第二世代(1930年〜)
夕暮れ街の1930年。
さて、前回の三つの家も、世代交代を行います。
この世代はどんな子供が生まれ、どんな子に育つのでしょう? それでは観察してみましょう。
[ケースA]
1930年の坂上家の環境はこんな状況です。
坂上家立地:坂の下に駅があり、勾配の上に立っている。
住宅街で、周りは宗教活動が盛んである。
信者以外の人間を、咎めるわけでもないが勧誘は続き、暮らす身としては窮屈。
何せ急勾配のてっぺんに家があり、車がないと生活は不便である。
坂上夫:平凡なサラリーマン。 年収は450万。無趣味で灰色の人生。
(坂上家長女芽依と結婚し、婿養子となる。芽依がパートナーとして選んだのは、結局父親と似た男だった)
坂上妻:坂上芽依(第一世代、坂上家長女。
兄同様に母親の呪縛から抜け出せてない様子である)
* なを、坂上家の第一世代親は、住む場所の不便さから土地を娘に渡して隠居した。ということにします。
さて、この家ではどんな子供が、何人生まれるのでしょか。
彼らが成人するまで、現実的な視点で想像してみましょう。
この家のポイントは二つです。
・相変わらず坂の上の生活環境が不便すぎるようです。
・車なし・年収制限・地形的孤立・母の精神的脆弱さ。
これらの要因から、**「もう一人を産む余裕がなかった」**という結論に至ります。
◆ 坂上家の子ども(第2世代)
名前:坂上 奏 性別:女性(一人っ子)
【0~6歳】
幼少期は、母・芽依が「あなたは自由にしていいのよ」と優しく語りかける穏やかな日々を過ごします。
しかし、その“自由”は曖昧で、実質的に「何も期待されていない」ようにも感じているようです。
芽依は「良い母親でいよう」と努めまずが、自分の過去の家庭と照らし合わせすぎて、子どもの自由に怯える場面が出てるようです。
【7~12歳】
周囲の宗教家庭の子たちと比べ、自分が“外れ者”だと感じる場面が増えてきます。
「なぜうちはシュウキョウに入らないの?」と母に問いますが、母は明確に答えられません。
なを、「外出禁止令」は思いとどまったみたいですが、相当な葛藤があったようです。
父は仕事に忙しく、奏の存在を認知はしているが、何かを語り合ったことはほぼないようです。
友達づきあいはそれなりですが、取り巻く環境から「家に誰かを呼びたくない」という感情が強くなります。
【13~15歳】
思春期に入り、「うちは変だ」と強く思うように。
母、芽依から与えられた“自由”が、「放置」「無関心」「地に足のつかない優しさ」だったことに気づき始めます。
そしてそれは、「もっと普通に叱ってほしかった」「ルールを決めてほしかった」という逆方向の反抗心を持つことになります。
【16~18歳】
坂の上から脱出したい一心で、遠方の高校を受験・合格します。
通学が大変でしたが、「坂の下の世界」に初めて触れたような解放感を味わいます。
ですが、その一方で、母の弱さに気づき始めます。「母は本当は私に依存していたのかもしれない」と。
◆ 結論:坂上家(1930年)
芽依は「自分のようにはさせたくない」と強く思いながら、 “過干渉”の反動で、“無介入”という別の形の呪いを子に与えてしまった。
結果、娘・奏は「自由に育てられたはずなのに、なぜ私はこんなに不安なのか」と戸惑いながら、 坂の下の世界=社会との接触によって、坂上家の構造から逃れようとする。
* * * * *
[ケースB]
1930年の池田家の環境はこんな状況です。
池田家立地:代々からの大地主の家で、近くに立派な池がある。
この家の『長男』は、10代のどこかに必ず大殺界が訪れ、大病or大怪我を引き起こす。 場合によってはそこで死ぬことも。
近くに家はなく、外部との接触は元々薄い。 莫大な額の家賃収入が毎月入ってくる。
池田家夫:池田湧に準ずる。
池田家妻:優しく愛情深い母親だが体が極端に弱く、あまり出産向きではない。
年に一度は大病を患い、ことあるごとに入退院を繰り返す。
あまり長生きができない身体である。
責任感が高く、無理をしがちな性格である。
第一世代の山浦家妻ファクターを使用。
池田家祖父(第一世代、池田家夫に準ずる。): 怠け者。うつ病の傾向がある。親離れできておらず、無趣味である。
家族や他人に対して一切の興味を持たない。両親が他界してからはうつ病を本格的に発症。
祖母:(第一世代、池田家妻に準ずる)親が厳しく、自分の判断で大きな決断をしたことがない。
結婚も、親からの命令で、親が選んだ人を夫とする。
結婚してからは恋愛癖が生じ、いまだに男遊びがやめられなくない。
親戚、池田祥馬(第一世代池田家長男)
池田悠翔(第一世代池田家三男)
さて、この家ではどんな子供が、何人生まれるのでしょか。
彼らが成人するまで、現実的な視点で想像してみましょう。
この家のポイントは以下の三つです。
・ 立派な池と広大な敷地、独特なしきたりを持つ「孤立した王国」。
・ 一族の中では**“長男は死ぬ/壊れる”**という伝承が事実として受け入れられています。
・ 家賃収入により労働の必要はない。経済的には“何も苦労しない”が、精神的には“全てに苦しむ”ことが予想されます。
* 祖父たちからの圧力もあり、湧は「二人目も…」と考えるが、沙月の入退院が続き、医師からは妊娠禁止を告げられてしまいました。
湧は泣く泣く了承。以降、この一人の子に一族の“意志”が集中することになります。
◆ 池田家の子ども(第2世代)
名前:池田 練 性別:男(一人息子) 生まれながらにして、「池田の最後の後継ぎ」と見なされます。
【0~6歳】
広大な敷地の中で、池を眺め、土に触れ、金魚を数える日々を送ります。
母・沙月がどんなに具合が悪くても、自分のために笑おうとしている姿を、練は静かに見つめます。
感情表現が非常に乏しい子どもに育つのですが、実は内面の情緒は豊かで、あまりにも敏感すぎるため「外に出さない」ことを判断されて生きて来ました。
幼少期から一族全員が「お前が次だ」と言ってきます。→ 練は、「期待」ではなく、「絶望の引き継ぎ」をされているように感じます。
【7~12歳】
祥馬(叔父)が心配して定期的に、池を掃除に来てくれるようになりました。無口な祥馬に、練はわずかに心を開きます。
ですがここで事件が起きます。だが、突然祥馬が池のそばで立ちくらみを起こし、溺れかけてしまいます。
今まで、その家の『長男』にしか牙を向いてこなかった池ですが、
その前提を覆されたのを、『一族の怒り』であるという噂が囁かれます。それにより、相変わらず男遊びが止まらない祖母は、「もう殺される」と取り乱し、叔父・悠翔は「この家にいたら本当に死ぬぞ」と警告してきます。
そして母は入院、父は対応に追われます。
練は徐々に「自分も死ぬのだろう」と、死を身近に感じるようになり、 **“死を前提とした生き方”**を、自然と選ぶようになります。
【13~15歳:大殺界到来】
冬のことでした。屋敷内の凍った廊下で転倒し、後頭部を強打。軽度の脳挫傷と一過性の記憶障害を発症します。
それにより数日間、父の顔を思い出せませんでした。
「誰が誰だかわからない」「でも自分が池田練だということだけは忘れなかった」という、この頃の彼の言葉が残っています。
この体験から、練は日記・記録魔になります。記憶を、記号として外部に残そうとします。
【16~20歳】
表面的には冷静で賢く、語彙も豊か。父と共に家賃管理を行うようになります。
しかし内心では、自分を“生贄”として用意してきた一族すべてを、静かに憎んでいるようです。
母が病死したあとでした。彼は突然、池の水をすべて抜くという奇行に出ました。
「この池は俺にとって墓だった」と告げ、翌日から屋敷の庭に野菜畑を作り始めます。
それが一族の終焉ではなく、再構築の第一歩だったのかもしれません。
とはいえ、彼の代で池田家の前にあった池は、姿を消すことになります。
◆ 結論、池田家(1930年)
池田湧は、人格的には立派な父親だが、家の構造そのものに手をつけなかった。
沙月は愛を尽くして散った。祖父母はそれぞれの業に呑まれて老いている。
そして、練は“池田の血を終わらせる”か、“池田を継承しながら壊していく”かの岐路に立っている。
この子は、優しさによってではなく、「記憶」と「自分の手」で世界を定義しようとする新しい存在となりました。
* * * * *
[ケースC]
1930年の山浦家はこんな状況です。
山浦家立地;池田家とまでは行かなくとも、裏に山を持つ地主である。 あたりは、住宅街で周りの人間との交流は多い。
街までのアクセスは良く、徒歩圏内に商店街や、スーパー、
本屋に映画館など、立地的には恵まれてるといえる。
山浦家夫:山浦陽太に準ずる。現在は地元で公務員を務め、休日は野球チームのコーチをしている。
山浦家妻:(第一世代、坂上家妻のファクターを使用)
弟が引きこもりで、母親が弟を溺愛している。息子には真っ当な道に進んでほしい。
家庭の事に口を出してくる山浦家の祖父とは、うまくいってない。
山浦家祖父:第一世代、山浦夫に準ずる。運送業は引退し、近所の子供に大人気の「町のおじちゃん」。
◆山浦家(1930) 子ども数:2人(兄妹)
初めての子で“理想の家庭”を作ろうとするが、玲子のストレスが高まり、 陽太が「もう無理するな」と言い、結果的にもう一人子を持つことになる。
祖父は「三人目いける!」と盛り上がるが、玲子は完全拒否された。
◆ 長男:山浦 昴
【0~6歳】
妻・玲子が「絶対に普通に育てる」と張り切って、モンテッソーリ教育・英語教室・食育に励みます。
一方で、祖父は「子どもなんて泥んこになってりゃいい」と言いながら、野球バットを勝手に与えます。
昴は混乱しつつも、「どっちも好き」という姿勢を見せ、その裏で極端な気遣い型に育っていきました。
【7~12歳】
小学校では明るく真面目に育ちます。学級委員に選ばれるタイプのようです。
ですが、家では母と祖父の“教育方針バトル”に心をすり減らしていきます。 - 祖父:「お前はのびのび育てばええ」 - 母:「礼儀も計画性もない教育なんて野蛮」
昴は「俺がどっちも満足させなきゃ」という圧力を無意識に背負い、 “いい子でいすぎて倒れる子”の典型に近づいていくように。
【13~15歳】
野球部に入ります。祖父が毎試合来ます。
母は来ないが、家で食事と体調を完璧に管理し、応援はしてくれてるみたいです。
試合でミスしたとき、祖父に「いいよいいよ!」と言われ、涙が出ます。
一方で、母からは「ちゃんと反省した?」「だから寝不足になるのよ」と言われます。
昴の中に**「正しいことと、優しいことの乖離」が芽生え始めます**。
【16~20歳】
勉強はそこそこで大学進学します。下宿で初めて家を離れます。
離れて初めて「自分の人生には“自発性”がなかった」と気付いたようです。
外では活発で明るく通るが、深い会話になると拒絶反応を示すようになりました。
祖父の死に際して「じいちゃん、やっと自由になれたね」と呟き、
母の前で初めて、意図的に泣かないことを選びます。
◆ 妹:山浦 こまり
[0~6歳]
兄・昴が“理想の長男”として母から過剰な干渉を受けていたため、こまりはその“陰”として、やや放任ぎみに育ちます。
しかしそれが逆に、彼女にとっては「自由な世界」の入り口でした。
祖父と一緒に虫取り、木登り、猫の観察など、“遊びの中で身体感覚と想像力”を伸ばしていきます。
[7~12歳]
学校では明るく人気者。男女ともに友達が多く、勉強もそこそこできるようです。
「先生と一緒に給食を食べるタイプ」ではなく、「廊下で誰かとジャンケンしてるタイプ」。
母からは「なんでそんなだらしないの」と注意されるが、まったく気にならないようです。
兄・昴の「気を張りすぎて疲れている姿」を日常的に見ており、“こうなりたくない”という学び方をしていきました。
[13~15歳]
自己主張が一気に強くなりました。母と正面衝突することが増え…… 夜中に帰ってきたり、 ピアスのようなアクセサリーをつけたり、 髪を染めてみたり(洗って落ちるタイプ)など。
母は「真っ当な道を歩ませたい」の一点で怒るりますが、 陽太(父)は「こまりはこまりでいいんだ」と言い、祖父も「お前は肝が据わっとる」と笑って受け止める。
反抗期は本気の戦争にならず、どこか“勝ち負けを前提としない押し合い”で終わります。 これは家庭に「愛の地盤」がある証拠なのではないでしょうか。
[16~20歳]
地元の小さな保育園に就職します。 兄とは別の方向で“他人を育てる”側に回りました。
親のいる家とは別に小さなアパートを借りて一人暮らしをしています。
休みの日には、図書館で児童心理の本を読んでいたり、街中でカフェ巡りをしていたりするのだとか。
祖父が亡くなった日、「こまりが最後まで祖父の話し相手だった」と親戚に言われ、 「大人ってのは“最後に話を聞いてくれる人”のことを言うんだな」と思うようになります。
◆ 結論:山浦家(1930年)
•陽太は、「愛することは守ること」と信じ、子どもに向き合う。
•妻と祖父の両極端な愛情に挟まれ、子どもたちは自我を獲得していく。
•“呪い”のない家であるがゆえに、“選び取る困難”を抱える家族である。
この家系は、坂上家・池田家と違い、希望を連鎖させうる可能性を持つ一族です。ただし、それは「誰かが“自分の正しさ”を手放せたとき」に限ります。
これが、1930年の夕暮れ町の3家族です
いかがでしたか?
世代交代を果たした家族たちでしたが、
私にはまだ、人を作るのが環境なのか遺伝子なのか、判断がつかないのです。
次の実験観察でお会いしましょう。