約束のホームラン
主治医の顔色を伺うまでもなく、両親は息子の容態があまり良くない事を察し、お互いに顔を見て不安に押し潰されそうになりながらも席についた。
「分かりますでしょうか? こちらが正常な写真なのですが……」
そう言って貼られたレントゲン写真には、素人目に見ても明らかに異物と思われる大きさの影が。
母親は耐えきれずに結論を急いだ。
「あ、あの……息子は治りますでしょうか!?」
主治医は言葉を選ぶ様にカルテに書かれた文字を指先で叩いた。
「……手術が必要です」
「先生! 準備は出来ております。どうかありのまま仰って下さい!」
「……」
両親はいつの間にか手を繋いでいた。
大事な一人息子が得体の知れぬ大病に罹り、明日をも知れぬ容態に苦しみ、とても冷静を装う事すらもままならぬ状態であった。
「成功率は10%です。世界的に見ても症例が少なく、完治率もとても低いです」
「先生お願いします!! どうか息子を……!! 息子を……!!」
主治医の手を握り、両親は懇願した。
主治医は、黙って深く頷いた。
どの病院でも難しいと言われ追い出された息子を、唯一迎え入れてくれた主治医に、両親はすがるようにただ泣いて無事を訴えた。
「助からない確率の方がはるかに高い。その意味がわかるかな?」
「僕……手術しても死んじゃうの?」
「……この病気はごく最近知られたばかりで、世界的に見ても類が少ない。とにかく情報が少ないんだ」
「でも…………先生は治してくれるんでしょ?」
それまで目を見て話していた主治医だが、すっと窓の外を見て、ため息をついた。
「論文はいくつか書いた事がある。ただ、実際の患者を診るのは、君で二人目だ」
「……最初の人は?」
「私の母親だ」
「まだ悩んでるの?」
「手術しても治らないって……」
「でも、しないと絶対治らないわよ?」
「でも……」
「そうだ! ねえ、今テレビで野球やってるわよね? MVPの母神選手。好き?」
「うん」
「ホームラン。打ったら手術。どう?」
「え?」
「お手紙出してみる。母神選手のホームランで手術の勇気を下さい、って」
看護師はすぐに手紙をしたためた。
手紙を受け取ったプロ野球選手、母神行正は自分のファンに希望を与えるため、そっとホームラン宣言をした。
「初球! カーブを──捉えた!! 打った!!!! 宣言通り巨大なアーチを描いて放たれたボールはそのままレフトスタンドへーーーー!!!! 特大スリーランホームラン!!!!」
ホームランはあっさりと放たれた。
母神はいつも通りのパフォーマンスで、ペンチへ戻ると、カメラに向かってウインクをした。
「手術、頑張って♪」
「……うん」
看護師がポンと軽く背中を押した。
「ほら」
「え?」
看護師が指さした先に、ホームランボールを持った母神選手が立っていた。
「約束のホームラン。届けに来たよ。次は君の番だ」
「も、母神選手!?!?」
サイン入りのホームランボールが手の中へ渡された。
ニッコリと歯を見せて笑い、母神はそのまま手を振って去っていった。
「……やるよ」
「うん♪」
手術衣に着替え、看護師と二人で手術室へ。
「先生遅いよ!」
「ごめんごめん。中々決心がつかなくて」
「僕もうずっと待ってたんだからね!? 早く手術して元気になるんだから!」
「……ああ!」
ホームランボールをそっと人工心肺機の上に置き、主治医は母神から貰った勇気で手術へと取り組んだ。