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発表会が終わったら馬で遠乗りに出かけよう。それはロスヴィータとの約束であった。ロスヴィータと同じ日程で休みが取れたエルフリートは、珍しく“エルフリート”として彼女と出かけていた。
早朝に王都から出発し、北に向けて街道を走る。途中で道を外れて自然の広がる草原へ向かおうというプランであった。
「少し肌寒いのではないかい?」
「いや、大丈夫だ」
「馬を駆ければ運動しているも同然だしね」
エルフリートがそう言いながら草原へ降り立ち見上げると、まだ馬上にいるロスヴィータは笑っていた。
乗馬服をまとったロスヴィータはいつもと同じで凛々しく、隙がない。そこに太陽のような笑みとくれば、もはや完璧である。
「ロスはどの角度からでも最高だ」
「なんだかフェーデに言われると照れるな」
ロスヴィータは笑いながらもひらりと馬から降りる。照れると言っているが、とてもそうは見えない完璧な王子様ぶりである。
「フリーデの自由さが染み着いてきたかな……」
フリーデとして生活する時間が長すぎて、エルフリートとしての自分が本来のものなのか、フリーデのふり――といっても本物のフリーデに近付けているわけではないが――をしている自分が本当の自分なのか、分からなくなっていた。
「フェーデは、どうなんだ?」
「うん?」
風除け代わりに結界を張るエルフリートのそばで、ロスヴィータが問う。彼女は敷布を広げているところだった。
「本当のフェーデを出しても良いのではないか? 今日は人がいないしな」
「本当の、かぁ……ちょうど、自分が本当はどうなのかよく分からないなって考えていたところだよ」
エルフリートは荷解きをして弁当を取り出した。持ってきている弁当は、エルフリートやロスヴィータがそれぞれ持ち寄った豪華な品だ。本当はかごに入れて持ってくれば雰囲気が出たのだが、ロスヴィータの希望は遠乗りだ。彼女の言う遠乗りは、早駆けも含む。最初に早駆け競争をし、一度休憩を挟み、それからのんびりと移動する。
早駆けをしている内に、おしゃれな弁当は台無しになってしまう。その為、雰囲気よりも実益を優先させたそれには、崩れにくい工夫を凝らした品々が詰め込まれていた。
「強いて言うなら、フリーデの時の方が近いかもしれないね。女の子らしさを出そうとする部分以外は、本当の自分に近い気がするよ」
「そうか」
「エルフリート相手だと、少し身構えてしまうかい?」
ロスヴィータも用意した弁当箱を広げ始めていた。その手を止め、エルフリートを見る。
「多少は、な。同一人物なのは分かっていても、別人のような見た目をしているから」
そこまで違うだろうか。エルフリートは首を傾ける。彼女は笑った。
「フェーデの時は、大人っぽく見えるよ。あと、ちゃんと青年に見える。普段はあんなにぽやんとしているように見えるのにな」
「そう見えるように、私なりに努力しているんだよ」
「分かっているさ。だから、別人に見えるんじゃないか」
ロスヴィータは本気で笑っていた。彼女の笑顔はあたたかく、冬の気配を感じる季節だというのに、春先の陽光のようだ。
「フェーデ、少しはあなたも、自分が男なのだということを思い出しても良いのではないか?」
「えっ?」
何を言われたのか理解できずに目を見開いたエルフリートを見て、ロスヴィータは笑い出す。大きく開かれ、愉快そうに歪む唇に嫌味はなかった。
「少女のようなあなたも良いが、青年のようなあなたも悪くはない。背伸びをしろと言っているのではないぞ。ただ、あなたは自分がエルフリートだという事を忘れないでほしいと思っただけだ」
彼女が言いたい事は分かった。ざっくりと言うならば、自分を見失うな、だ。確かに、最近の自分は女性騎士団副団長のエルフリーデとしての役割ばかりに集中してしまっていた。
普段の生活やらなにやらで自分の性別を忘れる事はないが、振る舞い方や思考が、ずいぶんとエルフリートとしての意識から外れてしまっていた。「エルフリーデならこうする」というふうに、今までは演じてきていたところもあるが、今はあまり意識しなくてもできている。
逆に、エルフリートとして過ごす時の方が一挙一動に気を配っているほどだった。
「それは耳が痛いね。でも……それもそうか」
「だろう?」
ロスヴィータは大きく頷いてみせる。
「ただ、少し照れくさいかな」
「なぜ?」
瞬きを数回繰り返し、小さく首を傾げてみせるロスヴィータは年相応の朗らかな笑顔を浮かべた。何の曇り一つないそれに、エルフリートは目を細める。
「だって、同性同士みたいな態度で過ごしてきたんだよ。それを異性としてって考えると、ちょっと」
「ははは、フェーデもそういうところ、気にするんだな」
「気にするよ!」
エルフリートは頬を膨らませた。
「あ、フリーデが表に出た」
「もうっ」
彼女はエルフリートの前に自分が持ってきた弁当箱を広げていく。エルフリートもまねをするように彼女の前に弁当箱を置いた。ロスヴィータはまだ笑っている。
そんな中で箱の蓋を開けようとするエルフリートの指先は羞恥で震え、持ち上げたはずの蓋がひっくり返って転がった。
「あっ」
「はは、良いな。そういうところ、好きだよ」
「何か悔しい」
ロスヴィータに笑われながら、エルフリートはもう一度ぷくりと頬を膨らませるのだった。
2025.6.22 一部加筆修正




