後編
十五年後。
マルタ王国を返り討ちにし、国土を広げたセレス王国。
セレスの名は大陸中に響き渡り、大陸でも屈指の大国となるが、その栄華は長く続かなかった。セレスの王が突如病死をしたからだ。
カリスマ性を誇った王の死により、セレス王国は動揺した。王は壮年であり、まだまだその治世が続くと思われていたのだ。要は後継者を定めていなかったわけである。
セレスには五人の王子がおり、それぞれに王位を求めた。
まずは嫡子相続の原則に則って長男が相続権を主張したが、長男は病弱であった。ベッドから一歩も出れない日があるほどの虚弱体質で到底強大な王国を支配することはできないと目されていた。
一方、次男は愚鈍で強欲な男として知られ、宮廷の侍女に手を出しては弄び、放り出す女好きとして知られていた。健康ではあるが、知能が劣悪なのだ。
四男はそれなりに有能なのだが、政治にまったく興味がなく、詩作と音楽に夢中で国を引っ張るタイプではなかった。
そして五男はまだ幼く、とても政治ができるとは思えなかった。
こうしてセレスで王位継承を求める内乱が起きた。
まず先制の一撃として病弱であった長男が次男によって毒殺されると、次男が王に名乗りを上げた。王位継承権としては彼に正当性があったが、兄を暗殺して王位を得るような男に王は名乗らせまいと四男とその取り巻きが立ち上がり、兵を起こした。
国軍を掌握した次男であったが、彼には決定的にカリスマ性と軍事の才が欠けており、寡兵だった四男が勝利を収めた。これで無事、四男が王位を継げば万事収まったのだろうが、四男は流行病で死んでしまう。
そうなれば残った王位継承者は三男のリカルドと五男のみとなる。年齢からも王位継承権からもリカルドが継ぐかと思われたが、リカルドは母の身分が低かった。王国を牛耳ろうとする大貴族たちはそのことを理由に幼い五男を王位に据え操り人形にしようとしたが、リカルドは武力を以て五男の陣営に挑んだ。
大貴族の私兵と国軍を掌握した五男の陣営は強力で、リカルドの陣営の五倍の兵力を持っていたが、リカルドはそれを容易く撃破した。
リカルドは軍事的な才能を持っていたのである。
彼は剣に槍、弓馬の名手であり、己自身が一騎当千の猛者であった。
自ら陣頭に立つと幼い五男を裏から操る大貴族どもをしこたまに討ち果たし、リカルドここにあり、と国内外に印象づけた。
そして自分と争うことに無意味さを見せつけると、五男の軍を解散させた上で五男に王位を与えた。
「俺に王は似合わない。俺は裏から国政を操るだけで十分だ」
幼い弟に成り代わって自分が摂政となり、国を導く。さすればこの国をよりよいものにしつつ、面倒ごとはすべて弟に押しつけられると思ったのだ。
「王になれば結婚をしなければならない。俺は生涯、結婚をしたくないのだ」
後に部下になぜ王位を得なかったのです、と問われたリカルドはそのように答えた。
十五年前、リカルドは自らの手によって婚約者を処刑した。以来、その周囲に女を寄せ付けることはなかったのだ。
大国セレスの隣国、オルタ王国にて――。
オルタ王国は大国に挟まれた小国で、そのときどきによってすり寄る国を変えることによって生き延びてきた謀略の王国である。王の責務は結婚をし、側室を持ち、たくさんの子を作ることであった。特に女児の誕生が喜ばれる。さすれば政略結婚の手駒にできるからだ。
ゆえに四女であるわたしが生まれたとき、父王はとても喜んだ。
「これで我が国も安泰だな。美しい姫に育て上げ、どこかに嫁がせよう」
父王はそのように娘の誕生を喜んだが、その四女は〝普通〟とは違った。なんと前世の記憶を持っていたのである。
それゆえだろうか、子供の頃から妙に大人びており、さかしかった。
母親はそれが気に入らなかったのだろう。わたしを別して遠ざけた。
幼いわたしはそれを悲しむことはない。
それよりも辛い運命を前世で味わっていたからだ。
愛する婚約者に婚約を破棄され、処刑をされた記憶は今も生々しくわたしの心をうがつ。
わたしは前世の記憶を封印しようと努めるが、この大陸に住んでいるといやでも前婚約者の噂が聞こえてくる。
セレス王国の王兄リカルド、その政治的手腕は大陸でも随一、軍を司れば連戦連勝、冷徹怜悧な氷の将軍。
今日はあの戦場で大敵を討ち果たし、明日は奇想天外な政策によって国富を何倍にもする。
白銀の鎧を纏った氷の貴公子は、大陸の中でも一番の武力と知力を持つ勇将である、ともっぱらの評判であった。
ただ、ひとつだけ彼には弱点があった。それは彼が未婚ということであった。なんでも彼は女嫌いらしく、周囲に女を近づけないのだという。大昔に婚約者がいたそうだが、その婚約者も自ら毒殺するほど冷たい男らしく、大陸中の貴婦人を嘆かせていた。
これで婦女子にも優しかったら最高の結婚相手なのに。
セレス王国の夜会に出た貴族の娘は例外なくそのように嘆く。
リカルドはそれほど異性を引きつける魅力に満ちあふれていたのだ。
――という話を侍女づてに聞いたわたしだが、意外には思わない。なぜならば前世で誰よりも側で彼のことを見ていたからだ。
前世で毒殺をされたわたしであるが、もしももう一度、人生をやり直せるとしたらリカルドの婚約者となりたかった。
今度は人質ではなく、彼の正式な婚約者、妻となりたかった。
無論、そんなことは夢物語だ。
リカルドは女を遠ざけるために王位を望まなかった男だ。いまさら小国の王女であるわたしと結婚をする意志はないだろう。実際、彼はこの一五年間、無数の縁談が持ち込まれたはずであるが、それをすべて撥ね除けている。
そう、今さらわたしが彼の中に入り込む余地はないのだ。
そう思っていたが、転機が訪れる。
セレス王国の氷の貴公子がオルタ王国にやってきたのだ。
訪問の名目は北方の友好国との友好をたしかなものにするための遊歴であった。
国務に忙しく、滅多に自国を離れないリカルド、それはとても珍しいことであった。事実、彼はこの訪問以来、オルタ王国にやってくることはなかった。
王兄訪問の噂を聞いたとき、わたしの心は困惑した。
「自分を殺した氷の貴公子がやってくる」
恐怖にも似たトラウマと、
「最愛の人と再会できる」
という女としての喜びを同時に感じてしまったのだ。
ふたつは相容れぬ感情であったが、葛藤の末、後者の気持ちが勝った。ゆえにわたしは自分のことを嫌っている母に願い出た。
「お母様、一生に一度、最後の願いがございます」
ここ数ヶ月まともに会話をしてこなかった娘が誠心誠意頭を下げてくる。しかも生まれてから初めて願いごとをしてくる。母親はさぞ困惑しただろうが、わたしの必死の哀願を真剣に聞いてくれた。
「お母様、今度開かれる夜会に是非、わたしも参加させてください」
たったそれだけであるが、これは大事でもあった。謀略の小国オルタの王はリカルドと婚姻を結ぼうと躍起になっているのだ。そのためわたしの姉たちが必死におめかしをし、夜会に挑もうとしていた。そんな中、みそっかすの四女が参戦したいと申し出るのだから、渋面を作らざるを得ない。しかし、母親は母親だった。遠ざけられていたわたしであるが、娘への愛情が残っていたのだろう、夜会に備えて最高のドレスを用意してくれると約束してくれた。
「ありがとうございます」
わたしは母親に頭を下げると、その日を待った。
夜会当日、わたしは母親に用意して貰った綺麗なドレスを二時間かけて着付けて貰う。コルセットをぎゅうっと締め、髪を結い上げる。
その姿を見たメイドたちは嘆息の声を漏らす。
「リリーナさま、とても美しゅうございます」
「ありがとう」
「このような美しさをお持ちならばリカルド様ももしかしたら踊りを所望してくれるかもしれません」
「そうかもしれないわね」
と返すが、それはない、と心の中で返答する。彼は踊りがなによりも苦手なのだ。戦場では華々しく活躍する彼であるが、夜会では借りてきた猫のように大人しくなり、壁際の花となる。ただ黙々とカクテルを飲んでつまらなそうに夜会を眺めるのが彼の流儀であった。この一五年でそれが変わるほど器用な人間ではないはずだ。
そのように考察するが、自分の中に留めると、夜会に向かう。
夜会の会場はすでに宴もたけなわであった。老若男女が踊りながら酒宴を楽しんでいる。
楽団が優雅な音楽を奏で場を盛り上げていた。
わたしはきょろきょろと周囲を見渡すが、リカルドはすぐに見つかった。
彼はパーティーの主賓ということもあるが、生まれ持っての王者でもあり、カリスマ性を纏っているのだ。華麗な貴族たちが集まる場所であっても隠し通せないほどの存在感を主張してしまうのである。
「平凡なお姫さまであるわたしとは対極ね」
そのように自分を卑下しながら遠くから彼を眺める。
三十三歳となったリカルド、彼は十八才当時と変わらぬ清新さを保っていた。時が止まったかのように当時の美しさを保持していた。いや、少壮となった彼は男としての円熟味も増し、とても魅力的な男子となっていた。
わたしはしばし彼の容姿に魅入る。いや、ずっと遠くから見惚れているつもりであった。
先日も話したが、わたしは彼を今でも愛していたが、それでもまた婚約できるなどとは思っていなかった。彼は十五年間、誰とも婚約をせず、女を遠ざけていたのだ。今さら自分に興味を抱くなどとは思っていない。
ただ、近くでこうして彼を視界に収めるだけで満足であった。
それに実は今世でのこの身体、オルタ王国のリリーナの身体はなんの因果か前世のエミリアとそっくりであった。先ほど鏡を見たときそのことを改めて思い出したのだ。
「十五年前に自分の手で処刑をした女が再び目の前に現れて気分がいいはずもない」
そのような結論に達し、彼の半径一〇メートル以内には近づかないようにしていたのだが、そんなわたしに神様は悪戯をする。
この国の王、父王が戯れを言いだしたのだ。
「今宵お集まりの貴族の諸君の忠勤をねぎらうと同時に、隣国の王兄の訪問を祝し、今宵は仮面舞踏会を開きたいと思う」
そのように言い放つと参加者全員に仮面が配られる。
「普段、踊りに参加されない方でも、どうかこれを機会に参加くだされ。仮面を被っている間は別人なのですから」
そのようにスピーチをすると観衆は、
「王の面白い趣向に乾杯」
と祝杯を挙げ、踊りの輪を広げる。
それを見たわたしの心は弾む。
「――今、この瞬間ならばわたしがエミリアだと勘づかれずに踊れる」
そのように思ってしまったのだ。
(……ううん、でもそれはない。だってリカルド様は踊りが嫌いなのだから)
戦場と政治の場以外はとことん不器用で無愛想なリカルド、彼を踊りに誘い出すのは大河の流れを棒きれ一本で変えるよりも困難、そんなふうに当時から言われていた。そして今宵の彼を見る限りその流れは変わっていそうもなかった。しかし、それでもわたしはいつの間にか仮面を装着し、彼の前に立っていた。
呆然と立ち尽くす小娘をリカルドは悠然と見下ろす。
十五年ほどの年月を重ねてもその冷徹怜悧な雰囲気は変わっていなかったが、彼はしばしわたしを見つめると、手を差し出してきた。
「そこのお嬢さん、俺と踊ってくれますか」
「え……」
思わず絶句する。
「仮面をつけているときならば下手な踊りを晒しても恥にならないからな」
そのように言い放つとリカルドは強引にわたしの手を引く。
「たまにはこういうのもいいだろう」
「は、はい、光栄です」
しばしリカルドと踊りを楽しむ。たしかに彼の踊りは誰よりも下手であったが、稚拙ながらも情熱が籠もっているような気がした。
「相変わらず俺の踊りは下手だ。二回も君の足を踏んでしまった」
「いえ、気になさらず」
「気にもするさ。このパーティーが終わったら君に婚約を申し出ようと思っているのだから」
「え? え? どういうことですか」
「婚約を知らないのか。結婚の約束をすることだ」
「もちろん、知っております。しかし、リカルド様は女性が嫌いなのではないですか?」
「そんな噂が社交界を駆け巡っているらしいな。そのお陰でこういう場に来ると艶めかしい男がよってきて困っていたんだ。そろそろそれも終わりにしたい」
「で、でも、この十五年間、ずっと女性を遠ざけていたって」
「ああ、十五年前にこの世界で最も愛する人を自分の手で殺してしまったからね」
「…………」
「それ以来、俺は女を寄せ付けなかった。贖罪の意味だけではない。エミリア、俺の婚約者の名前だが、彼女以上の女性がこの世界にいるとは思えなかったからだ」
「……エミリアさんのことお好きだったのですか?」
「ああ、愛していた。俺は不器用だからそれを上手く表現できなかったが、それでも彼女のことを愛していたんだ。だから、彼女を自分の手で処刑したとき、なによりも辛かった」
自分の母親が死んだときよりも悲しかった、とリカルドは断言する。
「しかし、今、俺は力を得た。もはや俺と婚約者の仲を裂くものはいない。父王は死んだ。兄たちも死に、弟は俺の手の中だ。もはや誰も俺たちの仲を引き裂くものはいない」
「……もしかして、わたしがエミリアの過去生を持つものだと気が付かれているのですか」
「先日、戦場で占い師を見かけた。そのときにその占い師に尋ねた。俺は〝望む〟ものを手に入れられるか、と」
「望むもの、ですか」
「ああ、その占い師は言った。おまえが望むものは、天下か、それとも愛するものか、と尋ねてきた。俺は両方だ、と言った。すると彼女は言った」
〝オルタ王国に行き、夜会に出よ、そこにおまえの望むものがある〟
と言った。
「そんな予言を受けたのですね」
「ああ、その予言が本物かどうか、おまえの仮面を剥げば分かる」
「……お許しください。それだけはできません」
「俺はおまえを一度殺した男だ。今さら許してくれとは言わない。だが、最後に賭けを行わせてくれ。もしもその仮面を剥ぎ、俺が恋に落ちたら俺の勝ちだ。もしも俺が恋に落ちなければ俺の負け」
「……ずるいです。そんな賭け」
「ああ、この十五年、政治に携わってずるくなりすぎた。政治家としてその言葉は賛辞に値すると知ってしまったのだ。しかし、俺は軍人でもある。軍人として今から勇気を持って君の仮面を取る。いいな?」
リカルドはそのように言い放つと、わたしから仮面を取り外す。
そこにいたのは十五年前、毒を飲ませた元婚約者であった。
国務のため、毒を飲ませた娘が姿形そのままにそこに立っていた。
「どうやら賭けは俺の勝ちのようだ。エミリア、どうか俺と結婚をしてくれ。今度こそ君を護ってみせるから」
リカルドはそのようにひざまずくと、わたしの手の甲に口づけをした。
全身が高ぶり、熱を帯びるのを感じたわたしは彼の情熱に身を委ねる。理性ではなく、心の奥底から湧き出た言葉を口にする。
「はい、リカルド様、わたしもあなたの側にいとうございます」
こうしてオルタ王国の第四王女とセレス王国の摂政との婚約が決まった。
今度の婚約は血に染まることなく、幸せなものとなる。
翌年、わたしとリカルドは正式に結婚をし、その翌年には子宝にも恵まれる。
そしてその子はセレス王国の王太子となり、将来、王となるのだが、それはまた別の話。
わたしとリカルドは生涯、離れることなく寄り添い、掛け替えのない存在となる。