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ぼくの恋愛に教科書は要らない  作者: 瀬野 或
二章 ハリボテギャル
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#24 宝物が宝石になって、今もずっと大神拓己は


 大神さんは(くさ)()さんを「チンチクリン」と称していたけれど、ぼくは全く異なる印象を日下部(もゆ)に抱いた。


 大神さんが贔屓にしていたバーを突き止めるのはそこまで難しくない――知り合いの仲であれば一度くらい飲みに誘った可能性もある――としても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


 社会人ともなれば初対面の相手に名刺を渡しているはずで、名刺を見れば連絡先なんて簡単にわかってしまう。会社支給の携帯電話の番号だけを記載している場合もあるが、情報が勝運を左右する世界で二十四時間繋がる連絡先を記さないのは如何なものだろうか。


 しかし、日下部萌は電話ではなく直談判を選んだ。


 日下部萌の本心は『責任取って私を養え』にあったのだろうと推測できる。大神さんは「愛はねえわな」と一蹴していたけれど、日下部萌は大なり小なり大神さんに恋心を抱いていたのではないか。だからこそ用意周到に実家の洋食屋にまで根回しをしていたのではないだろうか、と――。


「そっかそっか、なるほどねぇ」

「なんだよ、派手な嬢ちゃん」

「いやぁー? べっつにぃー?」

「大人を揶揄うんじゃねえ」


 ねっとりした口調で大神さんを揶揄う桔花も、ぼくと似た推測を立てたようだ。


「では、日下部さんのご両親が経営する洋食屋で下積みしている間に、この喫茶店を建てたってことでしょうか?」

「ま、そういうことだな」

「その日下部さんて人とはどうなったの?」


 そんなの、言わずもがなだろうに。異性を両親に紹介する意味を、桔花はわかっていないようだ。


 これが子ども同士のお宅訪問であれば、単なる「友だちを連れてきた」で終わるのだが、大人が異性を両親に紹介するとなれば話は違ってくる。


 それが「修行させてください」だったとしても、その言葉に隠された「交際させてください」を察するのが親ってものだ。例え、大神さんにその気がなかったとしても。


「籍を入れさせられた。……成り行きでだがな」

「交換条件ですか」


 確信を衝くと、


「ほう、どうしてそう思う?」


 大神さんの目の色が変わった――そんな気がした。


「親の気持ちはわかりませんけど、話の流れから察するに『娘と一緒に仕事をするなら結婚しろ』と言われてもおかしくないんじゃないかって。お互いにいい年だったでしょうし、大神さんだって悪い気はしなかったんじゃないかと思ったんです」


 どれくらいの期間、洋食屋で下積みしていたかは語られていなかったが、独立を許されたってことは『娘の結婚相手として申し分ない』と判断されたと考えていい。


「大神さんも悪い気はしなかったんじゃないか」と言ったのも、日下部萌の話をする大神さんの表情がいつもより優しかったからだ。ちょっと生意気だったかなとも思ったけれど、敢えて生意気にさせてもらった。そうしたほうが大神さんには届くのではないかって。


「まるで見てきたみたいに言いやがる。その通りだ、小さいの――おっと、智栄って呼んだほうがいいか」

「あ、じゃあウチは桔花で!」

「……ったく、毎度毎度、注文が多いヤツらだな」

「マスターの名前は? ……ほうほう、大神拓己さんね。じゃ、みっちゃんさん!」


 みっちゃんだぁ? 大神さんの眉間に皺が寄る。


「タクさんのほうがよき?」

「どっちもよきじゃねえよ」

「どっちか!」

「んじゃあ、タクさんのほうがまだマシだな」

 

 このやり取りを隣で聞いていて、ぼくはつい感心してしまった。


 桔花は特に何も考えず、思いついたまま二つのあだ名を提示しただけだとしても、最初にあり得ない金額を出して相手が渋るのを見て、次に妥当と思える金額を差し出すのは交渉術の基本だ。


 まあ、重ね重ね言うが、桔花は何も考えずに「みっちゃんさん」と「タクさん」の二択を迫っただけであって、交渉しようだなんて最初から頭になかったと思われる。要するに、投げたボーリング球が偶然にレーンのど真ん中を転がって、偶々ストライクを叩き出したにすぎない。


 だが、結果的にストライクを出しているわけで、これだから無意識のビギナーズラックは馬鹿にできないのだ。


「タクさんが既婚者だったなんてめっちゃ意外だなー……あ」


 そこで桔花は言葉を詰まらせた。


 事情を……察したらしい。


 二人で喫茶店を開くのが当初の目的だったのに、今、この場にいるのは大神さんただ一人だ。そして、十年間この店を()()()()()()()()()()()とも言っていた。


 その言葉が意味するのは、そういうこと、だろう。


 憶測ではあるけれど、喫茶『ロンドン』の名前の由来は新婚旅行でいったロンドンに因んでではないだろうか。


 ロンドに飾られた調度品と、階段の踊り場にあるステンドグラスは日下部……大神萌の趣味。珈琲とケーキの味は大神萌の実家の洋食屋の味で――大神さんにとってこの店は、奥さんとの大切な思い出が沢山詰まった宝石箱のような場所なのだ。


 ……一人になってもずっと、この店を守り続けてきたのだろう。


「あ、あれ……? ちょっと待って、どうしよ、とまんな」


 桔花の双眸から大粒の涙が零れ落ちる。その雫はカウンターテーブルを濡らし、ストレートグラスの結露と混ざり合って黒く滲んだ。


 喜怒哀楽が激しく、猪突猛進で、心根の優しい桔花だからこそ、喜怒哀楽がわかり易い大神さんの、この店に対する強い想いに共感できたのだろう。


 優しい人が損をするなんて、絶対に間違っている。


 別に桔花の涙に絆されたわけではない。世界名作劇場を見ても泣かない人だっている。


 泣かないならまだいい、()()()()()()()()()のが問題なのだ。幸いなことに、桔花はまだ()()()。泣けなくなる前にどうにかして、桔花に覆い被さる問題を解決したいと思った。


 それが『友だち』ってものだろう。



 

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― 新着の感想 ―
[一言] 智栄、男らしい。 言ってることが男らしい。
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