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「お父さん――――――!」
弁護士の悲痛な声が室内に響き渡った。
「嘘だ……こんなところに……? お父さん―― ――!」
刹那、僕の頭の中で過去に聞いた様々な言葉が錯綜する。どれもが、目の前に横たわる遺骸と弁護士を繋ぐ細い、細い糸だった……
――僕、ワニが会いに来るのを待ってるんです……
――写真のあの格子模様、ブラックウォッチって柄よね?
――お揃いのお父さんと幼い前嶋さん、二人とも凄く似合ってる!
――あの人、ブラックウォッチのシャツを着ている……
僕たちはすぐに警察を呼んだわけではない。
僕たちは真実を知る必要があった。
いったん戻った台所兼居間で朝野姉妹が淹れてくれた熱い紅茶は物凄く美味しかった。心と体に染み渡る――
それを飲み干すと前嶋弁護士は話し始めた。
「そうです、アレが雨貝秋斗、27年前失踪した――僕の父です」
姉妹が同時に叫んだ。
「じゃあ、あなたは私たちの従兄弟なのね?」
「いえ、但し正式な戸籍には入っていません。母は未婚のまま私生児として僕を生んだんです」
どこから話したらいいのか、弁護士は言葉を捜しながらゆっくりと続ける。
「母は雨貝家の次男と恋をし、いつか、必ず父親から了解を得て花嫁として迎えるという言葉を信じて僕を産みました。でも、そのいつかは来なかった。だって、父はずっとあそこで死んでいたんだから……!」
歯を食いしばる。
「クソッ、父の失踪が取りざたされたもっと早い段階で、一度でも、雨貝氏があの部屋の中を覗いていたら状況は変わっていたに違いない。だが、あまりにも絶望し怒り狂っていた雨貝氏は図書室の前で騒ぐ猫を無視して鍵をかけた――」
ここでいったん口をつぐんだ。自分の想いをまとめるようにしばらく考え込んでいた。
「でも、母と僕も同罪だ。僕と母は父からの連絡が途絶えた一か月後にこの邸を訪れている」
「え、そうなの?」
吃驚して目を瞬く姉妹に前嶋弁護士はうなづいた。
「僕は5歳だった。母は幼い僕の手を引いてやって来た。そして雨貝氏に全てを話した。自分と次男雨貝秋斗の関係。秋斗が二重生活を送っていたこと。僕が二人の子であること。とはいえ、父、秋斗は必ず週に数回は僕たちの元へやって来ていた。それなのに『一か月もの間、音信不通と言うのはありえない』と母は雨貝氏に訴えた。氏は終始険しい顔で口を一文字に引き結び母と僕を見つめていたっけ。とても怖かったのを憶えている。やがて、氏は母に告げた。『一か月前、秋斗は荷物をまとめて出て行った』と。その際、氏の前ではっきりと言ったそうだ。
――お父さん、僕は邸を出て行く。気が弱くて勇気のない僕は『結婚相手は自分が決める』というあなたに逆らえなかった。でも、弟の春揮がやったことを僕も実行する。弟にできて僕が今日までできなかったことが恥ずかしい。春揮に教えられました。では、さようなら、お元気で!
そのまま秋斗は去って行った。だから、その後のことは自分も全く知らないと雨貝氏は言った。
一方、このことを聞いて、母は捨てられたと思って衝撃を受けた。だって、雨貝秋斗は雨貝家から決別したのに自分の元に戻らなかったのだから。訪れた時同様、傷心の母に手を引かれて僕はこの邸を後にした。その時も、鳴いている猫の声が遠くで響いていた……」
前嶋弁護士は淡々と言葉を継いだ。
「それから半年後、雨貝氏から母に連絡があった。僕の養育費を将来に渡り援助するとのこと。賢明な母はそれを受け入れた。僕に十分な教育を受けさせたかったからだと母は僕に教えてくれた」
声が震える。前嶋さんは拳を口に押し当てた。
「この邸を訪れたあの日、僕と母にも機会はあったんだ、父を見つけ出すチャンスが。今日みたいに、鳴いている猫の声をたどり、あの部屋の扉に行きついて雨貝氏に鍵を開けさせていれば――」
「自分やお母様を責めないで」
朝野姉妹が優しく遮った。
「そうよ、そんなことはどう考えても無理だったのよ。大切な人が失踪して憔悴していたあなたのお母様……家族全員がいなくなって絶望のどん底にいたお祖父様……どちらにとっても――」
前嶋さんは激しく首を振った。
「僕にはもう一度チャンスがあった。二度目はまさに今回、この邸の後始末を任された時。雨貝氏が亡くなる際、僕は遺言状の作成に協力し、責任を持って氏の望む通りにすると約束した。氏の葬儀が終わり、君たちが引っ越して来る前に、僕はザッと邸内を見て回ったけど、あそこもきちんとチェックしておけば良かった。父はずっと――今日まで――あそこで死に続けていたのに。墓の中のキリストのように」
「まぁ! あなたもあの絵を知っているのね?」
「知っているも何も」
低く笑う前嶋さん。
「僕はザンクト・ガレン中学校の卒業生だよ。というか、雨貝家の息子たちは全員そうなんだよ。修道院図書館に惚れこんだ先先代からの方針なのさ」
ここで弁護士は僕の顔を見た。
「気づかなかったのか? 〈ザンクト・ガレン修道院は現在修道院としては機能していない〉これは紹介用パンフレットや公式サイトに明記されていたはず。その通り、かなり以前から、あの建物は市の教育施設、中学校として使用されている――」
「あ、だからか! エレベーターのある通路で制服姿の少年にあったのは、彼が生徒だったからか」
来海サンもハッとして、
「そう言えば彼、スマホを持ってたわ。入場者なら入口で没収されるはずなのに」
「ラッキーなことに――」
朝野姉妹が目配せし合う。
「その美少年のおかげで私たち、あの絵〈墓の中で死にゆくキリスト〉をもっと間近で見ることができたのよね」
「クッ」
再び皮肉な笑いを漏らす前嶋弁護士。
「ラッキーなものか、あれも僕の仕込みだよ。彼に誘導させて君たちを次なるゾロトゥルン美術館へ向かわせた」
「――」
「ルーク・ホフマン君は僕の親友、サッカー仲間のレオン・ホフマンの末弟なんだ。アニメや漫画が大好きな日本オタクだから喜んで協力してくれた」
「あ」
僕は思い当たった。遅すぎるけど。
「謎の侵入者を追いかけた時、足の速さを絶賛した僕に言った『元サッカー部で和製帝王って持て囃されてた』って……あれはスイスのザンクト・ガレン中学校時代の話だったんですね?」
そう言えば〈和製〉って表現に微かな違和感があった……
「うん。あの時は優秀な探偵の前でつい口を滑らせて内心ヒヤリとしたよ」
前嶋さんは改めて一同を見回した。
「皆をゾロトゥルン美術館へ向かわせたのは〈墓の中の死にゆくキリスト〉をじっくりと見せたかったから。中学校のカリキュラムで生徒は必ずあそこへ行くんだけど、初めて行った時僕は恐怖で震え上がった。僕はあの絵が大嫌いなんだ。高いところにある図書館のでさえ怖くて直視できなかったんだから。それで、君たち――陽さん、苑さんを怖がらせるにはあの絵を見せるのが一番だと思ったのさ。それにあの美術館には骸骨の絵がいっぱいあるし。とにかく、僕としては、君たち姉妹に一日も早くこの邸の売却を同意させたかった。それが雨貝氏との最後の約束だったから」
ひとつ息を吐き、穏やかな声で弁護士は言った。
「氏は君たちに財産を残したかった。だが、この邸はゲンが悪い。氏は本気で〈呪われた邸〉だと言っていた。氏にとっては最愛の妻と長男を亡くし次男と三男に背かれた悲痛な思い出しかないからね。ここを売り払って、その金を〈穢れていない真っ新な遺産〉として将来のある君たち孫娘に渡すよう、僕は託されたんだよ。それが氏の最期の、心からの願いだった」
視線を下げ床を見る。
「最初はなんてことない簡単な仕事だと思った。若い女の子がこんな古びた、馬鹿デカイだけの物件を欲しがるはずないと思ったから」
姉が言った。
「でも、意に反して私たちはここが気に入った――」
続けて妹、
「のみならず、説得するより早く引っ越してきてしまった――」
「焦ったよ。追い出すには怖がらせて脅かす以外ないと思った」
姉と妹が声を揃える。
「それで? 脅迫めいた文章と謎の絵柄の入った手紙を送り届けたのね!」
手紙の内容には知恵を絞った、と前嶋さんは認めた。
「だって、人を恐怖に陥れるなんてやったことがない。で、思いついたのが自分が怖かったことをすればいいと。僕が一番恐ろしかったのは留学先の中学校で見たザンクト・ガレン修道院図書館そのもの。あそこは本好きの僕にとって最も魅惑的で同時に戦慄する場所だった。幾万冊という地層のような手書きの古書……ミイラもある……それからあの絵〈墓の中の死にゆくキリスト〉」
ふいに口を閉じる。独り言のように言った。
「思えばあれは予告だったのかも。父さんの呼び声……父さんはずっとここで死に続けていた。僕に早く見つけてもらいたがっていた?」
虚空を彷徨っていた瞳を閉じて小さく頭を振ると冷静な声に戻って前嶋さんは言った。
「ザンクト・ガレン修道院図書館とゾロトゥルン美術館のダブルパンチ。あれを目の当たりにすれば君たちは縮みあがると僕は確信した。予定では僕自身が手紙の謎を解き、君たちを連れて欧州へ行くつもりだった」
「まぁ、そうだったの?」
「だが、そこでヘンテコな探偵が出現したんですね?」
僕の突っ込みに笑みを浮かべる前嶋さん。
「いや、却ってその方がいいとホッとした。僕より第三者の方が、説得力が増すだろう? 後は恐怖を決定的にするために図書館だけでなくゾロトゥルン美術館へ巧く誘導するための小細工が必要だっただけ。これも、さっき明かした通り、ルークに声を掛けて解決した」
姿勢を正して前嶋さんは言った。
「小細工に関してはもう一つ、謝っておきます」




