#32 ドライブ! ドライブ! ドライブ!
支払いを済ませてカラオケ店を出ると、仲間たちと遊び歩くススガク生や進学校に通っている学生たちで賑わい、日中の静けさが嘘みたいだった。
駅に向かう道中にあるファーストフード店は、小腹を空かせた学生たちで混雑している。
その中にクラスメイトの顔を何人か見つけたが、ぼくと彼らには何の接点もなく、知っていることと言えば彼らの名前くらいだ。
同じ教室で共に学んでいても、案外そんなものだったりする。
「あ」
そう言って立ち留まった桔花の目線を追うと、数メートル先に小谷野純平率いる新生チャラーズの面々を見つけてしまった。
ファミレスに入るか否かを店の前で話し合っているようで、このまま真っ直ぐ進むめば接触は避けられそうにない。だが、適当に迂回できそうな脇道もなかった。
「ちょっと戻って迂回しようか」
しかし、桔花は頭を振る。
「ここで引き返したら負けな気がするじゃん」
進む以外の選択肢はなさそうだ。
「つかさも何とか言ってやってよ」
「私たちは駅に向かうだけだし、やましいことなんてない。そうでしょ?」
「そりゃあそうだけど」
そうなんだけど、朝に一悶着あって尚、素直に「はいそうですか」と通らせてくれるとも思えない。さすがに殴り掛かってはこないだろうけど、低俗な言葉の暴力は浴びせられそうだ。
「本気?」
頭に血が昇って正常な判断ができていないだけじゃないか? という意味も含めて訊ねた。
「本気」
その返答を聞いて、ぼくは嘆息を漏らした。猪突猛進するのは勝手だけれど、それに巻き込まれる身にもなってほしい。
骨折り損ではなく罵られ損になるのだけは願い下げだが、こうなった二人に幾ら言葉を弄しても無駄だろう。
「どうなっても知らないからね」
「望むところ!」
右手の拳を左手の平に打ち付けた桔花の姿は、強いヤツに会いにいくのが趣味の柔道着の格闘家めいて見えた。
* * *
「あっれー? そこにいるのはビッチの桔花さんじゃんねぇ?」
出会い頭に小谷野純平が悪態を吐くと、取り巻き連中が嘲笑した。
「なになに? オレらからハブられて弱小グループに入ったの? 哀れすぎて全米が泣きそうだわー」
予想はしていたけれど、まさかここまで敵意を剥き出しにされるとは。
「オレらこれからこの店入んだけどよかったら一緒にどう? 水でよければ奢ってやるよ」
「水はタダじゃん、じゅんぺーマジウケんだけどー」
悪態を吐き続ける彼らを見て、懐かしい感覚が蘇ってくる。
「つうかさー。折角じゅんぺーが話しかけてんのにシカトしてんじゃねーよ、桔花」
小谷野純平の隣にいるギャル風の女子が小谷野純平の腕にしがみ付く様子から察するに、二人は不純異性交遊をしているのだろう。なるほど、だから彼女は桔花に対して威嚇するような目を向けているのか。
要するに、小谷野純平のお気に入りだった桔花が憎たらしいのだろう。でもそれは、裏を返せば、自分は都合の良い女と認めてしまっているようなものなのだが、嫉妬心を燃やしている彼女には理解できていないらしい。
「少しは言い返してみれば? それともブルッちゃった系? ちょーきもいんですけどー」
「超キモいのはアナタの方だよ、渡会さん」
その口調は淡々としていて、つかさが堪らず反論したと思った。
でも、声色が違う。
つかさはぼくの隣で成り行きを見守っているだけだ。
ということは、先の発言は桔花?
「渡会さんてなに? アンタ、ウチのことを『せーこ』って呼んでたじゃん」
彼女の名前は渡会聖子という。
今の時代には珍しく古風な名前だ。一昔前に聖子という名前のアイドルが一世を風靡し、『聖子ちゃんカット』なる髪型が女子たちのトレンドになったらしい。
でも、渡会聖子にアイドル性は微塵もない。完全に名前負けだ。いや、ここまでくると名前詐欺である――なんてことを口にすればそれこそ火に油で、火中の栗を拾いたくないと胸中に留めた。
「親しくなりたい人にはあだ名で呼ぶけど、そうじゃない人をあだ名で呼びたくない」
「は? きも」
「罵倒のバリエーションが乏しすぎない? もっと本を読んで語彙を増やしたほうがいいよ。先ずは児童文学から入るととっつき易いと思う。ズッコケシリーズとか」
苗代桔花は冷静に、それでいて冷淡に、渡会さんを批難する。
しかし、渡会さんに勧めた本がズッコケシリーズとは皮肉かな? 無論、誰しもが認める名作だし、今読んで懐かしさに悶えるのも悪くはなさそうである。そう思うと、無性にあの三人組に会いたくなってくるのが不思議だ。
「じゅんぺー、コイツ調子に乗ってるから朝やったみたいにしめてよ」
「あ、ああ……」
「じゅんぺー?」
小谷野純平の表情が強張っている。かつてない桔花の態度を見て、明らかに動揺していた。
そんな空気を察してか知らずか、チャラーズの人壁の奥から暢気な声が飛び込んできた。
「なあじゅんぺー、ファミレス入ろうぜ? 腹のエンプティーランプが点灯して死にそうなんだけどなぁ」
でっぷり腹を摩りながら眠たそうな声で空腹を訴えたのは、チャラーズの中で一番恰幅のいい男子、庄野虎井武。虎井武と書いて『どらいぶ』と読む。命名したのは父親で、車関係の仕事をしていると風の噂で聞いた。
「は? 調子乗んなデブ」
「そうカッカすると老けるぞせーこ? 若くして老け込むと早いぞ? アクセル全開! って感じに――虎井武だけにな! あ、やべ、上手いこと言っちった」
全然上手くねーよ! ぼくの代わりにチャラーズの有象無象が庄野くんの頭を叩いたりしてツッコミを入れていた。
「トラのせいでシラけたわ。……じゃあな」
そう捨て台詞を吐いて、チャラーズの面々は小谷野純平を筆頭にファミレスへと入店していくが、いの一番、いや、胃の一番に空腹を訴えた庄野虎井武だけ、ぽつんその場に残っていた。
「トラ」
「おー、まだあだ名で呼んでくれるんだ」
「もしかして助けてくれたの?」
「いいや? 単にガス欠っただけ――ドライブだけにな! あ、まーた上手いこと言っちった」
「フフッ、そういうことにしとくよ。でも、あんがとね」
「気にすんなって。――ああ、そうそう」
庄野くんはぼくとつかさを見て、
「椋榎と御門だっけ。おれのレースクイーンをよろしく頼むわ」
キメ顔でニカッと笑った庄野くんは。自己紹介も早々に、小走りで小谷野純平を追ってファミレスの中に消えていった。嵐のように、否、ダンプカーのような人だ、とぼくは思った。
「……なにそれ。全然上手くないし、うっせーっうの」
庄野くんが入店したのを見届けた後、桔花は小さく、感謝するように呟いていた。




