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その後、来海サンを自宅(駅の反対側にある老舗印章店)まで送り、画材屋に戻った僕はレジカウンターにPCを置いて3通の手紙、特に2枚の絵柄について、それが何を意味しているのか読み解くことに没頭した。
全くわからなかった。しかし、明け方、絵柄の謎は解けなかったが一つの明白な答えに到達した。
早朝、カウンターに突っ伏して寝入っていた僕は店のインターホンの音で間が覚める。
開店を待たずやって来た来海サンだった。彼女も絵柄の謎が気になっていたと見える。でも、名相棒は僕が謎に取り組んでいる間は決してスマホで連絡を入れてこない。思考を中断させる愚は犯さないのである。
飛んで行って店のドアを開ける。
「どう? 絵柄の意味がわかった?」
「ダメだ。全然わからない。でも――」
土曜日のこの日、制服ではなく私服――うわっ! ミモザ色の、鎖骨が見え隠れするスクエアネックのブラウスに真っ白なプレッピープリーツスカートだと?
これで完全に目が醒めた僕に、首を傾げて問う来海サン。
「でも何よ?」
「ひとつ、僕たちがやるべき明確な答えは得た」
それは、朝野姉妹に頼んで、一緒に管財人の弁護士に会いに行くこと。
一晩を費やして謎は全く解けなかったけれど、抱え込んだ今回の件はお遊びの領域ではないことは理解した。1通目、文章のみのそれが明確にその事実を示している
【警告、この家は呪われている。すぐに出ていけ】
「これは明らかに脅迫だ。絵柄の解読に徹することは凄く魅力的だけど、取り急ぎ警察に介入してもらうべき案件だと気づいたんだよ。だから、そのことも含めて、まずはこの件を担当する遺産管財人の弁護士に相談する必要がある。弁護士なら、昨日僕らが耳にした〈噂〉以上に正確な情報も持ってるだろうしね」
即、朝野姉妹に電話した。二人は僕の要望を快諾してくれた。時を移さず弁護士に連絡して、僕らも一緒に面会の運びとなった。
弁護士事務所はH市中区、広電本通駅徒歩3分のビルの2階にあった。しかも個人事務所だ。
〈前嶋一星弁護士事務所〉
きっと物凄く優秀で有能なんだろうな!
「そんなことが起こっていたなんて……早い段階でお知らせくださって、良かった!」
身長175前後、引き締まった体、色白で端整な顏。紺色のスーツに同色(わずかに青と銀の入った)斜縞のネクタイを結び、UPバンクのツーブロックショートが良く似合っている。
姉妹から連絡を受け待機していたらしく、弁護士は僕らを迎えると、待合室を通り抜けて事務室へ直行した。
「どうぞ――」
通りに面した大きな窓を背に、机、その前の低いテーブルの両脇にブル―グレイのソファと一人掛けの椅子2脚が配置されている。片側は壁一面扉付きの書棚、机の横の棚だけが上部に扉がなく、雲の形をしたストームグラス(湿度や温度・気圧で透明ガラスの中の結晶の形が変わる天気予測器)、真鍮の鰐の置物、旅行時計(多分ロジャー・ラッセル/イギリス製)。そして、額に入れた写真――家族の写真だろう。幼い頃の思い出の一枚に違いない――が飾ってある。
スッキリしているがどこか温かみを感じる落ち着いた雰囲気。完璧だ。ほらな、やっぱり、彼は優秀で有能なのだ。ちなみに室内に絵は一枚も掛かっていない。
椅子に座る前に、姉の陽さんが持参した例の三通の手紙を弁護士の机に並べる。手を伸ばしかけた弁護士前嶋さんは動きを止め、机の抽斗から手袋を出して嵌めた。改めて封筒を手に取って細部を確認する。こういうところも緻密だ。言うまでもなく僕たちも、手紙を写メに収めたが決して素手では触っていない。
「僕も、これを写真に撮らせてもらっていいですか?」
「勿論です」と姉。妹が急き込んで、
「やはりこれって、警察沙汰になるくらい大事なんですか?」
「悪戯にしては質が悪い。尤も、警察にどこまで介入してもらえるか、現段階ではわかりません。でも、少なくとも邸周辺の巡回パトロールは強化してもらえるはずです」
「そうなの? それだけでも凄く安心だわ!」
陽さんは胸に手を置いて安堵の息を吐いた。
前嶋さんはにっこり微笑んだ。
「それに、邸の門や玄関、その他、全ての出入り口に防犯カメラの設置をお勧めします。その手配は僕が責任を持って行います」
「ありがとうございます。弁護士さんにお話して良かった。一人で悩んでいてバカみたい。でも、それもこれも、苑ちゃんが素敵な探偵さんを見つけて邸まで連れて来てくれたおかげだわ」
「僕からもお礼申し上げます。本来なら、雨貝氏からこの件を任されたこの僕がもっと気を付けるべきだった。申し訳ありません」
本題が片付いて椅子に腰を下ろした一同。ぎこちない手つきでお茶を出しながら、弁護士はまた謝罪した。
「すみません、事務所はまだ僕一人で助手もいなくて……何もかも自分でやっているんです。行き届かない点はどうかご容赦ください」
「雨貝季教氏――その、私たちのお祖父様について、詳しく教えていただけますか?」
お茶を一口飲んでカップを静かに置くと陽さんが言った。
「思えば、今回こんなことになるまで私たちもお祖父様のことあんまり深く知らないままで……」
苑さんもうなづく。
「突然譲られた立派なお邸にばかり気を取られてたしね!」
陽さんは弁護士に向き直った。
「この機会にお祖父様のことやお邸に関して、もっと詳しく知りたいと思って、それもあって今日はやって来ました。勿論、信頼している探偵さんたちも同席して構いませんよね?」
「勿論です。ご姉妹お二人がそうお望みなら――とはいえ、以前お話した以上の詳しい情報はないんです」
若い弁護士はファイルを取り出すとそれに視線を走らせながら話し始めた。