生時から、母は精神的に不安定だったようです。。

 父・昴は「愛しているつもり」で接するが、忙しさと自責から“よそよそしい愛”になってしまいました。

 そのため祖父・陽太だけが遊び相手で、

麗央は、家庭内の空気の“違和感”に早くから気づ来ました。



         【7~12歳】

 学校では明るく振る舞いますが、“話を聞く側”に回るクセが抜けないようです。

 周囲からは「やさしい子」「しっかりしてる」と言われるが、それは『何も求めないことで好かれる』という戦略の表れのようです。

 飢饉の影響で給食が不安定になり、母が料理を放棄する日が増えました。

 それにより 麗央が祖父と一緒に簡単な食事を作るようになったようです。

 麗央は、「私は、『自分の世話』を先に覚えた」と、後に回想しています。


 

        【13~15歳】

 この時期に母・美晴の不倫が発覚します。

 父は無言で母を責めず、代わりに麗央に「お前は何も知らなくていい」と言いました。

 これにより麗央は「この家で、いちばん私が大人だ」と気づいてしまいました。

 飢饉によって学校行事も中止が相次ぎ、「普通の青春」が存在しなかったようです。

 この頃でした。地元のコミュニティ紙に詩を投稿し、特集される。

 これにより文才に目覚め、『日常を文学で変換する』という技術を習得しました。


         【16~20歳】

 奨学金を使って上京。国文科に進学しました。

 田舎の家に戻ることはほぼないようです。

 母はいつの間にか家を出ていました。父と祖父は同居しているが、会話はないようです。

 麗央は、自分の家庭を「完成されなかった物語」として書き始めました。

 その一節に、「私の母は名前がなかった。父は影のように正しかった。私は食卓で、沈黙をかじって育った」とあります。


◆ 山浦家(1960年)の結論

•飢饉により、最も“他人との接触が多い土地”が逆に孤立する構造に陥った。

•父・昴は「理想の父であろう」とするが、家庭内の現実には沈黙で対応。

•母・美晴は“逃避と依存”を繰り返し、娘に感情を残せなかった。

•娘・麗央は、家庭の沈黙を“物語に変える技術”を持って育った。

 彼女の行き先は、誰の家庭にもなれなかった場所の記録者。 池田澪とはまた違う形の、「語り手」の資質を持つ人物です。



 歴史的飢饉が訪れ、三つの家庭にも衝撃的な展開が訪れましたね。

 小さい街ですが、このように人生がもんどりうって生きていく姿に惹かれるものがあります。

 いかがでしたでしょうか。私は、「人を作るのは遺伝子か環境か?」という問いに対して、

早くも答えを見つけつつあります。

 しかしまだ、断言するための材料が見つかりません。

 今しばらく、この実験にお付き合いください。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ