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エルフリートとブライスの手で拘束が解かれても、男は目を覚ます様子はない。それだけしっかりとアイマルの魔法が効いているという事だ。
ロスヴィータは眠る男をどのように扱うつもりなのか、二人の行動を見守った。尋問室までブライスが担いで移動するらしい。彼の左肩に乗った男は小さな呻き声を上げたものの、それだけだった。
「起きちゃうかな……」
「大丈夫だろ」
少しばかり不安そうに男を見つめていたエルフリートだが、アイマルの「殴るほどの衝撃を与えなければ目は覚めないはずだ」という言葉を聞いて「なら安心」と笑みを取り戻す。
尋問が楽しみなのか、エルフリートが率先して尋問室の扉を開ける。
「さぁ、お楽しみだよぉー」
「……フリーデ、遊びじゃねえんだからな」
「分かってるもん」
エルフリートの返事は軽い。ブライスは小さく溜め息を吐いた。その気持ち、分かるぞ。ロスヴィータは心の中でブライスに同情の言葉を送った。
ブライスは男を椅子に座らせると、縄で椅子と男を巻きつけた。あまりにしっかりと巻きつけるものだから、端が短くなってしまい結ぶのが難しそうだ。それでも縄を使い慣れている男は簡単には縄抜きできない結び方をしてみせる。エルフリートがよく使う結び方に似ていた。
「よし。良いぞ」
ブライスの声にエルフリートの髪がふわりと揺れた。
「母なる神よ、かの者の目覚めを導きたまえ」
エルフリートはそう言って、男の額に顔を近づけた。途端、男がぴくりと身じろぎする。ロスヴィータはその様子を、扉を背にして見つめていた。
もちろん、ロスヴィータがこの場所にいるのは、逃走防止の為である。
ここまでに強者三人がいるから辿り着けるかは疑問だが、万が一という事もある。この男の場合は、壁に穴を開けて逃走しそうだが……。
そうなった時は追いかけるだけだ。魔法の使えないロスヴィータには壁を守る事ができないのだから。
「おはよう、今の自分の状況は分かる?」
エルフリートの質問に、男がむすりとする。エルフリートとブライスの間から見える口元が、彼の不快感を分かりやすく伝えていた。
「オリアーナ劇場から連行されたのは覚えているでしょう? 意識は飛ばしてないからさすがに覚えているよね?」
「……」
「それで、精神魔法をかけたままにするのはまずいから眠ってもらったの。で、今になったの」
エルフリートの言葉を聞く気があるのか、ロスヴィータからは分からない。だが、少なくとも彼から緊張感は感じられず、この状況に怯えや戸惑いといったものを覚えていないのだろうという事だけは分かる。
「ところで、お腹は空いているの? お手洗いは?」
エルフリートが脈絡のない言葉かけをし始めた。身体的な欲望を思い出させ、多少なりとも反応させようという事だろうか。
「おもてなしをせずに、眠らせてしまったから気になって。大丈夫なら良いんだけど」
「……」
本題には無関係の、そして能天気な話題を振られても、彼は動じなかった。
「喉は乾いていたりしない? そうそう、喉と言えば、昨日の役者さんたちはすごかったよねぇ。魔法で声を拡散していたのは知ってるけど、あんなにずっと大声を出していたら喉がカラカラになってしまいそう」
「……」
「あそこにいたのだから、彼らの活躍は見えていたでしょう? あっ、防音されているから音は聞こえないんだった!」
「……」
男は手強かった。エルフリートの脈絡のない雑談をことごとく無視している。
むしろ、ブライスやアイマルの方が地味に反応していた。
ブライスの肩は時々揺れ、アイマルは何かを耐えるように視線をさ迷わせている。二人の状態も構わず、エルフリートは男に取り留めもない話を投げかけ続けた。
「フリーデ、質問すべき事はそれじゃねぇだろ」
「あっ」
ブライスのツッコミが入ったのは、エルフリートの話題が俳優の喉の話から体の柔軟さの話に変わり、そして自分がどんな柔軟体操をしているのかという話になり、そこから筋肉の話題へ移り、ブライスの筋肉を触り始めた頃だった。
いつの間にかアイマルは鋭い視線でエルフリートの事を睨んでいた。
ロスヴィータはエルフリートに何か考えがあるのだろうと耐え続けていたが、エルフリートの反応からしてどうやら違っていたらしい。
「ごめんね、全然反応してくれないから、つい……」
「つい、じゃねぇだろ」
ブライスの拳がエルフリートの頭に落ちる。
「いたぁいっ」
「真面目にやれば痛い目に会わずに済んだんだ」
エルフリートは頭をさすりながら「へへ」と笑う。そのやり取りに、とうとう無反応を貫いていた男が口を開いた。
「――女性への暴力はいただけないな」
「喋った……」
「腫れる前に冷やすと良い」
エルフリートが驚愕交じりに呟けば、男は更に彼を慰める。
「昨晩仕掛けてきたくせに、それを言うか……?」
平静な態度を保っていたロスヴィータもさすがに小声で突っ込んだ。
2024.12.30 一部加筆修正