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ブライスたちが雑談している内にアイマルが目を覚ました。彼はエルフリートとブライスの仲睦まじいさまを見て顔をしかめる。その姿を偶然にも捕らえてしまったロスヴィータはおや、と思う。
「アイマル、昨晩は助かった」
「ロスヴィータか。おはよう」
「おはよう」
声をかければ、普段通りの爽やかなアイマルにすぐ戻った。あっさりとした考えをしている男の意外な表情変化に、ロスヴィータの好奇心が疼く。
「フリーデの精神魔法が途中で切れてしまったそうだな」
「ああ。調子が悪かったのならば、仕方ないだろう。そもそも精神魔法はかなり調整が難しい魔法だ。それを手軽に扱ってみせること自体が規格外なんだ」
アイマルはそう言いながらエルフリートを見つめる。その視線には何も不穏な空気は見られない。むしろエルフリートを労る気持ちにあふれている。それこそ、さっきの表情こそ幻だったのではないかと思うほどに。
ロスヴィータは彼の心の在処が気になり、意地悪な質問をしてみたくなった。
「そう言って簡単にフォローするあなたこそ、規格外だと思うが。規格外といえば、ブライスもそうだがな」
ブライスの名前を出した一瞬だけ、彼の瞳に炎が宿る。どうやら感情の向かう先はブライスの方だったようだ。
「そんな事より、私は魔法に詳しくないのだが、一晩眠らせる事は難しいのか?」
「ああ。一晩と永遠のさじ加減が難しい。元々精神魔法は繊細な魔法だ。だから、ちょっとした事をしようとして精神を破壊――という事故が起きてしまう。
あまりに習得が面倒で、今では精神魔法自体が廃れてきている――といったところか」
ロスヴィータは合点がいった。騎士でも本格的な精神魔法が使えるのは一握りしかいない。
「できたら便利だが、使いこなすのに何十年もかかる、という感じか」
「感覚でできなければ、いつまでも使いこなせないだろうな。教える側も難しいんだ」
「だが、簡単な精神魔法は魔法が使える人間ならば、使えるだろう?」
一般的、というのは一時間ほど眠らせたり、精神の波を穏やかにさせたり、というレベルの魔法だ。短い間だけ動きを封じるといったものもある。
ロスヴィータの素人同然の質問に、アイマルは嫌な顔をせずにわかりやすく説明してくれる。
「今一般的に使われている精神魔法は誰でも失敗《《できない》》ように加工された魔法だ。あれは、本当に精神魔法を使える俺やエルフリートからすれば、子供だましみたいな効果でしかない」
「なるほど、ありがとう」
もっと詳しい説明が必要なら、と言いそうな彼にロスヴィータは礼を言う。
うむ、いつも通りの彼だ。ロスヴィータはブライスに見せたアイマルの揺らぎについて、騎士の活動に影響が出ないようだから問題ない、と結論づけた。
問題なのはエルフリートだ。無理をするし、他人が見たらぎょっとするような事を平気でするし、それらに自覚がないという一番の問題がある。
改善させようにも、彼がちゃんと認識してくれないからには、どうにもできない。ブライスと小競り合いをして笑いあう姿は、知らぬ人間が見たら一悶着起きそうな距離感だ。
エルフリートが誰と親密な態度を取ろうが、ロスヴィータの感情に波は立たない。それが彼にとってどうという事もないただのコミュニケーションなのだと分かっているからだ。
だが、そのせいで彼の評判が落ち、女性騎士団の名に傷がつくとしたら話は別だ。ただでさえ、男性の騎士団と比較され、一般女性と比較され、評判の維持が難しいのである。落ちた評判を挽回するのはもっと難しい。厳しい戦いになると想像できる。
実のところ、この件については女性騎士団員全員、エルフリートにすら話をしていない。それは、原因になるであろう人間がエルフリートだけである事に起因している。
彼以外に話したところで解決しない上、彼が女性として活動していても、本来の考え方がまるっきり男だからであった。
「フリーデ嬢は、ブライスと仲が良いな」
アイマルがぽつりと呟いた。ロスヴィータには聞こえなくとも良い、というほどに小さかった。答えるべきか悩むが、ロスヴィータは口を開いた。
「……親友だそうだ」
「男女間の垣根を越えた友情か。俺もフリーデ嬢と、そうなれるだろうか」
アイマルがロスヴィータに顔を向ける。すらりとした目がロスヴィータを捕らえた。彼のまっすぐな視線に、ロスヴィータは笑む。
「なれるのではないか? 私が先にアイマルと友情を深めても良いぞ」
「そうだな。ロスヴィータ嬢」
「はは、友人になるのならば、まずは私の事を“ロス”と呼ぶところからだな」
ロスヴィータが笑い声を漏らすと、アイマルはそれにつられるようにして笑う。ロスヴィータがエルフリートの行動を気にしている間、アイマルは男女間の友情を悩んでいたと思うと、自分の考えていた事が馬鹿らしくなってくる。
エルフリートの行動を変えさせるのでは駄目だ。エルフリートらしさが消えていってしまう。彼が“エルフリーデ”として過ごしやすい状態を維持する方が、よほど簡単で建設的だ。
何でそんな事を思いつかなかったのか。ロスヴィータはエルフリートに視線を戻す。彼はその視線に気付き、ロスヴィータに向けて可憐な笑みを返した。
「ロス、そろそろ始める?」
「ああ。頼む」
すっきりした気分で、ロスヴィータは牢の中へ入っていった。
2024.12.29 一部加筆修正




