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この後、早いほうがいいということで、朝野姉妹と中橋氏、それに前嶋弁護士が同伴して広畑さん宅へ出かけた。僕と来海サンは邸に残った。
セレストを抱いて帰宅した朝野姉妹が教えてくれた嬉しいニュース。
中橋氏の謝罪を快く受け入れた広畑さん母子に中橋氏は最高の贈り物を約束したそうだ。シロ(=ユキ)の子孫、生まれたての白猫を広畑家に譲るとのこと。セレストと別れるのを嫌がってぐずっていたお祖母さんもそれでたちまち笑顔になったとか。
「前嶋さん、お祖母さんは中橋氏と対面した際、変化はなかったんですか?」
気になっていたことを僕は前嶋弁護士に訊いてみた。
「あの夜、お祖母さんは中橋氏を見て『秋斗さん!』と叫んでいたでしょう?」
「うん、そのことは僕も憶えている。だから、中橋さんと再会して、またお祖母さんが取り乱したりしないかと、正直、心配していた。でも、お祖母さんは全然平気だったよ。尤も、猫を返したくないと駄々をこねて意識がそっちに集中していたせいかもしれない。何より――」
弁護士は腕を組んだ。
「娘さんの話ではお祖母さんは病気のせいで、過去のことは鮮明に憶えているが、新しいことに関しては、長くは記憶を維持できないらしい。だから、あの夜の出来事は全部忘れてしまったのかも。それでなくとも、薄暗い闇の中だったし、高齢のお祖母さんが出会った人の顔をどれくらい明確に認識できたか疑問だ。僕自身、あの時、中橋氏を追いかけながら、てっきりもっと若い人かと思ったからね」
「あ、それで思い出しました。僕も、一度、お祖母さんに『秋斗さん!』と呼ばれて腕を掴まれたことがあったんです」
初めて広畑母子に会った日のことだ。
「その時、娘さんが『本当の雨貝秋斗さんがこんなに若いはずはない』って母親を諭してました」
ここで我が相棒が指摘した。
「じゃ、あの夜は広畑さんのお祖母さんは正しい認識をしたってことね? だって中橋さんはドンピシャ雨貝秋斗さんと年齢的には重なっているもの。現在の秋斗さんはあのくらいの年齢のはずだから」
大いに納得する朝野姉妹。
「ということは、少なからず中橋氏は秋斗さんに似てるってわけね!」
「そうね、お祖母さんは若い頃の秋斗さんの俤を中橋さんに見出したのかしら?」
僕は前嶋さんに尋ねた。
「秋斗さんの写真は残っていないんですか?」
「残念ながら、雨貝翁は奥さん以外の家族写真を全て処分したそうです。失踪した次男秋斗さんだけでなく、事故死した長男冬悟さん、そして家を出た末子の春揮さん――それほど、邸に独り残された雨貝氏の絶望は深かったのでしょう」
苑さんがほうっとため息をつく。
「やれやれ、頑固と言うか徹底してるとこ似てるよね? お父さんも兄弟や両親の写真を一枚も持ってなかったし、実家の話は一言も口にしなかった」
陽さんも相槌を打って、
「それを思うと、お祖父さまは会ったこともない孫の私たちによくこのお邸を残してくれたものだわ!」
「きっと雨貝翁は愛情深い人物だったのではないでしょうか? 唯、その愛し方が間違っていたというか、不器用なだけで」
そこまで言って前嶋さんは慌てて謝罪した。
「あ、失礼しました。僕の個人的な感想です。ご家族の話に立ち入り過ぎました。忘れてください」
前嶋弁護士は威厳を正し、厳粛な面持ちで言った。
「肝心なことは、無断侵入の件はこれで解決しましたが、根本的な問題は何一つ解決していない――これです」
前嶋弁護士の言う通りだ。謎の手紙で姉妹を脅迫した〈人物〉はまだどこかに潜んでいる? 闇の中、あるいは昼日中、煉瓦塀の前にそっと佇んで邸を眺めている……
この時ふいに僕は思い出した。
「あ! ちょっと待ってください――」
「どうかしたの、新さん?」
来海サンが僕の顔を覗き込む。弁護士も振り返った。朝野姉妹が声を揃えて、
「探偵さん、何か気になることでも?」
「大したことじゃないかもしれないけど、先刻、中橋さんが言ってましたよね?」
――一度だけ、お邸の前に立っていたご婦人を見かけてご家族の方かと思って声を掛けました……
「それが何か?」
「実は僕も一度、この邸の煉瓦塀の前で佇んでいる女性の姿を見たことがあるんです。その時は気にかけなかったんですが……」
来海サンが吃驚して、
「それはいつのこと?」
「初めてここに来た時。ほら、黒柴を連れたおじさんやそれから広畑さん母子に会った後の帰り道だよ。車の中からチラッと目にしただけでその時は気にせず走り過ぎたんだけど」
今になって無性に気になる。
「中橋さんにその女性についてもっと詳しく訊いてみようか? 住所と電話番号は教えてもらってるから」
前嶋さんがスマホで連絡を入れると、中橋さんが即、応答してくれた。前嶋さんからスマホを渡され、僕が直接質問した。僕が確認したかったことは唯一つ。
「中橋さん、些細なことなんですが教えてください、あなたが邸の前で会った女の人は背が高かったですか?」
「その通りです!」
中橋氏の反応は速かった。
「あんまりジロジロ見るのもなんだと思って顔はよく憶えていないんですが、僕もそこだけは憶えている。何しろ、僕と同じくらい――僕は178なんですが、その人も同じくらいの身長だったな! だから凄く印象に残っています」
中橋氏は言い添えた。
「目の醒めるような長身で、深緑色の服を着てました。それがまたレトロな赤い煉瓦塀の前でしょう? なんだか映画や絵画で見た外国のお姫様みたいで……いや、年甲斐もないことを言って、お恥ずかしい」
ということは、僕が目撃した女性と同一人物かも知れない。
しかし、この辺を通り道にしている近所の人の可能性もある。
「じゃ、広畑さんにも聞いてみるわ。私たちもアドレス交換してるから」
今度は陽さんが連絡を入れてくれた。
広畑さん(娘さん)の返答。
「背の高い女性? さあ、見たことはないです。目を離すとお母さんが徘徊するので、私、結構出歩いてるんですけど……うーん、見かけたことはないわねぇ。ご近所にはそんな背の高い女の人なんていないし」
決局、身元はわからなかった。誰だろう? 今回の件に関係がある人なのだろうか?
それぞれの自宅まで送ると言ってくれた前嶋さんに申し出て僕たちは広島駅で降ろしてもらった。そのまま城下印章店まで来海サンを送って行く。アルバート(犬種はバーニーズ・マウンテン・ドッグ)の熱烈な歓迎と、対照的な行嶺氏の凍えた視線を僕は体いっぱい受け止めた。忘れずに記述しておくと、行嶺氏にはちゃんと僕からのお土産を渡したからね。スイスが誇るフライターグ社の、リサイクルされたペットボトルを使用して作られた、頑丈なラップトップバッグ。色はフォギーブルー。どうだ、これなら『もっと素敵なお土産を選んであげて!』と憤慨していた苑さんも大いに評価してくれるはず。
来海サンに別れを告げ、僕は店へ帰還した。
ただいま、我が牙城、桑木画材屋!
その夜、僕は夢を見た。




