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幸いロスヴィータの声は誰にも聞かれなかったようだ。エルフリートと男の会話が続いている。
「お話してくれる気になったなら、まずはお名前を教えてほしいな」
「……ロイだ」
ロイと名乗ったが、十中八九偽名だろうな。ロスヴィータは冷めた視線で口元しか見えない男を見つめた。
「じゃあ、ロイ。今回捕縛された理由は建造物の破壊と不法侵入なんだけど、合ってるかな?」
「……」
「うーん。まただんまり、かぁー……」
エルフリートの声色は、残念とはかけ離れている。尋問する方向に変わっているからか、アイマルの視線は元に戻り、ブライスの不自然な揺れも止まった。
「あのね、情報を引き出すのは簡単なんだよ」
幼子に言い聞かせるかのように、エルフリートが語りかける。
「昨晩、言いなりにされたの忘れちゃった? 状況が状況だったから、あんな事をしたんだけど、またされたい?」
「……」
「非人道的な事は気が進まないんだけどなぁー」
彼はそう言うが、全く本心のようには聞こえない。明るくて軽い言い方がむしろ不気味なほどだ。ロスヴィータの位置からエルフリートの顔が見えないから、余計にそう感じるのかもしれなかった。
「あ、でも嘘を吐かれたら困っちゃうから使おうかな」
「おい」
「……駄目? さっきの名前が“自称”なのか本当なのかも分かるよ?」
「手続きをしてからにしろ」
「拷問より、ずっと人道的だと思うんだけど」
顔は見えないが分かる。エルフリートはぷくっと頬を膨らませて不満そうにしているに違いない。ロスヴィータは仕方なく口を挟んだ。
「――手続きなら、進めている。返事待ちだ」
二重に申請してしまっても意味がない。それに、今から申請したところで今日中には許可が下りないだろう。
「もう少しすれば誰かが書状を持ってくるだろう」
「やった!」
ぱっと振り返った彼は、笑顔を見せる。可憐だ。これで背景がむさ苦しい男のいる尋問室でなければ最高なのだが。
「だからそれまでの間、普通の尋問をしてはいかがか? 私の妖精さん」
「そうだね。がんばる! 許可が出てから全部質問しなおして、本当だったかどうか、尋問に協力的だったかどうか、いろいろ証明できるもんね」
口に出さずとも良い事をぺらぺらと話す彼は、考えての事なのか分からないが、少しばかりロイには通用したようだ。罪状を重くできると嬉々として語るエルフリートに、身の危険を感じたのかもしれない。
いずれにしろ、何かを感じ取った彼が口元をもごもごと動かすのが見えた。
「正直者だったよって評価されるのと、嘘つきだったねって罪状が重くなるのと、どっちが良いかなぁ?」
「……」
ロイは沈黙していたが、それももうすぐ終わりだろう。
「ロイ、名前は本名?」
「違う。そう呼ばれているから、そう名乗っている」
良い流れかもしれない。
そんなロスヴィータの期待はすぐに打ち破られる。
「こちらが把握しているのは不法侵入と器物破損だけど、ロイがやった事で合ってる?」
「……」
名前以外の事は、沈黙を貫くつもりだろうか。
ロスヴィータは、エルフリートの軽口に動じていたくせに、耐える男の手強さを感じた。表情の変化を完全に隠す事のできない人間が、口をつぐみ続けるには強い理由があるに違いない。
今回の侵入事件には、何か裏に大きなものが潜んでいるのではないか。そんな想像をしてしまい、ロスヴィータは薄ら寒さを感じた。
「ロイは、本名を教えてくれたりする?」
「呼び名なんて、何でも良いだろう」
名前が分かれば、今までの履歴を辿る事ができるかもしれない。経歴が分かれば、そこから読み取れる事があるかもしれない。だからこそ、本名の確認をしているのだが、ロイはそれを意図的に話を逸らそうとしている。
怪しすぎる。
「後でお名前聞かせてね。代わりに、劇場に侵入した目的とか、そういうのを教えてくれても良いよ」
「……」
回答する気はない。沈黙だけではなく、その強い意志が、引かれた顎からも語っている。これで、顔全体が見えたならば、もっと何を考えているのか分かったのだろうか。
ロスヴィータが時間の無駄になりそうだと思い始めた頃、背後の扉が動いた。
「待たせたかしら?」
扉の隙間から顔を覗かせてきたのは、マロリーだった。
「マリン」
「バティから引き継いだのよ。魔法が使える人間の方がよさそうだって聞いたから」
ひらひらと件の許可が書いてある書状が入っていると思われる封筒を振っている。
ロスヴィータは小さく頷き、彼女を室内へ招き入れる。その気配に全員が扉の方へ体を向けた。
「フリーデ、念願の許可が下りたぞ」
「やったっ」
エルフリートはマロリーへの挨拶もせず、ロイに向き直る。
「正直になる時間が来ちゃったよぉー」
「……」
「質問には、まじめに答えようね!」
エルフリートは弾んだ声でロイへと魔法をかけるのだった。
2024.12.30 一部加筆修正




