44.M⑳.追い詰められたのは誰?
加藤緑は驚くというより、恐怖に慄いた。
確かに、婚約はしたものの新井聡との政略結婚なんて考えたくないし、今でも考えられない。
しかし、それはそれ、これはこれだ。
聡には何の罪もないのだから。
「聡をどうするつもりなの?」
すでに皆、 嫌というほど苦しんでいるのに、これ以上犠牲者が出るなんて、緑にはどうしても耐えられない。
南部大地は、
「心配するな。お前のことは俺がなんとかする」
それだけ言い残し、慌てて走っていった。
「待って」
緑が大地を追いかけようと、 一歩踏み出した途端、 後ろから腕を強く握る手があった。
近藤梓だ。
「聡はテログループに引き渡されるのよ。自爆テロ要員としてね」
緑は愕然とした。
「もういや。こんなことはたくさんだ」
と心が叫ぶ。
一方、梓はいつものように、 ニヤッと笑った。
が、緑にはどこか物悲しそうで、割り切れない複雑な表情に思えた。
そんな梓を見て、緑はやっと理解できたような気がした。
一件、☆TSgame-Co.の社員になったばかりの緑に比べれば、先輩である梓の方が優位に思える。
しかし、藤堂CEOは信用できない。
梓もいつ、どうなるかわからないという不安に、ずっと襲われていたに違いない。
その不安を隠し、梓は話し続ける。
「あんただって、ありがたいでしょ。好きでもない男と結婚しなくて済むんだから」
「それとこれとは別よ」
「それはそうか。あんたももうお払い箱ってわけだからね」
「そんなこと言ってるんじゃないの。梓、あなたはそれでいいの? 本当に今のままのでいいの?」
「いい気にならないで! これ以上、大地にも勝手な真似はさせないから」
梓の強い視線が緑を離さない。
今になって初めて、緑は梓の気持ちに確信を持つことができた。
彼女も怖いんだ。
だから、誰かのせいにして責めたんだ。
これほど過酷な人生を背負わされたのだから、自分には運命を恨む権利がある。
そう思わなければ生きてこられなかったに違いない。
梓にとって、その誰かが自分だったのだ。
今の梓は、全てを吐き出してしまわないといられないのだろう。
「 見なさいよ」
梓が差し出したタブレットには、ある家の一室が映っている。
♢ ♢ ♢ ♢
新井宅の居間だ。
聡がひとりソファに座り、楽しそうに結婚式のパンフレットを見ていた。
幸せの絶頂に違いない。
そこへ、 数人のサングラスに黒服姿の男たちが、土足のまま突入してきた。
聡は驚いたどころではない。
「な、なんだよ」
思わず立ち上がった聡は、明らかに怯えている。
それも当然だ。
「け、警察を呼ぶぞ」
心と同じように、聡の体も後ずさる。
黒服たちは無言の分、更に威圧感を与えている。
そのときだった。
あ、と聡が呟いた。
黒服たちの後ろから入ってくる大地に気づいた聡は、慌ててその大きな背中に隠れた。
大地が助けに来てくれたと思ったに違いない。
「こいつら泥棒だ」
大地はいつもの、“フン”と鼻先で笑い、冷たい視線で聡を見下ろした。
この藤堂に似ている大地の癖を、緑は憎たらしく思っていたが、今は複雑な心境である。
「泥棒はお前の方だ。もう、この家はお前のものじゃないんだからな」
聡は唖然としている。
期待した分、真実を知ったときのショックは2倍にも3倍にもなる。
そんな聡を横目で見ながら、 大地は黒服たちに、
「連れていけ」
と命令した。
未だに事情を理解できない聡は、大地にすがるしかないのだろう。
「大地、どうなっているんだよ? 助けてくれよ……」
と聡が大地の腕を掴む。
「馴れ馴れしく触るな」
と大地は突き放した。
♢ ♢ ♢ ♢
タブレットを観て驚いている緑を、梓の冷たい瞳が見つめてくる。
「いずれ太陽だって同じ目に遭うのよ」
ギリギリまで追い詰められている梓の気持ちに気づいたからこそ、緑の恐怖は現実的なものとなった。
この作品と並行して書いている次回作品、「異世界劇団『Roman House』」の第1話プロローグを6月8日(日)13:00に投稿予定です。読んで頂けると嬉しいです。
(内容)並木知美(19)は知っていた。多くの霊が天国に行けずにいることを。彼らは大切な生者が苦しんでいるのに、なにもできず、ただ見ているだけの自分を責めていた。そこで、知美は死者の気持ちを、芝居で生者に伝える劇団『Roman House』を思いつく。芝居の力に賭けるのだ。ところが、白血病の知美は双子の妹・愛合に浪漫座を頼み、寿命を全うする。その後、転生した知美は、異世界でも劇団『Roman House』を立ち上げる。知美の計画とは……。まず、知美が死者の思いを、異世界の浪漫座の芝居で現世の愛合に伝える。その愛合が現世の浪漫座の芝居で、生者に伝えるというものだった。
果たして、現世と異世界をまたぐ姉妹の壮大な以心伝心は成功するのか……?