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ぼくの恋愛に教科書は要らない  作者: 瀬野 或
二章 ハリボテギャル
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#33 擬白、或いは、擬似的な空白


 父から譲り受けたMDウォークマンで音楽を聴きながら乗っていた電車の中で、夕暮れの時間は通り過ぎていた。


 ただ座っているだけで時間と距離が駆け抜ける。


 当たり前だが、しかし、改めて振り返ると説明できない空白の時間があった。ぼくは確かに存在していたはずなのに、今し方、ぽっと世界に出現したみたいだ。


 街灯に導かれるようにして、自宅までの道中を歩く。

 途中、コンビニに寄ってワンコインコーヒーを買った。


 各コンビニで味の違いがあるらしいけれど、ぼくはどれも等しく美味しく感じる。


 無論、粉を溶かして作るインスタントコーヒーと比べればの話だ。


 手軽で美味しいワンコインコーヒーも、喫茶『ロンド』の珈琲とは天と地ほどの差がある。


「詰まらねえもんと比べんじゃねえよ」


 と、記憶の中に住む大神さんに呆れ顔をされてしまった。いやはや、これは失敬。


 コーヒーを飲み切るまでは帰りたくない――そんな言い訳を自分自身にして近所の公園に寄り道。四阿(あずまや)に設けられたコンクリート製のベンチに座った。


 その瞬間、疲労の波を堰き止めていた堤防が決壊した。


 津波の如く押し寄せた波に攫われて、洗濯機の中に放り込まれた衣服のように体が乱回転する。


 自然の猛威に対して人間は無力だ。いや、今は無気力と言ったほうがいいのかもしれない。どうにでもなれって感じだった。


「はああぁぁ……」


 疲労感の波から解放されて、堪らず長嘆息を漏らした。


 相談を持ち掛けられた翌日にこれだ。


 この調子が問題解決の日まで続くのかと思うと後悔しかなかった。


 しかも無報酬のやり甲斐搾取案件ときたものだ。――冗談じゃない。


「というか、冗談であってほしいよ」


 祈るように呟いたが、その願いは届かない。


 そもそも祈る相手がいないのに、何処に届くというのだろうか。手紙を書くにしても宛名が無記名では翌日に自宅のポストに戻ってくるだけで、神様には届かない。


「どう言い訳しても、引き受けた以上はやるしかない、か」


 氷が溶けてぬるくなったコーヒーを一気に飲み干して、ぼくは立ち上がる。



 * * *

 


 同じ轍は踏まぬぞと、いつもより早く起きて学校に向かい、教室のドアを開けた。


 がらんどうな教室は(せい)(ひつ)で、神聖な場所のように感じる。筆を着ける前の真っ白いキャンバスみたいで、ぼくはそれに『擬白』と託けて提出したい。


 疑惑の白、或いは空白――なんて意味ありげなタイトルじゃないか。よし、気に入ったぞ。今日の油絵の授業はこれで提出しよう。駄目だよなぁ……。


 などと企てていると、前方のドアが開いた。


 教室を訪れたのは、「ドライブだけに」のフレーズでお馴染みの(しょう)()(どら)()()だった。


 庄野くんの存在は認知してはいたけれど、まさかあんなに濃いキャラクターだったとは意外というか、普段彼が目立たないのは、小谷野くんとその取り巻きたちが異様に濃すぎるからだ。


 木を隠すには森で、濃いキャラを隠すには濃い面子の中がいい。


 尤も、チャラーズの面々に興味がなかったぼくにチャラーズ一人一人の性格を把握しろなんて無理難題をこなすくらいなら、円周率を事細かく覚えたほうが人生の役に立つだろう。


「おー、御門さん早いね。ハイオクでも入れたの? ドライブだけに! 朝イチから上手いこと言っちったなー。あ、おはよう」

「お、おはよ……」


 おはようまでが長すぎて、挨拶がおまけみたいになっていた。


 ともあれ、挨拶をされたら返すのが礼儀だ。相手が小谷野くんであってもそれは例外はない。勿論、そこに気持ちがこもっているか、いないかの違いはあるけれど。


「おや、元気ないね? もしかして――」

「いやいや元気だよ! アクセル全開だよ! ドライブだけにね!」


 言われる前に言ってやる、細やかな抵抗。


「御門さんもイケる口か。いつもスルーされるから有り難いよ」


 逆に有り難がられてしまった。――それはそれとして。


 こんな気軽に会話をしているけれど、小谷野くんや他のチャラーズの誰かに見られでもしたら庄野くんの立場が危ぶまれるのではないだろうか。


 ああいったグループは、謎にプライドが高くてメンツを気にするきらいがある。


 小谷野くんがぼくを敵対視していたとするならば、この状況は芳しくないはずだ。敵対視とまではいかずとも見下している感は否めなかった。


「庄野くんはチャラ……小谷野くんのグループだよね。ぼくと会話しても平気なの?」

「うん? 別にいいんじゃない?」

「でも、小谷野くんは面白くないんじゃないかな」


 庄野くんは黒色のバックパックを教壇の上に寝かせて置き、中から水筒を取り出しキャップ部分のコップに注いだ。水筒の中に大量の氷を入れてきたのだろう、コップに注ぐ際に、ガラン――、と水筒の内側で鳴った。


「御門さんはじゅんぺーのこと嫌い?」

「嫌いとかじゃないけど……」


 さっきからちょいちょい気になってはいたけれど、「御門さん」と呼ぶってことは性別を勘違いしていそうだ。このままにしておくのは申し訳ないので、手品の種明かしをするように性別を伝える。


「……」

「庄野くん?」

「あ、ああごめん。驚きのあまり脳がエンストしてた。ドライブだけにね……で、本当に男子なの?」

「ぼくは男子だってば」

「あ、なるほど。そういうこと」


 何をどう納得したのか不安だが、それを否定したところで別の解釈をするのだろうと諦めた。


 どっちにしても、庄野くんがぼくを男子として見てくれるのであればぼくとしては問題ない。


「話が逸れたけど、御門くんさん」

「……はい」


 まあまあ、こういう呼ばれ方をされるのもしょうがないと割り切ろう。



 

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― 新着の感想 ―
[一言] さかなくんさん問題ですね。 擬白 なかなか良いタイトルですね。 美術の授業で提出すると、数秒の芸術議論の後、不可を頂けそうです。
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