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「何処からお話しすればいいのか――」
レジカウンターの前、ゴッホの椅子(僕が作ったレプリカ)に腰を下ろすなり、依頼人は言った。名は朝野苑さん。6月半ばの昼下がり、場所はH市東区ヒカリマチにある桑木画材屋だ。
祖父が開業したこの画材屋を僕、桑木新は美大卒業と同時に両親から引き継いだ。その際、新しくした店のHPに、ほんの遊び心で掲げた一行が、
〈画材屋探偵開業中! あなたの謎を解きます〉
勿論、ジョークさ。よもや謎を持ち込む酔狂な人などいないと思っていたところ、いたんだな、これが。その最初の依頼人こそ、現在の僕の相棒、制服姿で真横に座っているJKの城下来海サンなのだ。
「どうぞ、ご気軽になんでも仰ってください。ご覧の通り、店内にお客はいないし、少しでもお力になれるなら嬉しいです」
「えーと、ですね」
ショートカットの髪、つぶらな瞳、意志の強そうなキリリとした眉。でも今は少々もじもじして唇を舐めながら依頼人は言う。
「謎、というか、とても奇妙な話なんです。私の部屋に、出るんです」
む、その言い方は……
「まさか、幽霊?」
「それがハッキリしないから、正体を突き止めてほしいんです」
しまった! 僕はソッチ、霊関係はやっていない。
「おことわりしま――」
「ちょっと、待って、新さん」
サッと僕を遮る白い影――は幽霊ではなくて、頼もしき我が相棒来海サンのしなやかな指だった。
「朝野さんはあくまで、〝正体を知りたい〟んですよね? 〝悪霊を払ってほしい〟ではなく?」
「ええ、そうです」
「だったら、カテエラじゃないわよ、新さん。この案件は私たちの領域〈謎解き〉だわ」
相棒はニッコリ笑って、僕に代わって促した。
「どうぞ、お話をお続けください」
「ありがとうございます。私、現在、姉と二人暮らしで他に相談をする人もなくて――たまたま目にしたこのお店のHPを見てここにやって来たんです。まず状況を説明します、聞いてください」
黄色い椅子からグッと身を乗り出して依頼人は話し始めた。
「私の母は私が2歳で亡くなり、一昨年、高校3年の時に父も他界しました。でも、愛情深く真面目で働き者だった父は私が望んだパテシェ専門学校の学費をちゃんと残してくれました。3歳違いの姉も父が準備した学費で無事短大を卒業、現在はホテルのフロント係として働いています。そんな私たちが、一か月前、突然、豪邸を譲られたんです」
「豪邸……」
「父は死ぬまで一言も口にしませんでしたが、実は資産家の三男で、正当な遺産相続人だったんです。結婚に反対され、駆け落ちして母といっしょになって以来、実家とは完全に縁を切っていたらしいです。
父の実父、私たちにとって祖父に当たる人が亡くなり、遺言で唯一の子孫である私たち姉妹に邸宅を残したとのこと。遺産管財人だと言う弁護士さんが知らせてくれました」
大きく目を瞠る。
「建物は物凄く大きくて立派ですが何しろ古いので、いたる処手を入れる必要があります。でも、修繕なんかはおいおいやって行くとして、私たちはこの降ってわいた幸運を逃したくなくて書類上の手続きを終えると、即、そこへ引っ越しました。これが2週間前のことです。ところが――」
一度言葉を切る。そっと息を吐いてから依頼人は言った。
「出るんです。私がソレに気づいたのは三日前でした」
「姿を見たんですか?」
「いえ」
「では、気配を感じてる?」
「気配も感じません。私、自慢じゃないけど、そういう霊感の類? は全然ないので」
「見てもいない、気配も感じない――では、それでいったい何が問題なんです?」
依頼人は可愛らしい眉間に皺を寄せた。
「ベッドに〈痕〉が残っているんです」
「――」
僕と相棒が何か云う前に依頼人は急いで言葉を継いだ。
「私、こう見えて綺麗好きです。朝、必ず、ベッドを皺ひとつなく整えて、ベッドカバーをきちんとかけて出かけます。あ、私、この春から市内でも超人気の有名菓子店に採用されたんです。夢みたい! その上、今度はあんな豪邸も相続して、まさに順風満帆、最高にハッピー……そのはずなのに」
唐突に話題が変わった。
「採用試験の時、オリジナルケーキを作るんですよ。そのケーキのデザインや色彩等、あれこれ考えていた時、ネットの画材屋関係でこのお店を知って、へー、画材屋なのに謎を解くなんて変わってるなぁ、と記憶に残ったんです。まさか、自分がこんな風に謎を持ち込むとは思ってもいなかったけど」
コホン。僕は咳払いをして依頼人の話を脇道から戻した。来海サンが素早く紙を差し出す。
「よろしかったらお住まいになっているお家の簡単な間取りを描いていただけますか」
「取りあえず私と姉が使用している部分だけ、その他はザックリでいいですか?」
ペンを受け取って描き始めた。
「あまりにも大きな建物で、80歳でお亡くなりになるまでお祖父さんが独りで住んでたんですって。実は邸内は弁護士さんに一度ザッと見せてもらっただけで、よく知らないんです。もう少し落ち着いてから改めてゆっくり点検しようと思っていたので。私たちがあまりにも早く、速攻で引っ越して来て弁護士さんも吃驚してました。でも、私も姉もずっと借家暮らしだったのであんな素敵な大豪邸が自分たちの物だなんて、もう、舞い上がっちゃって……ああ、ホントに素敵なお屋敷なんですよ!」
まず長方形の図を二つ。真ん中の横線が廊下だろう。下の長方形の左端に1本、上の長方形のこれまた左端に2本、縦線を引いてゆく。
「一階のここが台所。これだけでも凄く広いので姉と私は食堂兼居間として使っています。階段は邸中央の玄関ホール前にあるんですが台所兼居間に近いこっちの裏階段を上がって二階の、ここ、左端の二部屋を姉と私の部屋にしました」
「隣り同士ですね。お姉さんがあなたの部屋のベッドに寝ころんだ、ということでは? そのセンはありませんか?」
「ありえません。姉は私以上に几帳面で生真面目なんです。他人のベッドを無断で使用するなんて絶対にありません。それに」
朝野苑さんは唇をすぼめた。
「奇妙な痕に気づいた翌日から私、念のため、出かける時は必ず部屋に鍵をかけているんです。邸は旧い洋館でホテルみたいに洋室のドアは全て鍵付きなの」
苑さんは二度瞬きをした。
「それなのに、毎日ベッドに何者かが寝た痕跡がはっきりついているのよ」
声が大きくなる。
「ね? これってあんまり気持ちのいいことじゃないでしょ? 姿が見えないのに痕だけだなんて。こんななら、むしろ、はっきりと出てくれた方がましだわ。私、もう、限界! これ以上耐えられない!」
「わかりました」
僕は立ち上がった。
「僕たち――僕と相棒の二人でこれからすぐあなたに同行してお宅へ伺います。実地調査をすることにします」
兎に角、現場をこの目で見ないことには始まらない。その上で、これが純粋に霊的なものなら、その時は速やかに退散すればいい。ちなみに僕も来海サンも霊感は全くない。だから、これからもHPの文句を書き換えるつもりはない。〈あなたの霊を払います。画材屋霊媒開業中〉……なんてね。
こうして僕と来海サンは依頼人・朝野苑さんと一緒に、譲られた豪邸へ向かった。個人情報保護のため詳しい住所は割愛する。ただH市安佐北区可部とだけ。この地域は緑濃い山々が続き市内8区中、面積は一番大きい。
そうだ、僕が最近、可愛い軽自動車(マツダ・フレアクロスオーバー/フェニックスレッド)を購入したことは言ったっけ? 相棒の兄上の車(ミニ・クロスオーバー・コーンウォールエディション/ムーンライトグレイ)を借りてばかりじゃ肩身が狭いからね。
愛車を快調に飛ばし、広島駅からおよそ40分。トンネルを抜けて、その先……見えてきたのは……