19
ロスヴィータが向かったのはエルフリートの自室。なるべく力まないように、注意を払ってノックをすれば、扉は軽い音を立ててロスヴィータの訪問を告げる。
「はぁい」
可愛らしい声に遅れるようにして、扉が開く。隙間から顔を覗かせた彼は、ずいぶんとゆったりとした服装をしていた。柔らかな毛糸で編まれたワンピースは、シルクでできた夜着のようだ。
これはもう完全に、人に会う事を想定していない服装だった。
「ロス、どうしたの?」
「少し話をしたいが、良いか?」
「……うん。どうぞー」
ロスヴィータの問いに、少しだけ逡巡するような沈黙をしたのは、後ろめたい事があるからだろうか。穿った見方をしがちになる己に嫌気を感じながら、ロスヴィータは案内されるがままソファへ座った。
何かしらの作業をしていたらしく、紙が散らばっている。気にはなるものの、勝手にそれらを読むような失礼な事はできず、ただ彼が飲み物を用意するのを待った。
「聞きたい事ってなぁに?」
乱れた紙を揃えながらという態度に、ロスヴィータはやはり違和感を覚えた。いつもならば、そんな事など気にせずにロスヴィータの話を聞きたがる。
普段とは違う事が積み重なれば、それは異常なのだ。
「私に黙っている事があるだろうと思ってな」
「黙っている事?」
「……たとえば、そこに散らばっている資料とか」
ロスヴィータの硬い声に、エルフリートの表情がこわばった。
やはり、そうか。レオンハルトから入手した情報は正しかったようである。そして、何らかの理由を以てロスヴィータに対して意図的にこの話を通さなかったのだという事も。
怒ってはいない。そう言うと嘘になる。
「私は少し怒っている。だが、あなたの言い分を聞かずに、どうしてなのかと糾弾する事はしたくない。全て、私に説明してくれるか?」
本当は、こんな事で揉めている場合ではない。壁の破壊に隠された何かを探り出し、今後発生するかもしれない問題に備えるべきなのだ。
「えっと、今やっているのは、学校の出し物の確認。学校の成果発表会をする事になっていて、それの一つなんだ。ロスに言わなかったのは、ロスがあまりにも忙しすぎたから」
「なるほど」
彼の言い分は一理ある。だが、ロスヴィータを飛ばして良い事にはならない。
「私に話を通した後、自分がその仕事を私の代理として行う事を打診する、という選択肢は思い浮かばなかったのか?」
「……あっ」
エルフリートの目が泳ぐ。思い浮かんだが、無視する事にした。そう白状しているも同然である。
ロスヴィータはなるべくエルフリートを刺激しないよう、小さな笑みを作った。だが、どうやらその笑みが失敗に終わったのだろうとロスヴィータは気づいた。エルフリートが体を硬直させたからである。
ロスヴィータは申し訳なく感じる一方で、仕方ないとも思った。
「フリーデ?」
「えっと、ごめん。思いついたんだけど、これ以上負担にしたくなくて……」
「フリーデ、それはあなたが判断するものではないよ。私がするものだ。あなたが何でもできるのは知っている。私だって頼りにしている」
ロスヴィータは可能な限り冷静さを保つ為、エルフリートが淹れた飲み物を飲んだ。相変わらず淹れるのが上手だ。彼の器用さに笑ってしまいそうだ。
気が和らいだところで、ロスヴィータは再び口を開いた。
「何かあった時にはトップである私が責任をとるのだ。何度も私にそれを言わせないでくれ。
察するに……この件は、検証をする直前に似たような事を注意した時点で、既に取り組んでいたようだが」
「う……」
じとっとロスヴィータが半眼で見つめると、彼の視線が泳いだ。同じような事を何度もされるのは、正直言って良い気分ではない。だが、ロスヴィータに非がないわけではない。
彼が先に知った情報をロスヴィータに渡そうという気持ちが浮かばないくらいには、余裕がないように見えたのだろう。エルフリートは器用で何でもできるからなのか、ワンマンプレイが得意である。
動けてしまうからこそ、ロスヴィータを通さずにやってしまうのだろう。組織として致命的になりかねないから、切実にやめてほしいところだが。
「頼りなくてすまないが、何でも良い。どんな事でも良いから私に話をしてくれ。一緒に仕事をしたいんだ」
ロスヴィータは彼に責めるような視線を送るのをやめた。既に、彼女の中での怒りは消え去っていた。
そんな事に気づかぬまま、落ち着きなくもぞもぞとみじろぎするエルフリートは、しばらくそうしていた末に口を開いた。
「えっと、じゃあ……その、この書類の確認、一緒にしてくれる?」
ちらちらと上目遣いにロスヴィータを見てくるエルフリートに、さすがのロスヴィータも耐えられなかった。可愛すぎる。
「もちろんだとも。それにしても、フリーデはちょっと抜けているなぁ」
「えっ?」
「一緒にやろう、と声をかけてくれれば、一緒にいられる時間が取れたのに」
ロスヴィータの答えに、彼は目を見開いた。
「あっ、ああっ!?」
なんという事だ。きっと彼はそう叫びたいのだろう。肩を落として嘆きの悲鳴を上げたエルフリートを見て、ロスヴィータはとうとう笑い出してしまうのだった。
2025.1.7 一部加筆修正




