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トイレの個室の壁に開けられている穴の方は、個室の幅に合わせた穴になっている。こちらも天井と同様の魔法による破壊のようだ。
「ジェレマイアって、全部指示通りって言ってたよね」
「ああ」
「という事は、これもそうかなぁ」
「なに……?」
しゃがみ込んで指をさす彼に倣ってそこを見た。
破壊された壁に、しっかりとした足跡がついている。ほかにも足跡はついているが、おそらくこちらはロスヴィータたちのものだろう。
このはっきりと見える足跡は、蹴ったりして強い力でつけられたに違いない。
「穴開けの仕上げに、壁を蹴ったのか」
「そうみたい。手でも体重をかければやれると思うんだけどなぁ」
その方が静かだし、と何でもないように言うエルフリートに、ロスヴィータは気がついた。
「わざと、騒音を立てていないか?」
「何のメリットがあると思う?」
「それは、なんだろうな……」
エルフリートに質問を返され、ロスヴィータは口を噤んだ。
たとえ、ロスヴィータの考えが当たっていたとしても、意味が分からない。騒音を立てれば発見される可能性が高くなる。
誰かに気づかれてはいけないのに、わざわざ騒ぐ理由など――
「あっ」
「ひゃぁっ!」
耳元で叫んだロスヴィータに驚き、エルフリートが尻餅をつく。
片耳を押さえて挙動不審になっている彼に、ロスヴィータは今し方思いついた事を伝えた。
「誰かに気づかれたかったのではないか?」
「見つかるようにし向けてたって事?」
「そうだ。もしかしたら、ジェレマイアを管理室に行き着く前に捕まえさせたかったのかも」
これはなかなか良い線をいっているのではないだろうか。
「うぅん、それなら警備員さんを倒す方法を隠しておくよねぇ」
「ああ、そうだったな」
ジェレマイアへの依頼内容から想像された目的と矛盾してしまった。
「道中で捕まっても良いや、くらいのゆるさだったらありそうかも。結果的にジェレマイアが捕まるのなら、目的が果たされるって事になっちゃうけど」
エルフリートがうーん、と可愛らしい唸り声を出しながら言うと、何かがロスヴィータの頭に引っかかった。
「ジェレマイアの逮捕で得をする人間はいるのか?」
「どうだろう? 私はよく分かんないかなぁ……」
ぽんぽんと埃をはたいてエルフリートが立ち上がる。
エルフリートの視線を追えば、彼は壁の傷を確認していた。
「でも、実力はあったんじゃないかな。だから、同業者は彼が逮捕されたら嬉しいかも」
傷を人差し指で撫で、その指の平をロスヴィータへ向ける。彼の指は、壁の粉末と思われるうっすらと色のついた粉で汚れていた。
「ここ、焦げてないでしょ。これは上手な人の証だよ」
「破壊は爆発系の魔法を使う方が簡単なのだったな」
「そうそう。爆発以外に雷とかもあるけど、焦げちゃうから風か水だね。でも水だったらここに来たときに水浸しになっていたはずだから、風だと思う」
エルフリートはロスヴィータにも分かりやすく説明する。
「風の刃を回転させると、結構殺傷力が上がるんだよねぇ」
突然物騒な話になったな。ロスヴィータはひっそりとそんな感想を抱く。
「風の回転刃は維持するのも大変だけど、制御も大変なの。だから、これだけ使いこなせているのは、本当にすごいのよ」
「フリーデはできるのか?」
「できなくはないと、思うけど……粉砕しちゃう方が遙かに簡単だからなぁ……」
エルフリートはそう言って手のひらを上に向けた。
「気高き女神の吐息よ、小さく舞え」
「おお」
彼の手のひらに、小さな竜巻が生まれていた。
「これをもっと鋭くしたようなものをたくさん作って一気に当てたんだと思う。やっぱり難易度は高いよ」
ろうそくの炎を消すように、力強く彼がふっと息を吹きかけると、小さな竜巻は崩れてしまった。彼の生み出した魔法の威力が気になった。
現場検証も兼ねて、訓練場で実演してもらおう。
「後で実演してもらえるか? 魔法に自信のある騎士何名かと一緒に、どれくらい難しい技術なのか確認したい」
「良いよぉー」
快諾してくれたエルフリートを見ながら、ロスヴィータはジェレマイアの事件が霧の中を歩き続けているような気持ち悪い状態が早く解消されれば良いと思う。
意図が見えてこない。それがロスヴィータの精神的余裕をじわじわと奪っていくようだ。
「これだけ実力があるなら、騒音で人が集まってきても問題なく対処できただろうね。むしろ、彼を簡単にのしてしまったシップリーがすごいよねぇ」
「そうだな。我々と同等の実力を隠し持っているという事になるな」
考え込むロスヴィータに、エルフリートが今まで誰も思いつかなかった事を言った。
「シップリーかカタリナ嬢のどちらかが本当の狙いだったりして!」
なるほど、その線も考えられるか。カトレアが身につけているものから考えて、彼女の親の経済状況は悪くはないはずだ。シップリーに血縁関係があるかは置いておいて、カトレアの護衛としてそばにいても不思議ではない。
だいたい、身を守るすべのない少女を一人で自由にさせる訳がなかった。
「狙うとしたら……カトレアの背後か?」
「どうかなぁ。二人の家族関係を調べた方が良さそうだね」
現場を確認しにきた甲斐があった。ロスヴィータは現場の確認を進めながら、そう思うのだった。
2025.1.3 一部加筆修正




