#8 相関図に墨汁を垂らして線を引くような行動である
三日目の朝を迎えた。
ホームルームが始まるまでの一刻は交友関係を広げるよい機会なのだが、ぼくは自分の席でぼうっと教室の様子を窺うばかりで自分から声掛けはしない日々が続いている。
このままでは駄目だと頭では理解していても、同級生にどう話し掛ければいいのか、どう接したらよいものか、経験が乏しすぎてわからないのだ。
入学初日こそ「友だちができればいいな」なんて気楽に構えていたけれど、騒がしい教室の空気に当てられて、これはいよいよ三年間ぼっちルート確定ではないか? と焦り始めている。
固まりつつあるグループの中に飛び込むなんて芸当をそつなくこなせていれば、こんなにも切羽詰まっていないわけで。
友だちってどうやったら作れるんだっけ?
ソシャゲのガチャみたいに課金すれば或いは……いやいやそうじゃないだろう、と頭を振る。課金は悪い文化だ。「課金は時間を買っているだけ」と自分を正当化して沼に嵌まるのは危険な行為。
それに、ぼくは無課金でどこまでいけるか試行錯誤しながらコツコツとプレイするほうが性に合っている。うん。考えるべきはそこじゃないよね。課金がどうとかどうでもいいし。
要は『コミュニティを形成するだけの力量が圧倒的に足りない』ってところだろう。
それ、一朝一夕でどうにかなる話なの? ローマだって一日にして成らないのに? 付け焼き刃の知識で大学に合格できるのならば勉三さんも六浪していないナリよ。どうでもいいけどブタゴリラってあだ名は残酷すぎじゃない?
コミュニケーションとは、どれだけ自分の中に引き出しがあって、それをどう上手く使い分けるかってことだ。
相手から発信される情報を漏らさずキャッチするアンテナも必要不可欠。会話を合わせるという意味では楽器のチューニングと似ているのかもしれない。
つまり、楽器も弾けない、会話の引き出しもないぼくでは『他者との交流が不向きである』とQEDされたってわけ。――駄目じゃん。
できない理由をあれこれ追求してみたが、ぼくは会話が嫌いってほどでもない。
何なら気さくな一面だってある。近所に住むおじいさんやおばあさんに挨拶されればきちんと返すし、スーパーマーケット、コンビニでの会計時、はたまた謎会社の怪しいチラシ入りポケットティッシュを受け取る際にも会釈して、「どうも」くらいは言う。
これを気さくと言わずして何と言う? ただの挨拶ですQED。
平たく言えば、同級生と会話する方法がわからないだけであって、それなりにはそれなりだってこと。平たく言いすぎてしまってわけがわからないな。それなりにそれなりって、どんだけそれなりなんだよ。――そうだな。
例えば、ゲームでよく言われている意味不明な常套句の『強い人が使えば強い・弱い人が使えば弱い』的な、したり顔で得意げに『息を吸って呼吸する』と発言しそうな政治家のような、若しくは『水道水』、『返信を返す』という表現に一抹の違和感を覚えるようなものである。
ヒントさえあれば難なく会話できるはずなので、誰でもいいから攻略サイトに日常会話の攻略法を書いてほしいと願って数十年。我々ゴミニケーション界隈は、未だ誰も攻略できずにいる。
攻略本は本屋の意識高そうな棚にあるけれど読みたくない。なので、日常会話を運営している会社は速急に修正を入れるべき。バランス調整はよ。
などと、人間観察しながら下らない妄言を脳内で誰かに語り掛けるくらいには余暇を満喫しているとも言えるのだろうか。言えない。言えるわけがない。
だってこんなにも退屈しているのに、どうして充実していると言えよう。これもきっと持つ者と持たざる者の格差が生んだ……ええっと、なにが言いたかったんだっけ? ま、いいや。どうせ大して重要なことではないだろうし。
コミュニケーションを得意とする者同士がくっ付くのは当然の理。だが、この光景を見る度に格差を感じて嫌になる。
続々とグループが出来上がっていくというのに、ぼくのような連中は誰かが声を掛けてくれるかもしれないなんて淡い期待を抱きつつ、漫画、携帯ゲーム機、スマホなどを弄っているだけ。
飽き飽きした顔でゲームをプレイしている彼も、数年前に流行った冒険漫画を読んでいる不良くんも、きょろきょろしながらおどおどしている彼女も、どうやって他人と関わればいいのかわからないのだろう。人間観察なんかしているぼくも大概だ。
不良の南蛇井くんに至っては、学校の全てが気に食わないのかもしれない。だけど、未だに授業をサボる気配はないでいる。案外、真面目な性格だったりして? そんなわけないか。
教室の中心で騒ぐはっちゃけ組、通称・チャラーズ――ぼくが勝手に命名した――は、新たに男女合わせて四人を仲間に引き入れた。チャラーズの存在感は、日を跨ぐにつれて増している。
はっいり言って脅威だ。出る杭は打たれるのが世の常だけれど、学生社会に至ってはそうじゃないのが難しい。声の大きさ、発言の影響力で、その者の価値、正しさが証明されると言ってもよい。
正論だけでまかり通るほど、単純な構図でもない。
知恵の輪を百個纏めて雁字搦めにした感じ。そこにクラスカーストが発生すれば、文字通りの詰みとなる。