8
エルフリートは考え込んでいるロスヴィータの方にそっと手を添えた。
「ロス、大丈夫? まだ何か気になる事があるんじゃない?」
彼の声かけは嬉しいが、考えがまとまっていないロスヴィータには簡単に答えられる質問ではなかった。
少し考えた彼女は、己の状況をそのまま説明する事にした。
「……たぶん、先ほどの事情聴取で何かを掴んだんだ。それが違和感の正体のはず。私はそれが何だったのか、ずっと考えている」
「うーん、そうだなぁ……ちょっと、気分転換しよっ?」
「うん?」
首を傾げたロスヴィータを無理矢理立たせながら、彼は遊びに行こうと誘うかのような笑顔をしている。
「体を動かしてすっきりしたら、きっと思いつくよ!」
「……ああ、なるほど」
じっと動かずに考えているから、柔軟な考えができないのだ。一度その凝り固まった思考をほぐす為にも別の事をするのも悪くはない。なかなか良い提案かもしれないなと納得する。
ロスヴィータが「魔法はなしで頼む」と言うとエルフリートは笑うのだった。
――結果から言おう。この気分転換は、気分転換としては役に立ったものの、ロスヴィータの悩みを手助けしてはくれなかった。
「あっ、じゃあ、現場検証しようよ」
現場検証。体を動かすよりも、そちらの方がずっと良かったのではないだろうか。汗を流している内に日が傾き始めてしまっていた空を眺めつつ頷いた。
オリアーナ劇場ははしばらくの公演中止を申し渡され、劇場内部へ入れる人間も制限された関係で閑散としていた。しかし、それも数日で解除される予定である。
数日後、大穴の開いた壁などを修復し、それが終わり次第公演が再開される手はずになっている。
何が目的なのか確定していない今、警備の手を緩めるような間抜けな事はしていない。今まで以上に厳重になっている警備の様子を観察しながら、ロスヴィータたちは現場へと向かう。
「そういえば、壁を壊したかったんじゃなくて、管理室で騒ぎを起こす事が目的だったとしたら、何で侵入地点をあそこにしたんだろうね?」
エルフリートの疑問に、ぱっと脳内へ館内地図を広げる。実は侵入に適した場所は一カ所だけではない。
「あそこでなければいけない理由があったはず……という事か」
「うん」
最短距離という事であれば、管理室のすぐそばに用務室がある。トイレと同じ手法で侵入するならば、そちらの方が近い。
少し遠くても静かに侵入するという意味では、いくつか侵入しやすい窓がある。管理室に向かう通路の出入り口に近い窓やバルコニーから侵入すれば、劇場に大きな被害を出さずとも、静かに侵入できるだろう。
「やはり、壁を壊す必要があったと考える方が自然か?」
「どうかなぁ……あっ」
「どうした」
エルフリートが近くの壁を軽く叩きながら歩く。乾いた音や響く音、いくつかの音が返ってきた。
ひとしきりあちこちの壁を叩いた彼は、ぱたぱたと軽い足音を立ててロスヴィータの元に戻ってきて早口で言った。
「建物の構造的に、あそこが良い理由があるのかも!」
ちょっとした仕草すら可愛い。などと少し思考が飛びかけた。
「壁が薄めだとか、雑に破壊されても建物が倒壊しないとか、詳しくないからあんまり思いつかないけど、そういうのってありそうじゃない?」
構造的な理由か。ロスヴィータはもやが晴れていくような感覚に、思わずにやりと笑む。
「あとで、設計した時の構造図を用意させよう。それと、設計に詳しい人間も。この調子で現場を見たら、他にも何か思い浮かぶかもしれないな」
「へへ、ロスの役に立てて嬉しい!」
ぎゅっと腕にしがみついてくる彼の頭を撫で、ロスヴィータはこめかみをこつんと当てる。
嬉しそうな気配に満足したロスヴィータは、エルフリートを腕にくっつけたまま侵入場所であるトイレの中へ入るのだった。
天井にぽっかりと開いた穴、足下に散らばる残骸。どれもが一昨日と同じ状態で存在していた。
「穴、おっきいねぇ……」
「確かに、本来は人ひとり分だけでじゅうぶんのはずだ。これだけ大きければ、何人も同時に降りる事ができてしまう」
改めて見ると、その異様さが目についた。天井を粉々にしているのではない。円を描くように魔法で抉り、天井の重さで崩壊させたようだ。
というのも、天井の破片は魔法特有の滑らかな断面だけではない事から、床にぶつかり砕けてできたと考えられるからだ。
これができるのならば、自分が降りるだけの穴を開ける事は造作もないだろう。
「ジェレマイアは、指示された通りにしか動いていないんだよね?」
「そのはずだ」
「って事は、このほとんど天井まるごとっていうのも、指示の内……かなぁ」
わざわざ、大穴を開ける。これはずいぶんと大きな音を立てただろう。落下した天井自体が結構な重さのはずだから、それが床と接触して砕けたとすれば、そうとう響いたはずだ。
もしかしたら、その時の振動のせいでロスヴィータのいた観覧席の天井が異常をきたしたのかもしれなかった。
2025.1.2 一部加筆修正




