24
僕と来海サンに届いた嬉しい便りはメールではなかった。切手を張った封筒を開ける。古風な純白のカードにガラスペンで綴られた文字が煌めいていた。
〈招待状〉
私たち姉妹はレストランを開業しました。
その最初のお客様としてお二人をご招待したいと思います。
ぜひお越しください。
お待ちしています。
当日。自分の愛車で来海サンの自宅の印章店へ迎えに行く。出て来た来海サンの姿に僕はほとんど息が止まりかけた。緑色のワンピースはパフスリーブにキーネックの襟、膝丈の流れるようなドレープの裾……
とてもよく似合っていた。右手には僕が贈った新宝石の指輪とスイス土産の腕輪をつけている。
頬を染めて来海サンが言った。
「この服の色――〝緑〟は偶然なんだけど、新さんにもらった腕輪にピッタリよね?」
うん、本当に! 馨しいスイスの森の風が吹き抜ける。これなら、僕は君を見失うことはないだろう。何処へ姿を隠しても風が吹く方を振り返ればいい。そこに必ず君はいる――
思えば来海サンを助手席に乗せ自分の車で珊瑚樹邸にやってくるのは久々だ。
門扉は開いていた。そのまま乗り入れ、邸の右側のスペースに停車する。既に見覚えのある前島弁護士の車、その隣に、これは見慣れないバイクが一台停めてある。
「へー、珍しいな、エルシノアだ」
思わず僕は唸った。
「本物を見るのは初めてだよ。昭和の末に発売された公道走行可能なオフロードの名車! うーん、噂に違わぬ美しいカタチだな」
「形もだけど名前も美しいのね! 〝エルシノア〟って、それ、シェイクスピアが書いた作品の中のお城の名じゃなかった?」
残念。命名の由来は有名なオフロードレースの開催地、LAのエルシノア湖からきている。でも来海サンの文学説も悪くない。何より、美しい誤解は解かないほうがいい。美しい魔法同様に。
僕たちが車から降りる前に玄関のドアが開いた。
「ようこそ、いらっしゃいませ!」
「お待ちしていました!」
珊瑚樹邸の玄関ホールで僕たちを迎えてくれた朝野姉妹の服装もまた素晴らしかった!
共に白のブラウスと黒の、姉はミモレ丈のマーメイドスカート、妹はパンタロンパンツ。布地は同じなのにそれぞれの個性が見事に引き出されている。
「陽さん、苑さん、お二人ともスッゴクお似合いです!」
「来海ちゃんもよ!」
「でも、それもそのはず」
三人は声を揃えて、
「これを作ってくださったのは大人気のウェブデザイナーですもの!」
「そんなにお褒めいただき光栄です」
現れたのは前島弁護士の母、前嶋十絵さんだ。背後には少々きまり悪げな弁護士当人。
「あ、そうなんですか!」
僕は大いに納得した。
「なるほど、三人とも凄く素敵なはずだ」
「ルーク・ホフマン君絶賛の日本の美少女ですからね!」
珍しくジョークを飛ばす前嶋さん。それはスルーして意味深に朝野姉妹が目配せし合う。
「でも、画材屋探偵さんにしては大減点よ、ねぇ、相棒さん? 彼、私たちがこの服をいつ注文したか、全く気づいていないようね?」
「そうなの」
悪戯っぽく微笑む相棒だった。
「いつもそれ。この探偵は自分にまつわる謎はからきしダメなの。そもそも私と新さんが出合った記念すべき〈最初の謎解き〉もそうだった。私が差し出した暗号を彼、全然解けなかった」
「え?」
あ、今それを言う? 僕の最悪の黒歴史を。
蒼ざめる僕を見て心優しい我が相棒は話題を変えてくれた。
「それはともかく――ねえ、新さん、画材屋で私が隣に座って二人して欧州の熊狩りをしてた日を憶えてる? 私、しばらく側を離れて外へ出てたでしょ? まさにあの時よ。私ね、陽さん、苑さんに呼び出されて一緒に前嶋さんのお母様のアトリエへ行ってたの。そこで見た十絵さんが縫ったお洋服がどれも素敵で、私たち即注文したのよ」
「あ、あの時か」
僕はまざまざと思い出した。僕が夢中で熊を追い求めていた時……
「十絵さんね、一か月も経たずに縫い上げてくださったんだけど、私も陽さんも苑さんも『特別な日に着よう』って約束してたのよ」
「そして、今日が、まさにその特別な日!」
陽さんがにこやかに告げる。
「厨房とレストラン部分の改装が終わりました。まだ、狭いけど、今の私たちが対応できるのはせいぜい二組から三組のお客様が限界、営業も週末のみだからちょうどいい規模だと思います」
苑さんが言い添えた。
「でも、いつか、最終的にはオーベルジュにするつもりよ!」
「では、ご案内します――でも、その前に、今日同席していただくもうおひとかたの特別なお客様をご紹介します!」
朝野姉妹が二人して差し示す手の先に、その人はいた。
銀色のシフォンブラウス、グレイのワイドパンツ、肩で揺れる褐色の髪。若々しい顔立ちで年齢が判然としない。そして、何より、目が覚めるような長身……!
「あ、あなたは――」
間違いない。初めて邸を訪れた日、その帰り道で目にした煉瓦塀の前に佇んでいた人……
「はじめまして。私、戸塚紫帆と申します」
我慢できないと言うように朝野姉妹がさざめいた。
「こちら紫帆さんは雨貝家に関わりのある方なのよ!」
「桑木新さんと城下来海さんですね? おふたりは〝探偵さん〟と伺っています。このたびは私のことでお騒がせして申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます」
深々と頭を下げた後、戸塚紫帆さんは言った。
「私は、こちらのご長男、雨貝冬悟さんとお付き合いしていた者です」
「!」
名前だけしか語られなかった、趣味のバイクで事故死した長男雨貝冬悟氏――
これで全てのパズルが揃った!
「事故の夜、バイクで邸を飛び出す前、冬悟は父親と口論していました。ワタシとの関係について。彼と知り合ったのはバイクを通じてなんですが」
「オフロードのエルシノア! 停めてある、玄関前のあれはあなたの所有なんですね?」
「そうです。当時私、モデルをやっててオマケにバイクをブッ飛ばす娘なんてアバズレだと雨貝氏は思ってた。大切な長男の相手としてご不満だった」
飾らない言葉で率直に戸塚紫帆さんは続ける。
「あの夜、待ち合わせたサービスエリアに彼は遂にやって来なかった。翌日彼の死を知って……それだけじゃなく、お母様の急死、弟さん達が立て続けに家を出たと知り……元を正せば、その全ての原因がこの私にあると思うと、恐ろしくて、申し訳なくて、私は遂にここを訪ねることができませんでした」
伏せた睫毛が揺れている。顔を上げた紫帆さんは歌うように言った。
「でも、冬悟は私にとって最愛の人。月命日には欠かさずお墓に参って……そのたび邸の周りをそっと巡っていました。冬悟が生まれ育った家だと思うと愛おしくて……」
小川のようにキラキラと声は流れて行く。
「あ、バイクは目立つと嫌なのでいつも駅前に留めています。最近、雨貝氏の訃報を知り、邸には若いお嬢さんたちが引っ越してこられたご様子。きっと雨貝家のどちらかの弟さんの娘さんたちだろう、そう思うとつい気になっていつも以上に足繁く通ってしまいました。私、ずっと独りで生きてきたんですが、ひょっとしたら私の姪になってた娘さんたちだと思うと、もう、たまらなくて」
再び朝野姉妹がドッと割り込む。
「紫帆さんと私たち、数日前に、秋斗伯父さまのお墓に参った際、雨貝家の墓所で偶然会ったのよ!」
「きっと、お祖父さま、お祖母さま、そして冬悟伯父さまのお導きよね!」
「桑木さんと来海ちゃんはいつも私たちの先廻りをして謎を解明して私たちを驚かせてきたから、今度は私たちが驚かせる番と思って、今日のこの特別な食事会まで秘密にして来たの!」
姉妹は得意満面で訊いてきた。
「どう、驚いた?」
僕と来海さんが即座に答える。
「ええ、物凄く!」
改めて紫帆さんは朝野姉妹に静かに頭を下げた。
「今日は私までご招待いただきありがとうございます。ホントは私、雨貝家の不幸の原因――悲劇の引き金を引いたのはこの私なのに」
「それは違う」
一歩前へ出たのは弁護士の母、前嶋十絵さんだった。
「私はこう思っているの」




