16.H④.二重スパイ
「バカバカしい」
突然、ハンマーは独り言のように呟いた。
いや、口から滑り落ちた、と言った方が正確だろう。
無意識だったので、一旦は聞き流すが、言霊の余韻が煤だらけの記憶にしがみつく。
甦る思い出。
そうだ。
その言葉は昔の自分の口癖だったっけ。
「バカバカしい」
今度はわざと言ってみた。
15年前、藤堂CEOから『リアル育成ゲーム』を始めると聞かされたときの感想が、口癖の始まりになったのたった。
『リアル育成ゲーム』をバカバカしいと思う理由を挙げるときりがない。
例えば……。
『リアルをつけさえすれば、ヒットすると思っているのか。
世の中がそんな単純なら、誰も苦労しないだろう。
このゲームのために、多額の投資と天才的な頭脳が集結したことは認めざるを得ない。
だからといって、ゲームがヒットするかどうかは、また別問題だ。
プレイヤーがこのゲームのために支払う金額は、実際の子育て費用の何倍にもなる。
かなりの金持ちしか参加できない壮大なプロジェクトが、成功するとは考えられない。
それに、もっと重要な問題がある。
育成ゲームのキャラクターを現実の人間の子どもでやるという発想自体、人情として許されるはずがない。
など』
ところが、運よくといえば語弊があるかもしれないが、この国はテログループとの内戦に突入した。
テログループは子どもを拉致し、洗脳によって兵士に育てあげていた。
その誓いの儀式が、親を抹殺することだと噂されている。
その結果、多くの夫婦が出産に慎重になった。
その上、他社が参戦する前に手を打ったことから、我が社は育成ゲームの独占権を得たというわけだ。
結果的に、『リアル育成ゲーム』は大ヒットした。
プレイヤーにとって単なるゲームではなく、子育ての代用品になったのだろう。
しかも、子どもを作らないのではなく、作れないとなると、尚更欲しくなるのが人間の性というものだ。
切実な問題だけに、キャラクターがアニメでは物足りない。
その点、リアル育成ゲームなら現実感があると、希望者から評価されたのである。
勿論、世間的には極秘で、藤堂には警察が動かない自信があった。
なぜなら、藤堂はテログループの情報を探る政府の犬だったからだ。
計算高く、悪知恵の働くずる賢い藤堂の策略は、それだけではなかった。
政府の犬は隠れ蓑で、その実国家の情報や多額の資金をテログループに提供している二重スパイだったのである。
その頭脳と緻密な計画、そして実行する度胸。
良い意味でも悪い意味でも、格が違い過ぎる。
それから、ハンマーはあの口癖を言わなくなった。
自分なんかが投げやりになっても、世の中はびくともしないと、悟ったからだ。
それから、15年後の現在。
ここ、☆TSgame-Co.本社ビルの広い放送室には何百台ものコンピューターが並んでいる。その前で画面を観ているのが、キャラクターの監視員たちである。
その中でも、ハンマーは羽賀太陽の担当だった。
☆TSgame-Co.の社員のほとんどは、元テログループの自爆テロ要員だ。
つまり、死ぬ直前に、☆TSgame-Co.に拾われたわけだ。
藤堂慎一を裏切れない1番の理由である。
ハンマーの仕事は毎日、画面で太陽の行動を追い続けること。
太陽と一緒にいる幼馴染の加藤緑や南部大地も、赤ちゃんの頃から知っている。
三者三様 、性格も容姿も違うが、考えていることは手に取るようにわかる。
大地からちょっかいを出され、緑から守ってもらいながら、太陽は素直で、まっすぐ成長していた。
虐待とテログループで青春の時間を過ごしたハンマーにとっては、太陽と一緒に若い季節を疑似体験しているような気がしたものだ。
太陽を見守るうちに、情も湧くし、可愛く思うのも人情というものだろう。
我が子と錯覚したり、一時育成ゲームの実態を忘れたこともある。
だが、と今のハンマーは思う。
太陽を愛する反面、羨ましくもあると。
人間の心とは不思議なもので、2種類の気持ちが、50% vs 50%ではない。
互いに100% vs 100%なのだ。
つまり、その両者の気持ちによって、心が二つに引き裂かれるように辛いし、苦しい。
15年という長い間、この狭い部屋の中で、太陽たちを見守るだけが自分の人生だったからだろう。
そして、これからの一生も……。




