3
「賢明なあなた方――画材屋探偵さんたちが即座に見抜いた通り、妹を驚かせた〝怪異〟のアイディアは小説からのパクリです」
怪異現象の演じ手、セレスト(予想通り白猫で首に薄いピンクの紐を結んでいる!)を自室から抱いて戻って来た姉、陽さんは詳細を説明してくれた。
「大急ぎの引っ越しの際、私は自室に選んだ台所上の続き部屋の壁に開閉できる小さな隠し扉――通気口?があることに気づきました」
「えー、私、全然知らなかった!」
「あなたは、部屋をきちんと見もしないで、すぐ引っ越し業者さんに壁の前にベッドを置いてもらったでしょ、だからよ」
僕と来海サンに向き直って陽さんは続ける。
「私の方はその隠し扉の前に机を置いたの。それで――妹を怖がらせる必要が生じた時、このことを思い出した。机の前の椅子さえ動かせば、小さな扉を開けて難なくセレストを妹の部屋へ侵入させられる。この子、ベッドで転がるのが大好きなんです」
「なるほど。そして頃合いを見てセレストを呼び戻してまた扉を閉める……」
うなずきながら大いに納得する妹。
「それで、肝心の大問題、姉さんが私をこのお屋敷から遠ざけようとした理由とは何なの?」
愛猫を抱いたまま陽さんは、猫と一緒に自室から持って来た三通の封筒をテーブルの上に置いた。
封筒にはどれもPCで印字した〈県と区と町名〉そして、〈珊瑚樹邸行き〉と記された紙片が貼ってある。
猫を妹に渡し、姉は中身を取り出して並べた。
一枚目:文章のみ 【警告、この家は呪われている。すぐに出ていけ】
※宛名と同じPC印字
二枚目:絵 クマと炎(焚火?)
三枚目:絵 シャレコウベとミイラ
「私は――」
陽さんは言い直した。
「私と妹はこの譲られた邸宅を凄く気に入っています。簡単に逃げ出すつもりはありません。でも、この手紙の謎、あるいはこの手紙の贈り主の正体とその意図が明確になるまで、万一の危険を考慮して、妹だけは遠ざけたいと思ったんです。幸い私の勤めるホテルで家族割引で長期滞在できるので、しばらくそこに避難させるつもりでした」
「だから? 怪異で私を怖がらせて追い出そうとした?」
大いに憤慨して苑さんが言う。
「まぁた! 陽ねぇの悪い癖よ! すぐになんでも一人で背負い込もうとする。そして私を守ろうとする。でもね、私はもう大人なんだから、どんなことにもこれからは二人して力を合わせて対処しようよ! ね? これは永遠の約束よ。私たち二人の」
「苑ちゃん!」
抱き合って涙する姉妹。賢いセレストは二人に押し潰されないよう、咄嗟に逃げ去っている。姉妹愛溢れるこの美しい光景に僕と来海サンも椅子から立ち上がって拍手した。
その後、許可を得て三枚の不可思議な手紙を僕はスマホに納めた。
「早速持ち帰ってこれらが何を意味するのか、解読を試みたいと思います。進捗状況を毎日お伝えします」
言うまでもなく、僕としては出来るだけ早く謎を解き明かすつもりだ。
「新しい手紙が来たり、その他、何か変わった事があったら即、ご連絡ください」
こうして、僕たちは屋敷を辞去した。
もちろんすぐ画材屋へ戻ったわけではない。近くに車を移動し、邸の近辺を巡って実地調査を決行した。
車から降りて歩き出すや、来海サンが言った。
「陽さんが読書家っていうのは本当ね!」
「うん、しかもジャンルを問わない、ミステリと怪奇小説」
「え? 謎の作り方から、そして愛猫の名前からもミステリ好きはわかったけど、怪奇小説って、新さん、何処から推理したの?」
「うん、それはね」
僕はその理由を来海サンに最後まで伝えられなかった。この時、僕の言葉が背後からの声に遮られたためだ。
「あんたたち、今、珊瑚樹邸からでて来たよね? 最近、若い女の子たちが引っ越して来たようだが、まさかもう何かあったのかね?」
黒柴を連れた中年の男性だ。決して嫌な感じはしない、小太りで穏やかで優し気な印象。好奇心と言うよりむしろ心配げな様子で僕たちを見つめている。
「あ、私たち、ここのご姉妹の友人なんです。今日は引っ越し祝いに来たんです」
ナイス、来海サン。な? 我が相棒の対応力は素晴らしいよね。
「こっちが兄。ボディガード役です」
「はい、ボディガード役の兄です。コンニチワ」
「君がボディガード役なら――」
値踏みするように僕を凝視して男性は言う。
「可愛い妹さんをあんまりこの屋敷に近づけない方が賢明だと私は思うな」
「何故です?」
「何故って……ここ、あんまりいい噂がないからねぇ」
薄くなった髪を掻き揚げて男性は邸を振り返った。
「いやね、この邸が建ったばかりの頃は頗る隆盛してたそうだが、次々とご家族がいなくなってしまった」
「いなくなった?」
「まず、長男が趣味のバイクで事故死した。そのショックから元々心臓の悪かった奥さんが後を追うように亡くなり、結婚に反対されたとかで末子が家を飛び出した。最後に残った次男――この人は自由奔放な長男と違って真面目で父親と同じ職について、ゆくゆくは後を継ぐだろうと思われていたんだよ。父親に反抗したことがない優しい息子と評判だったのに、その次男がこれまた突然行方知らずになった。あれよあれよという間に邸は当主の雨貝氏一人だけになったしだいさ」
男性はしんみりと言った。
「その頃だったな。猫の鳴き声だけがやたらに響く寂しい邸になった。それで一時、近辺では『あれじゃあ珊瑚樹邸じゃなくて猫柳邸――猫や鳴き邸だ』なんて言いあったもんだ。尤も、その猫の声も気づいたらいつのまにか聞こえなくなったけどね」
もう一度、邸を振り仰ぐ。
「まぁ、それもこれも私がまだ大学生だったころの旧い話だがね」
黒柴と飼い主はゆっくりと去って行った。
その後姿を見つめていた僕の手をいきなり掴んだのは――来海サンではなくて……
「秋斗さんっ!」
「え?」
「も、申し訳ありませんっ!」
続いて追いついて来た女性が平謝りする。
「母が失礼なことを――」
「そう、ごめんなさい、人違いだったわ。この人じゃない。秋斗さんはこんな顔じゃなかった」
「もう! いいかげんにしてよ、お母さん」
「秋斗さん?」
「ええ、雨貝秋斗さん――ここのお屋敷の息子さん」
年齢は百歳近いのだろうか? けれど、矍鑠として受け答えもしっかりしている老女の手を取って中年の女性は苦笑した。
「母が最近、その秋斗さんを見たと言って聞かないんですよ。それで、目を離すとこの辺を歩いている若い男の人を片っ端から呼び止めて、もう大変なんです」
「あら、本当に私は秋斗さんに会ったんだよ。あれは秋斗さんに間違いなかった。でも、この人は違う」
「当たり前ですよ。すみません、母、認知症が進んでて。きっと妄想です。幻でもみたんでしょう。だって」
女性は眉間に皺を寄せると、
「そもそも本物の秋斗さんなら、若い男性のはずがない。彼は私と同年代のはずだから40代ですもの。実際、ホントにお邸を訪ねて来たとしてもね」
母の手を引っ張ってもう一度お辞儀をした。
「驚かせて失礼しました。さぁ、帰りましよ、お母さん」
「嫌ですよ、私はどうしても秋斗さんに確かめなきゃならないんだから。猫がどうなったのか……」
僕は慌てて引き留めた。
「待ってください、あなたやお母さんはこちらの雨貝家の皆さんとお知り合いだったんですか?」
「え? はい、母は奥様がご存命中、仲良くしていただいてました。奥様は猫好きで、母もそうだったのでウチで飼ってた猫の子を差し上げたのが縁でたびたび遊びに行ってたみたい。お母さまに似て息子さん達も猫が大好きだったとか」
でも、と女性は首を振る。
「私は雨貝家の息子さん達とは全く面識がありません。同年代だったけどアチラは優秀でお金持ち。中学・高校と地元の学校へは行ってなかった。だから、顔もよく知りません。では、これで」
「雨貝の坊ちゃんは何処? 特別に可愛い子猫を譲ったんだよ! どのくらい大きくなったか、今日こそぜひ見せてもらわなくっちゃ!」
「はいはい」
「ねぇ、新さん、あの通気口と言うか、秘密の扉ね、元々猫のためのだったんじゃ……」
「うん、僕も、今それを考えてた」
「偶然にしろ、姉妹が自室に選んだあの続き部屋は雨貝家の兄弟が使ってた部屋だった?」
「そうだとすると――」
僕はつぶやいた。
「苑さんのベットに転がって痕を残したのも、ひょっとして兄弟が可愛がってた猫だったのかも知れないぞ。珊瑚樹邸に住んでいた過去の猫……」
「やめてよ!」
ピシリと相棒は言った。
「私たち、画材屋探偵の領域はあくまでもミステリですからね! ホラー系は明らかにカテゴリーエラーよ!」
「ごめん」
車に戻り、迂回して帰ろうとした時だ。珊瑚樹邸の煉瓦塀の前に立っている人影が目をかすめた。この辺はあんまり人通りが多くないので気づいたのだが。顔まではわからなかったが背の高い女の人だった。わざわざ車を停めて何か訊くことはしなかった。そのまま僕たちは走り去った。
☆ ↑ 2通目と3通目の絵柄
☆愛猫の名前セレストは〈九尾の猫〉エラリー・クイーン著に出て来る……