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ぼくの恋愛に教科書は要らない  作者: 瀬野 或
二章 ハリボテギャル
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#22 人に歴史ありとはい言うが、それをギャップと呼んでよいものかと彼は思う


 二人の服が乾くまでは喫茶『ロンド』に(ろう)(じょう)するしかないのだが、ただぼうっと待っているのも忍びなく思った。


 近くにあったメニュー表をそれとなく取って、


「すみません、アイスティーをいただけますか」


 ぱっと目に入った飲み物を注文する。


「あいよ」


 大神さんはいつもの調子で了承し、冷蔵庫からアイスティーが入った容器を取り出して氷を三つ入れたストレートグラスに注ぐ。模様や装飾類はなく、至ってシンプルな作りの物だ。


 昔、両親に連れられていった大型インテリアショップでこれと似たグラスを見掛けたことがあった。ロンドで『アイス』と名の付くドリンクの全ては、例外を除いてこのストレートグラスに注がれて提供される。


「お前、アイスコーヒー半分くらいしか飲めてなかったろ」

「はい、実は」


 何も見ていないようでいて、店内の様子はしっかりと観察していたらしい。目が回るほど大繁盛こそしてないが、一人で店を切り盛りしているだけはある。目尻と眉と眉の間に刻まれた深い(しわ)は伊達じゃないな。


「こいつはサービスしておいてやるよ」

「迷惑をお掛けしたのに、いいんですか?」

「ガキがいちいち小さいことを気にすんじゃねぇ」

「ありがとうございます」


 出されたアイスティーを両手で受け取り、頭を下げた。


 ロンドと大神宅をニ往復もしたせいで喉がカラカラだった。それだけに、冷たいアイスティーが身体に染み渡る。コーヒーとはまた違う渋みと、気品のある茶葉の香り。上流階級の者たちが挙って紅茶を嗜むのも納得だ。


 そういえば、どうして上流階級の女性が珈琲を注文しないのかというと、珈琲は丁寧語に変換できないからだとか。「お紅茶」と注文できても「お珈琲」とはならない。こういうところは日本語の落とし穴だな。細かすぎて融通が効かない、とも言う。


 沈黙が耳に痛くて店内を見遣ると、さっきまでいた常連客たちはいなくなっていた。大神さんが人払いをするはずもないし、ぼくらが煩くて帰ってしまったと考えるのが妥当か。申し訳なさすぎて大神さんに合わせる顔がない。


「近辺にコインランドリーはありませんか?」


 顧みて他を言ったぼくだったが、自分の発言にはっとさせられる。どうしてもっと早くコインランドリーの存在に気が付かなかったんだろう、と胸中で省みた。気が動転していると視野が狭くなる、を身を以て実感。


「俺ん家の方にあるっちゃあるが」


 大神さんはそこで言葉を止め、(いぶか)るように首を傾げた。


「なんで俺の苗字を知ってる?」

「メモ紙と表札に書いてありました」

「ああ、そういえばそうか」


 アイスティーを一口飲んだ。美味しいな。次回はアイスレモンティーを飲んでみようか。半月状のレモンの輪切りが入っていて、見た目は華やか、飲んで爽やかな一品に違いない。


 うん、アイスティー超ありだ。


 これまで紙パックかペットボトルのアイスティーしか飲んでこなかったから、こういう店で飲む紅茶は格段に美味しく感じる。


 これはもう名前だけが同じだけの別物だ。例えると、有名メーカーのコーラとクラフトコーラの違い。ぼくは断然クラフトコーラ派。ジンジャーエールもまた然り。シロップの値段が高いのが玉に瑕で、滅多に飲めないけどね。


「近くにあるコインランドリーは歩いて三十分だな。俺の家からだと五、六分ってところだが……そうか、コインランドリーって手があったか。もっと早くに気がついてりゃよかったな」

「ぼくもついさっきコインランドリーの存在を思い出したばかりで」

「ま、そういう日もあるだろうよ」


 大神さんは苦笑した。


「自己紹介がまだだったな。大神(たく)()だ、よろしくな」

「ぼくは御門智栄です。(さとし)いに栄光の栄で、ともえ、と読みます」

「智栄か、いい名前だ」


 大神さんは改まって名乗るのが気恥ずかしかった様子で、急に外方(そっぽ)を向いて洗い物に手を伸ばした。誤魔化し方が下手すぎる。


 喜怒哀楽がわかり易いだけに、ポーカーフェイスを貴重としたゲームは(ことごと)く苦手そうだ。次に弱そうなのは桔花。藤村くんの患い病はこういう時こそ役に立ちそうではあるものの、誰もつかさには勝てないだろうな。


「喫茶店は長いんですか?」

「もう十年くらいになるか」

「その間、ずっと一人で?」


 と質問して、失言だったと気がついた。あれだけ「プライベートガー」と注意をしていたにも拘らず、ここにきて油断するとは何て間抜け!


 だが、口に出してしまった言葉は戻らないし、ずっと頭の中で疑問になっていたのも事実。それに、答える答えないの選択は大神さんにある。怒られたら誠心誠意謝罪しよう。そして単品で一番高いケーキを注文しよう。それで許してもらえるかは微妙な線ではあるが。


「まあ、俺ん()までいきゃあ気になるのも無理はねえよな」

「それもですけど」


 答えてくれそうな雰囲気に呑まれてぼくの口が生意気に滑る。


「この店のところどころにも大神さん以外の拘りが散見されます」

「ステンドグラスだろ」

「ええ」

「ありゃあ確かに俺の趣味じゃねえ」


 大神さんは洗い終わったストレートグラスに水を注いで一気に呷った。


「ちいと長くなるが……そこにいる派手な嬢ちゃんも聞いてくか?」


 言われて振り返ると、階段の一番下の段に桔花が立っていた。


 桜色のおじシャツと、つかさが返却した赤と白のミニスカートを穿いている。ぼくは悪くないコーデだと思うけど、桔花的にはナシなのだろう。不満げな表情が、口よりも饒舌に物語っていた。


「つかさは」

「上にいるけど呼ぼっか?」

「いや、露出させるわけにもいかないよ」

「タオル巻いてくればいいじゃん」

「おいおい、実家じゃねぇんだぞ?」


 身体にタオルを巻いた高校生が喫茶店にいたら通報モノでは?


「でもさー、二階には何もなくて暇なんだよね。ウチ、ボードゲーム嫌いだし」

「ルールは知ってるんだ」

「将棋くらい余裕っしょ。でも、おばあちゃんに一度も勝てないからさぁ」


 おばあちゃんは玉を角寄せし、香車、銀将、金将で囲う『穴熊』と呼ばれる戦法で手堅く守りながらカウンターを狙うタイプで、桔花は何の策もなく猪突猛進、玉砕する盤面が想像された。


「おばあちゃんに勝ちたいなら将棋の勉強をするしかないね」

「んー……でも、おばあちゃん勝つと超嬉しそうに笑うし、別にいっかなって」

「ちくしょう、泣かせる話しやがって」


 大神さんは人情にも弱い模様で、すんと鼻を啜り、「派手な嬢ちゃんも飲んでいけ」と桔花にもアイティーを振る舞った。



 

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