#47 オトコオンナ
今までは、自分の中だけで全てが完結していた。
ぼくを「オトコオンナ」と厄介者扱いする同級生たちに、「おはよう」と挨拶を交わすこともなく、静寂に包まれながら一日が始まる。
初めは、とても悲しくて、兎にも角にも苦しくて、どうしようもなく孤独だった。けれど、それが日常だと自覚すれば、悲しみも、苦しみも、孤独だって、当たり前になる。
当たり前にしなければいけない、と思っていた。
そうしなければ、母のように心が壊れてしまう。心が壊れた人間がどうなるのかを知っていたから、『にげる』のコマンドにカーソルを合わせるのも、悪い選択とは考えなかった。
これまでがずっと一人だったもので、他人とどう接してよいものかわからず、逃げた先のネットゲームでもシングルプレイ——ソロプレイヤーと呼ぶと知ったのもグリモワの攻略掲示板で知った――。
地道にコツコツやるのは嫌いじゃないし、幸か不幸か、他人からの悪意には、多少の免疫がある。
ネットゲームは自分に向いていると自覚して、のめり込み、試行錯誤の結果、ランキング一位になり、不正を疑われてアカウントを永久BANされた。
これまで費やした時間と情熱が、一瞬で露と消えた。悔しくて、遣り切れなくて、それでも受け入れてしまえたのは、「ぼくが弱いからだ」――今にして思う。
高校生になったら友だちを作ろう、と一念発起した。
変われないのであれば、自分を取り巻く環境を変化させてしまえばいい。『そういう環境』に身を投じることで、弱い自分も受け入れてくれる、やさしい友だちも見つけられるはずだ。
そうしてぼくは、椋榎司、藤村謙朗と友好関係を結べた。
しかし、此処にきて、つかさが問うのだ。
これまで歩んできた道を、捻じ曲がった魂胆を、何もかも見通すようなコバルトブルーの瞳を向けて、『それで満足ならいいんじゃないか』と――。
一見すれば肯定的な発言にも思えるが、つかさの言葉には釣り針に似た『返し』があって、なかなか抜けてくれない。
抜けるどころか、ちくり、ちくり、と何ども突き刺してくる。――ああ、忘れていた悪夢の正体は、それだったのか。
ぼくが隣に座っても反応を示さず、依然として文庫本を読み続けるつかさに、思い切って「おはよう」と声を掛けた。
「ん、おはよ」
反応があって安堵しそうになったけれど、昨日は何もなかったかのように振る舞ってしまうと、あの言葉を無視したことになる。
いろいろと思うところがあるつかさも、ぐっと堪えて挨拶を返してくれた。応えなければ、それは不義理というものだ。
「つかさ。そのままでいいから、聞いて」
「……」
ぺらと捲ったページの片側に、美麗な絵が差し込まれている。
朝の風景か、放課後の一幕か、そこまではわからないけれど、高校生らしき女子生徒二人が、窓辺の席でお互いに肩を寄せ合う姿を背後から描写した、光と影のコントラストが際立った絵だった。
「ぼくは満足だと思ってた」
つかさ、藤村くんと友だちになれて、それで満足だ――と、思い込もうとしていた。
「多分、つかさがああ言ってくれなかったら、満足して終わってた」
あの一言は、敢えてぼくを突き放すように仕向けた、つかさなりのチェーントラップだったんじゃないかって、今は思う。
「でも、ぼくは満足してないみたい」
満足していたら、悪夢を悪夢のままにして、永遠に忘れようとしたはずだ。
「ねえ、つかさ」
聞いてほしい。
「ぼくはつかさと、『友だちから』始めたけど」
聞いてくれているのか不安になってきた。
つかさは自分勝手で、ちょっと我儘で狡いと思う。それでも、言を止めない。初めてできた友だちだから、思いの丈をぶつけてみたくなったのかも。本音を言ってみたくなった、の、かも。
「それだけの関係じゃ、きっと、満足できないの」
頭の中がぐちゃぐちゃで、何を言っているのか自分でもわからなくなっていた。言葉遣いも途中からおかしくなった。
おかしくなっていたのには気がついていたけれど、もう、男とか、女とか、どうでもいいやって気分。――『オトコオンナ』だし。
「ともえってさ」
ぱたり――。文庫本を閉じ、椅子ごとぼくに体を向ける。
つかさ越しに見た窓の外側は、雲の切間から太陽の光が地上に降り注ぐ、幻想的で美しい世界に見えた。
「百点満点のテストで『平均点よりちょっと上を取れればいい』って思ってるみたい」
「え」
まあ、否定はしない。
「影ながらひっそり努力をしているけど、ちょっといい加減というか、要領が悪いというか」
それもまあ、否定はしない。というか、ぼくという人間性を的確に捉えすぎて……え、ちょっと待って? 無理、しんどい。勿論、言葉どおりの悪い意味で。
「でも、答えを出そうって足掻けるのは、いいと思う」
「そうかな」
「うん」
つかさは微笑みながら、ぼくの両手を握った。
両親以外の温もりを初めて知った――ような。
恥ずかしくて、顔から火が出そう。
「今はこれで我慢ね」
「……そういうものなの?」
「そういうものだよ」
どういうもの、なのかは、これからゆっくり探していけばいい。
――多分、そういうもの、だと思うから。




