#3 飛び込んだのか、飛び込んできたのか、どちらにしても彼は巻き込まれる
喫茶『ロンド』を訪ねる時間は、お昼頃からいるであろう、老齢の常連客が数名残っている。
店主が淹れた珈琲を片手に、或いはテーブルの角に置いて、午後のひとときをすごしている常連客たちは、ぼくらの存在に気づいているのかいないのか。「見た顔だ」程度の認知はしても、話し掛けてくる様子はない。
店主然り、常連客然り、喫茶『ロンド』はお世辞にも「アットホームな雰囲気」とは言い難い。それなのに、不思議と通いたくなる純喫茶なのだ。
中央寄りのカウンター席でいつも、将棋、囲碁、チェス、の何れかに興じている男性二人組の椅子には、柄の部分を木目調に仕上げた高級そうな杖が引っ掛けてある。日課の散歩の途中か締め括りに、休憩がてらにこの店を利用しているのだろう。
出入口付近のボックス席で孫の自慢をしている女性四人グループは、何処か別の店から流れてきたようだ。紙袋を足元に置いていたのをすれ違い様に見て、おそらくは東京の何処ぞのデパートで買い物と食事をした後、締めのデザート感覚でロンドに寄ったと思われる。
散歩とお出掛け帰りにふらっと立ち寄れる距離ともなれば、常連たちの住居は店の近所で間違いなさそうだ。
断定はできないけれど、そうでなければわざわざ住宅街に構える喫茶店に足を運ぼうとは考えないだろう。若者たちを気にしなければ、駅前にあるカフェチェーン店で事足りてしまう。
「老人会の集まりみてぇだろ? ま、否定はしない」
注文したレアチーズケーキとシフォンケーキ――ヨーグルトソース添え――を運んできた店主は、凝り固まった身体を解しつつ店内をぐるりと見て、ぼくの眉を読んだかのようにぼやいた。
「お前らみたな若造はなかなか寄り付かないもんでな。久しぶりだよ」
「以前はきてた?」
「まあな」
つかさと店主はどういうわけか馬が合うようで、砕けた口調になったつかさに、店主も然程気にしていなさそうだ。自分の口調が荒いがゆえに、指摘しても説得力がない、と黙ってるだけかもしれないが。
口調はどうであれ、何だかんだ子どもに甘いところがある。もしも店主にお孫さんができたら、「何でも買ってくれる優しいお爺ちゃん」になるだろう。
お孫さんに「おじいちゃんだーいすき」なんて抱きつかれた日には大喜びでケーキを買ってきて、「お義父さん、甘やかされては困ります」と母親に嗜められるのだが、「そうか、そいつはすまなかった」などと口では言いつつも同じことを繰り返す――なんだこれ、幸せな日常か?
「それも数年前の話だ」
古い記憶を呼び覚まそうと天井の一点を見つめたその眼は、ほんのり寂しげに細まり、瞳の奥には優しげな光が宿っていた。
「お前らが座るその席は、ソイツがいつも陣取っててな。コーヒーを一杯だけ注文して何時間も粘りやがる。学校が休みの日にもくるもんだから、『そんなにうちの店が気に入ったのか』って聞いたんだ」
そしたら? つかさが訊ねる。
「何て言ったと思う?」
「店主さんが淹れる珈琲の味がすき、とかですか?」
店主よりも早く頭を振ったのはつかさだった。
「多分、もっと合理的な理由だと思う」
「お前の言うとおりだ。真面目な顔で『学校に近くて便利だから』だとよ」
それはなかなかに失礼な人だけれど、ススガク生徒らしいとも言える。
ススガクに通う生徒たちは、何本かネジが外れているというか、これまで培ってきた常識が通用しないというか、思考パターンが超次元的な人を多く見受ける。
暇だからという理由で放置された自転車を破壊してみたり、サッカーをしていたと思ったらドッヂボールになっていたり――校舎裏の森林地帯に秘密基地を作ろう! などと考えるのも、一般的な高校生が考えることではない。
発想が小学生染みているのに、それを実行に移す行動力と技術が備わっているのが厄介だ。まあ、そのお蔭様で充実した昼休みをすごしているのだけれども、常人では考えもしないことを自由の名の下に執行するのはどうなのか? とも思うわけで。
「まるで利便性だけしか求めてないような言い草ですね」
「その調子で三年間も通い詰めやがったんだぞ? どういう神経してんだろうな。ま、金を払ってくれりゃ文句はねえが」
お前らはそうなるんじゃねえぞ、と言い残して、店主はその場を去っていった。
「ちょといい?」
身を乗り出して、つかさがひそひそと言う。
「マスターの話だけど」
「三年間も便利って理由で通い詰めたススガク生徒の話?」
「うん。多分それ、姉だと思う」
ははあー、と声が出た。
「じゃあ、便利って理由で通い詰めたのも……」
「秘密基地の設計図作りとか、そんな理由だろうね」
人に歴史ありとは言うけれど、店にも歴史があるものだ。
しかしそうなると、椋榎兄弟――兄弟の表記が正しいかは別として――が喫茶『ロンド』に通うのも同じ血を引いているがゆえになる。
ふむふむ、これは面白い因果関係ではあるものの、店主には黙っておいたほうがよさそうだ。ぼくは何も聞かなかった――そういうことにしておく。
とろりとした甘みと爽やかなチーズの酸味が後を引いて、「びゃぁ、美味い」とつい感想が漏れそうになった。
珈琲の味は一流で、スイーツの腕も相当にあるここの店主は、いったい何者なんだろう。もしかすると、知る人ぞ知るバリスタとか、元・ケーキ職人の肩書きを持っていたりするのでは。
うっとりしながらレアチーズケーキをもぐもぐしていると、シフォンケーキにフォークを入れたつかさの手がすっと留まり、「ん?」という表情をした。コバルトブルーの双眸はぼくを飛び越え、ドアの方へと向けられている。
「どうし――」
どうしたの? と言い終える前に、ガランゴロン――、ドアベルが勢いよく店内に鳴り響いた。
そして、
「御門ともえと椋榎司はいる!?」
ピシャリ――。
雷鳴が轟くような大声で、彼女はぼくらの名前を叫ぶのであった。
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by 瀬野 或




