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10.H③.忍び寄る残酷な運命の渦

 その夜、太陽が気になったハンマーは、画面越しに、羽賀宅の子供部屋を覗いた。

 太陽は食事も取らず、子供部屋の机上にうつ伏して泣いていた。

 机上で開きっぱなしになっているパソコンの画面に、サンが映っている。

 仕方ないなぁ、と呆れ顔で。


「太陽、いつまで泣いているつもりだ? 情けない奴だな。半年の辛抱なんだろ」

「でもでもでも……」

「緑がなんて言ったか、思い出してみろ」


 つい、ハンマー も思い出してしまう。


「ほら、笑って。いつも明るい元気な太陽でしょ。あたしはそんな太陽が大好きなんだから……」


 そう告げたときの、少し寂しそうな緑の笑顔も一緒に。

 太陽も思い出したのだろう。クリクリした瞳から大粒の涙が溢れだした。


「しょうがねえなぁ」


 と、サンが呆れる。

 そのとき、ドアが少しだけ開いた。

 誰だ? と不審に思っていると、暫くして、大地が顔だけを出した。


「太陽、大丈夫か?」


 大地の声に振り向いた太陽は、複雑な表情をしていた。顔の上半分は泣きはらしているのに、下半分は必死で笑おうとしている。

 滑稽なほど必死すぎる太陽の顔芸を見せつけられた大地は、顔が引きつり、ドアを閉めた。

 呆れたサンが、大げさにため息を漏らし、ぼやく。


「大地の奴、友だち甲斐(がい)がないなぁ」


 ハンマーも、


「こんな大事なときに、どこに行ったんだ」


 とブツブツ言いながら、大地を探すことにした。

 画面を切り替えていくと、リビングで、ハンマーの指が止まった。

 和雄が電話で誰かと話している最中だった。

 こんな夜中に、相手は誰だ?


「やはり参っているようです……はい……はい……」


 和雄の声は緊張しているようだ。

 そこへ、大地が入ってきた。絶妙なタイミングだ。 


「あ、今来ました。変わります」


 和雄が大地に受話器を差しだし、耳打ちする。


「CEOだ」


 一瞬にして、大地の表情が緊張一色に変わり、握りしめた受話器を耳に当てる。


「大地です……はい、わかりました。太陽にはすぐに緑の代わりをあてがいます」


 まさか、そういうことだったのかと、ハンマーはやっと理解した。

 太陽と緑は、まだ気づいていないだろう。

 自分たちを取り巻く残酷な運命の渦が動き始めたことに。

 もう、誰にも止められないのか。



 翌日、中学校は夏休み中の登校日だった。正直なところ、太陽は学校どころではないだろう。

 それでも、両親や友達、特に大地に心配をかけないように、渋々登校したに違いない。

 大地に心配をかけないことが、緑を安心させる方法だと信じて。

 登校日の行事も無事終了し、太陽は校舎の屋上に上がった。硬いコンクリートの上に大の字で寝たまま、空を見上げる。緑の最後の言葉を噛み締めながら。


「今のままの太陽でいてね。あたしも変わらないから。約束よ-……」


  太陽の目から、とめどなく涙が流れてきたときだった。


「太陽、昼寝か?」


 と大地が声をかけてきた。

 上半身を起こした太陽は、泣き腫らしたくしゃくしゃの顔で、必死に笑おうとしている。


「しょうがねえなぁ」


 と呆れた大地が、涙まみれの太陽の顔をハンカチで拭く。それから、ほら、と屋上の出入り口を指した。

 太陽がドアの方に視線を向けると、そこにはセーラー服姿の女子がひとり立っていた。

 大地の声が説明する。


「知ってるだろ。ミス学園の近藤梓。ずっとお前が好きだったんだってさ。憎いぜ、この色男」


 羨ましそうに、大地が太陽の頭を小突き、梓がニコッと微笑んでくる。

 なにがなんだかわからない太陽は、そんな大地と梓の顔を、何度も不思議そうに見比べていた。

 ハンマーはつくづく思った。

 素直で、お人好しのお前には疑うことさえできないだろう。ずっと、そんなお前を微笑ましく思ってきたが、今はその性格が辛くてならない、と。


「少しぐらい、疑うことを覚えたらどうなんだ」


 そう叫びたい気持ちを、ハンマーはぐっと抑えた。


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