#10 自分の価値観の中でしか生きられない者と、井の中から出た蛙の抗争
外に出たつかさは食堂前にあるちょっとした広場で足を留め、何処か座れる場所がないかと左見右見する。そして、煉瓦作りの花壇の下にある丸太を模したコンクリート製のベンチを指した。
四角く囲った花壇の中央からは垂直に伸びる立派な松の木が生え、丁度よく木陰を作っている。
ここが職員室の真ん前であることを除けば雰囲気のよいデートスポットなのだが――場所が場所だけに、本当に悔やまれる。
早く座りなよと言いたげなつかさが、自分の隣の空きスペースを右手で優しく叩いている。
最初は特に気にもしていなかったのだが、最近はつかさを左側に置くようにして座らないと落ち着かない。教室で連日、つかさを左にしているせいもあるのだろう。
往々と繰り返すうちに習性化してしまったようだ。昨日行われた話し合いの席ではつかさを右側にして座っていたが、妙に居心地の悪さを感じた。
居心地の悪さを感じた理由は、席に限った話ではないのだが……。
苗代桔花と向かい合う形で座っていた、というのもある。登場が登場だけに、インパクトが強すぎたのだ。
面倒ごとを持ち込んでくるであろう相手を両手離しで歓迎できるほど、ぼくは人間ができていない。
それにしても、教室であんな騒動があったにも拘らず、ぼくたちは暢気に構えすぎじゃないだろうか。
まあでも、職員室が目の前にあるとはいえ、居心地のよさと涼やかな風が、張り詰めていた心をほどよく解してくれる。
つかさも目的を忘れている様子だし、本題に入る前に軽く雑談でもして気分転換するのも悪くはないだろう。
「今はどんな本を読んでるの?」
つい最近までは、女の子同士の恋愛模様を描いた本を読んでいた。ミステリやラブロマンスが得意な人気小説家計五人を集めたアンソロジー形式の小説で、その中の一人が贔屓にしている小説家だったようだ。
名前は確か――宗玄膳讓だか上善如水だったか、そんな感じのお堅そうな名前だったと思う。
以前にその小説家の本をつかさから借りて、読んでみたことがある。
読み慣れない文体で読了するのに数日掛かってしまったが、余韻に浸れるよい小説だった。一つ文句を付けるとすると、頁の上下に本文を載せる新聞形式だったってところくらい。
頁を捲るのが早いつかさと違って遅読なぼくは、どうにもこういう形式は読みづらさを感じてしまう。
「大河内千鶴のホラーミステリ、『殺戮の夜シリーズ』の二作目、『殺戮の十六夜』だよ」
またまた知らない作家名と、本のタイトルが飛び出した。今回はシリーズ物らしい。分厚くておどろおどろし装丁の本が、脳内に映し出される。
タイトルからしても物騒そうな内容だ。
本のタイトルを尋ねても、ぼくがわかるはずもない。だけど、好きなモノについて語るつかさは水を得た魚のように活き活きしている。
コバルトブルーの双眸が一層キラキラ煌めいて、とっても可愛らしい。――ふう、今日もご馳走様でした。
「一作目の『殺戮の五夜』も面白いよ? 貸そっか?」
「あー、実はホラー苦手なんだ。気持ちだけ受け取っておくね」
「そう? 残念」
ミステリやサスペンスならば興味はあるけど、ホラーと名がつくジャンルは遠慮したい。
ネット上で「これはホラーじゃなくてギャグだ」とレビューされる作品であっても脅かし要素があったらそれだけで願い下げだ。
辛い物が苦手な人に「これは全然辛くない」と奨めても食べられなかったりするのと同様で、苦手な物はどう調理されても「苦手だ」としか言えない。
それでも強引に食べさせようとする輩はDV気質の疑いがあるため、付き合わないほうが賢明だと注意喚起もしておこう。
コホン――、態とらしく咳払いをして閑話休題とする。それまでちょこんと座っていたつかさも、ぼくの咳払いを聞いて察したのか、ベンチに深く座り直した。
「ぼくが教室に着く前に何があったの?」
「桔花が小谷野くんに突っかかったって話はさっきもしたよね」
「うん」
つかさは警戒するように周囲に目を向け、誰もいないことを確認してから開口した。
「ひけらかすように煙草をバッグから取り出した小谷野くんが一本ずつ、仲間内だけじゃなく周りにいる人にも配り始めたの」
「は? 配り始めた?」
え、なんでそんな愚行を? ぼくは耳を疑った。
「本を読んでたから詳しくは見てなくて。薄らと小耳に挟んだ言葉をそのまま口にすると『高校生にもなって煙草吸ってないヤツはガキだ』とか何とか豪語してた」
これはもう煙草を吸っている自分に酔いしれているどころの騒ぎじゃない。
泥酔しちゃってるやつだ。拗らせ病を患っている藤村謙朗はまだ可愛いほうで、イキりマウント系の拗らせ病は非常に悪質で厄介極まりない。
「それを見た桔花が『もう我慢できない』って――」
まあ、そうなるだろう。
その場に居合わせていなかったぼくでも、教室の光景が目に浮かぶ。
煙草を吸っているのが一つのステータスでもあるかのように振る舞う小谷野純平の態度は、チャラーズ以外の者からすると酷く目に余る。
そんな愚行が元・リーダー的立場にいた桔花の目に留まれば、これまでの鬱憤が爆発してもおかしくはなかった。
「小谷野くんの胸倉でも掴んだ?」
「それだけならまだいいよ」
「えぇ……」
つかさは頭を振る。
「煙草を奪い取った桔花は本人の前でぐしゃぐしゃに握り潰しちゃってさ。それを見た小谷野くんは激情して、あろうことか桔花を両手で突き飛ばしたの。それも、怒り任せに容赦なく」
ほら、言っただろう? 他人に何かを強要する者はDV気質の疑いがあるって。




