#6 群青色の眼が呼んでいる
困ったな、どうしようかな、もう入学式出なくてもいいかな、よくないよなぁ……と黒板の前で熟考していると、窓際前列に座る生徒とばったり目が合った。
赤髪のスパイラルカールが目を引いたっていうのもあるけれど、派手な見た目とは対照的に、教室で文庫本を読む姿が妙に大人びて見えた。
袖口が黒の白ワイシャツに黒と銀の縦柄スクエアエンドのニットタイを合わせ、腕にはアンティークな時計を嵌めている。
とても高校生のセンスではない彼の服装も然ること乍ら、切れ長の美しい双眸がどこかやさぐれている感を醸し出しているというか、物憂げと言うべきなのか、吸い込まれそうな印象を孕んでいて、目が離せなかった。
例えば、美しい紅葉の風景や、瞬時に引き込まれる名画を見た際、人間は、息をすることさえ忘れて没入し、「綺麗だ」と安直な感想を漏らしてようやく、これまで呼吸を忘れていたと自覚する。
その間は数秒かもしれないし、数分かもわからない。そこにあるのは夢中だったという無意識だけが、鮮明に、鮮烈に残るのみ――。
彼はぼくの状況を察し、文庫本を丁寧に閉じて机の上に置くと、ゆっくりと右手を隣の席に乗せた。
口元を緩やかに綻ばせて、「どうぞ」と言いたげな表情でぼくを招く。
これまで何人ものイケメンと呼ばれる人物を見てきたけれど、その中でも群を抜いて別格だと思った。
同い年とは思えない落ち着きと所作、嫌味を全く感じない香りを纏う彼に、人間としてのレベルが違うとさえ感じる。
背丈もぼくより頭一つ半ほど大きいようで、机と椅子のサイズも合っていない。
「その眼、綺麗ですね」
率直な感想を漏らして、自分の無自覚を恥じた。
初対面の相手に「眼が綺麗」だなんて、下手なナンパ師でもこんな在り来りな言葉は使わない。
もっと手頃で無難な挨拶があっただろう。それこそ、ハワイユーとか、アイムファインセンキューとか……これだと自問自答で完結してない?
自己完結型挨拶なんて斬新! というか、相手は外国人ではないわけで、拙い英語で挨拶する必要もないのである。
かっと顔が熱くなるのを感じたぼくは、ばれないように俯いた。やばいやばい、絶対にやばいヤツだって思われた。
だってぼくだったらそう思うし、これから三年間どうやって無視しようかと脳内でシュミレーションする頃だもの。マジ絶望的状況でやばい。
「ありがとう。これ、お気に入りのカラコンなんだ」
「そうなんだ、へ、へぇー……」
言われてみれば確かに、西洋人形みたいな美しいコバルトブルーの瞳が裸眼のはずがない。そんな簡単なことすらも見抜けないほど、気が動転していたようだ。
でも、アイドルか読者モデルと言われても疑わない容姿を持つ彼の隣に座れば、同性であってもドキドキしてしまうのは――と、一瞬だけネームプレートに視線が向かったのを、彼は見逃さなかった。
「やっぱり白色って気になるよね」
この学校での白いネームプレートの意味は、入学式受付で事前に聞いている。
好奇な目を向けてはいけないと頭では理解していても、表情に出てしまっていたらしい。自分だって容姿を散々弄られてきたはずなのに、これでは、ぼくをオトコオンナと蔑んできたヤツらと同じじゃないか。
「すみません」
「気にしなくていいよ。これまでいろいろとあっただろうし。お互いに」
謝罪は受け入れてもらえたようだが、しかし困った。
このまま『彼』と呼んでいいのか、はたまた、『彼女』と言い換えたほうがよいものかどうかわからない。
そんなぼくの眉を読んで、
「椋榎司です」
春風を思わせる優しげな笑みとともに、右手を差し出された。
「ど、どうも」
握手なんて慣れてないものだから、数秒ほど躊躇ってしまった。
椋榎くんさんは口元に薄らと笑みを浮かべ、「よろしく」と言う。
凄いなぁ、と思った。自己紹介は違和感のある空気の元で行われるもの、という認識をものの見事に覆された。
これが椋榎くんさんの実力。思わず「サインを下さい」などと言いそうになった自分にも驚いた。
それだけ椋榎くんさんの纏う雰囲気が只者ではないってこと――うん。いい加減、『くん』なのか、それとも『さん』なのか、どちらかに絞りたいところではある。芸名じゃないんだから。
「なんて呼べばいいんだろう、みたいな顔をしてるね?」
「え? これまでクラスの誰かと親密な関係になったことなかったから、どう呼んでいのかわからなくて」
咄嗟だったとはいえ、上出来な言い訳じゃないだろうか。相手の素性が明らかでない以上は、無闇矢鱈に名前を呼べない。見た目どおりに椋榎くんと呼ぶのがセオリーだろうけれども、胸元にある白のネームプレートが引っ掛かる。
見た目どおりが正しいなんて固定観念は、この学校ではナンセンス。こんなに眉目秀麗でも、心は乙女だっって可能性も考え得るのだから。
「つかさって呼んでくれていいよ」
「初対面で呼び捨てはハードルが高いなぁ」
ううん、と頭を振る。
「そう呼んでほしいんだ。そっちのほうが都合がいい」
「じゃあ、ちょっと恥ずかしいけど、そう呼ぶ」
「ありがとう。キミのことは『ともえ』でいいのかな。それとも御門くん、さん?」
ああ、そうか。
ネームプレートが青色であっても、それで性別が判明していたとしても、ぼくの見た目はそれさえもひっくり返す非常にややこしい容姿で、つかさもぼく同様にどう呼べばいいのか? と考え倦ねていたわけだ。