#36 War of grimoire
地面を激しく打ち付けていた雨は、小一時間もすると小雨になった。
食堂にいた生徒たちがまばらに食堂を出ていくのを見て、「私たちも出ようか」とつかさが言う。
今なら多少衣服が湿り気を帯びる程度で済むし、自分のせいで電車内の湿度が上がっているという居心地の悪さを素知らぬ振りで通せれば、絶好のタイミングとも言える。
ぼくは「そうだね」と頷いて立ち上がり、中身が空になったプラスチックの湯飲み二つを返却口に戻した。煎れてもらったし、これくらいはやらなくちゃ不公平だ。
返却ついでに南蛇井耀生の所在を確認してみたけれど、番長は既に食堂を去っていた。いついなくなったのだろう? 周りがみえなくなるほど盛り上がっていたわけでもなかったのに。カフェテラス側から出ていったのかな。
ぼくが余所見をしている最中に、つかさの姿が目の端に入る。懐から取り出したスマホの画面を確認し、愉快そうな顔でぽつりと何か呟いた。口の動きから察するに、「へえ」とか「ほう」とか、二文字だった。
自分のSNSアカウトに反応でもあったのかな?
それとも、耳寄りな情報を入手した?
普段どんなことを考えているかは、これまでの付き合いである程度の予想はできる。けれども、こういう時は何を考えているのかさっぱりだ。聞いてもどうせはぐらかされるだけなので、代わりに、これからの目的を尋ねた。
「目的地はにくのふじむら?」
うん、とつかさは首肯する。
「ケンローも帰っている頃だろうし」
その言い方では、藤村くんが何処にいっていたのか見当が付いているみたい。
雨が降る前に姿を消した藤村謙朗。
小雨になるまでススガクに残ったつかさ。
うーん……考えすぎ?
食堂の正面風除室から外に出た。以前よりは大分マシにはなったけれど、地味に濡れる雨量は降っている。にくのふじむらがススガク側でよかったと心底思いながら、ぼくの先を走るつかさの背中を追った。――それにしても。
前方をいくつかさの背中が、ちょっと楽しげに見えるのは、どうしてだろう。
つかさの行動はどうにも意味深で、それでいて無計画だったりするものだから、心理戦だと勝てる気がしない。リバーシみたなボードゲームや、ポーカーのようなカードゲームを挑むのは無謀だ。じゃんけんも勝てるかどうか怪しい……あれ? ぼくがつかさに勝てる要素ってないのでは?
* * *
にくのふじむらに到着すると、藤村母が閉店作業をしていた。
精肉店の店員というだけで恰幅のよい姿を連想してしまうけれども、藤村母はすらっとした体型で、都会のキャリアウーマンが田舎に嫁いできたって印象が強い。
スーツなんか着たらそれは似合うだろう。無論、着ているのは作業服と、にくのふじむらと書いてある緑色のエプロンに三角巾だ。
店主である藤村父は、何処か昭和の古いドラマに出てくる、中肉中背の頑固な親父って風貌。背丈はそれほど高くない。奥さんのほうが背が高いんじゃないか? お店の奥にいて、緑のエプロンと白いタオルを頭部に被っている。
息子情報によると、藤村父は奥さんにべったりらしい。美人だし、それはそうだろうと納得だ。
「すみません。今日はもうおしまいで」
シャッターを半分下ろした状態で手を止め、ぼくらに頭を下げる藤村母。
ぼくは何度も対面しているけれど、男子姿のつかさは初見だ。つかさの説明をしても理解できないだろうと省いて、買い物にきたわけではないと応答した。
「謙朗くんはご在宅ですか?」
「ああ、そういうことですか」
藤村母は息子の部屋を見上げて、
「謙朗は帰宅してからこっち、ずっとゲームをしています。どうぞ上がって下さい。作業に区切りが付いたらお茶を――」
「いえ、お構いなく。すみません、失礼します」
藤村母の態度が軟化する日はくるのだろうか。――想像できない。
店の裏にある錆び付いた階段を上がり、礼儀としてインターホンを鳴らしてみた。当然、反応なし。ヘッドホンを付けてゲームをしているのであれば、外の音が聞こえないのもわかる。けど、ぼくらが訪ねてくるって想像はしなかったのか? 不満に思った。
「お邪魔します」
勝手に玄関のドアを開けて入る。
藤村くんの部屋は、向かって左側の和室だ。
どうせ襖を叩いても返事はないだろうね、とつかさが勢いよく開くと、勉強卓の上にあるパソコンの画面に気を取られていた藤村くんの身体が跳ねて、酷く驚いた表情をぼくらに向けた。
「くるならくるって連絡を入れろ……死ぬかと思った」
「なんだ、元気そうじゃん」
つかさの問いに「元気なものか」、嫌味ったらしく返す藤村くん。
「内通者くんの姿がないね」
「ふとしならもう帰った」
あれほど『内通者』呼びに拘っていたのが嘘みたい。
「結果は?」
「まあ、その、なんだ。雨降って何とかってやつ」
「それはそれは」
二人で話を進めれられて、ぼくは蚊帳の外にいる気分だ。でも、混ぜてほしいなんて恥ずかしくて言えない。
だから一向に友だちが増えないんだろう。わかっちゃいるけど、こういう性格なのだ。性格だったらしょうがないじゃん。うん、諦めよう。入学式前に抱いた『友だち百人計画』が頓挫した瞬間だった。
「ねえ、どういうこと?」
つかさのシャツの裾を引っ張って、この意味深で意味不明な状況の説明を乞う。
「ギリギリだったけど、どうにかなったってこと」
ぱどぅーん? と思った。
「内容を端折りすぎてわけがわからないよ。取り敢えず主語を頂戴」
天才は天才すぎるがゆえに、説明が天災レベルで大雑把だったりするのだが、先の説明は大雑把の域を超えている。まるで、ぼくに状況を把握させたくないみたいでちょっと腹が立った。
「俺が説明する。先ずはこれを見てくれ」
画面を見ろ、と言わんばかりに顎をくいっと動かしたのには苛ってきたけど、ぐっと呑み込む。
パソコンに映し出されていたのは、War of grimoireの『会館』と呼ばれる施設内の映像だった。
会館の主な役割は、クランの勧誘、プレイヤー同士の情報交換と雑談、装飾品の変更、有償ガチャ――所謂『プレイヤーたちの寄り合い場』みたい場所だ。
会館の外観は雲をも突き抜ける巨木で、その中を繰り抜いた作った、という設定。
配置されているテーブルや棚に至るまで、オブジェクトの全てが床と一体化しているのも設定を忠実に再現するためだ。雲を突き抜ける見た目だって、クランが増えても設定に矛盾が生じないようにってことだろう。
会館の一階がエントリーホールとなっており、ここではバトルの受付などのメインコンテンツが行われる。
階段を上がって二階に進むとクランの勧誘、他のプレイヤーとの交流がメイン。その上が各クランの部屋。
藤村くん改め、プレイヤー刹那がいるのは何処ぞのクランのようだ。
クランの部屋を利用するには、新しくクランを設立するか、既存のクランに加入する必要がある。
ということは、どっかの誰かさんに影響されて一匹狼を貫いていた刹那も、ついにクランに所属したってこと。――そして。
このクランはおそらく、雲然くんが操る天界人・クラウディアのクランだってことは、説明されなくても直ぐにわかった。




