32.M⑮.テレフォンボックス
自分の部屋に戻った加藤緑は、不安でたまらなくなった。
あの日、初めて☆TSgame-Co.に連れていかれたとき、両親から社員になることがどんなに辛いか聞いてはいた。
だから、わかっているつもりでいた。
でも、自分の想像と現実はあまりにも違いすぎた。
南部大地の背中の火傷は初めて実感する恐怖だった。
兄妹のようにいつも身近にいた大地が、自分の知らないところでそんなひどい目にあっていたとは、あまりにも辛すぎる。
ぬくぬくと育った自分に、大地を責める権利はない。
今でも大地を幼なじみと思っていたいけれど、だからこそ、これ以上、大地に甘えてはいけないと悟った。
では、これからどうしたらいい?
自分のことはもう仕方ないと諦めている。
だけど、あの素直で無邪気な羽賀太陽だけにはそんな思いをさせたくない。
いや、させてはいけない。
そう思うと、いても立ってもいられない緑は、気がつくと部屋を飛び出していた。
緑が出かけようと、玄関のドアを開けたときだった。
「 どこに行くつもりなんだ?」
突然、背後から呼び止められた。
緑は立ち止まったが、振り返らない。
声の主ならわかっている。
「結婚式の打ち合わせよ」
緑は後ろ姿のまま説明した。
「こんな時間にか?」
「女子にとって結婚式は人生最大のセレモニーなの。いくら時間があったって足りないくらいよ。ま、男子の大地にはバカバカしいでしょうけどね」
捨て台詞を残すと、一度も振り返ることなく、平然と玄関を出た。
本当は倒れそうなぐらい心臓がバクバクしていたが、少しでも弱気になったら、怪しまれると思ったからだ。
ドアを閉め、やっと深いため息を吐いた緑は、 呼吸を止めていたことに気づいた。
緑は目的もなく歩道をぶらぶら歩いている、と見せかけて、 電話ボックスの前で立ち止まった。
周りに誰もいないことを確認し、素早くボックスに入る。
流れるように、受話器を持ち、コインを入れ、ダイヤルボタンを押した。
キャラクターの子どもたちに、携帯電話は許されていない。
各家庭にも固定電話しかないから、彼らはその存在さえ知らない。
携帯電話はリアル育成ゲームの秘密性を脅かすものだからだ。
今の緑にも携帯電話は渡されていない。
まだ、信頼されていないのだろう。
電話のコールが数回になったあと、やっと女性が出た。
羽賀美子の声だった。
緑は躊躇した。
割り切っていたはずなのに、いざ本人の声を聞くと、騙すようで気後れしたのだろう。
ずっと、第2の母と思ってきたのだから……。
それでも、緑は1番大事な人のことだけを考えた。
わざと声色を変え、まるで甘ったるい女子高生のような話し方をする。
「 太陽いるゥ?……あたしいィ? ヨーコォ……そういえばわかるのよ!」
自分であることがバレていないか、緑は全神経を耳に集中した。
「太陽、ヨーコさんだって……」
と受話器から聞こえてくる。
羽賀美子の声は不審そうだが、ばれていない、と一安心。
「ヨーコ?」
太陽も半信半疑で受話器を受け取ったようだ。
「友達は選びなさいよ」
わざと相手に聞こえるように、母親は小言も忘れない。
「もしもし、太陽ですけど……」
最後とばかりに、緑はもう一度、思いっきり甘ったるい女子高生の声を作る。
「お母さんにィ、わからないようにィ、返事だけしてねェ 。 いィ? 約束よォ」
仕切りに首をひねる太陽の姿が目に浮かんだ。
「う、うん……」
「あたしよ」
と緑は自声で言う。
「あぁッ?」
と太陽が叫んだので、思わず焦ってしまった。
いずれわかるにしても、今はまずい。
「大きな声出さないで。お願い」
と、緑は全神経を唇に集中して、懇願した。
あ、と悟った太陽の声。
その後の沈黙。
太陽が母の様子を伺っているのだろう。
緑も耳をそばだてる。
「本当に最近の子は言葉遣いも知らないんだから、もっ……」
と美子の声。
ぶつぶつと独り言を呟くことで、抑えきれない、いや、抑えたくないモヤモヤした気持ちを晴らそうとしているようだ。
緑は長いため息をついた。
「ごめん」
と、ため息のような息漏れの多い太陽の声。
緑も秘めた声で話す。
「大事な話があるの。子どもの頃、二人だけで作った秘密基地に来て。絶対誰にもわからないように。おばさんや大地にも。いいわね」
「大地にも……?」
太陽の声は不思議がりながらも、とりあえず承諾してくれた。
この作品と並行して、以前投稿途中だった『劇団浪漫座より夢をこめて』を最初から書き直しています。題名は、「異世界劇団『Roman House』(内容)並木知美(19)は知っていた。多くの霊が天国に行けずにいることを。彼らは大切な生者が苦しんでいるのに、なにもできず、ただ見ているだけの自分を責めていた。そこで、知美は死者の気持ちを、芝居で生者に伝える劇団『Roman House』を思いつく。芝居の力に賭けるのだ。ところが、白血病の知美は双子の妹・愛合に浪漫座を頼み、寿命を全うする。その後、転生した知美は、異世界でも劇団『Roman House』を立ち上げる。知美の計画とは……。まず、知美が死者の思いを、異世界の浪漫座の芝居で現世の愛合に伝える。その愛合が現世の浪漫座の芝居で、生者に伝えるというものだった。
果たして、現世と異世界をまたぐ姉妹の壮大な以心伝心は成功するのか……?
近日中投稿。乞う御期待。