#35 彼らの虚無時間の茶会
台風でも近づいてるのかな、つかさが言う。そうでもなければこんな槍みたいな雨が降るわけがないって。
ぼくはスマホを取り出して、天気予報アプリを開いてみた。
朝よりも酷い荒れ模様だけど、台風が小笠原諸島に接近している――みたいな情報は書いてなかった。仮にそうだったとしても、小笠原とここでは距離があるし、影響を受けるのは三日くらい先じゃないかな。
玄関より先は大きな水溜りができていた。
どんなに真っ平に見えても凹凸がある。それに、等しく平な地面などこの世界に存在するのかも怪しいところだ。つるつるに磨いた大理石の床でも沢山の革靴の往来で、徐々に擦り減ってしまうのだから。調べるのであれば、ちゃんと見なきゃいけない。
ちゃんと見る、これがなかなかに難しい。
先入観とか、思い込みとか、そういったものが邪魔をして、ちゃんと見れない場合が殆ど。もっとよく見ておけばよかったって後々後悔するんだ。
隣で退屈げに欠伸を噛み殺しているつかさは、やっておけばよかった、とか、ああしておけばよかった、とか、悔恨の情に苛まれたりしなさそうではある。だけどそれは、ぼくが勝手に作った想像の椋榎司で、実際は、誰も見ていないところで泣いていたりするのかな。
見えないものばかりだから、ちゃんと見るって、本当に難しい。
コバルトブルーの双眸には、何が見えているんだろう。どういう風に見えるんだろう。ざあざあと轟音を立てて降り頻るこの雨は、どんな色をしているんだろう。――思い切って尋ねてみた。
「付けるのに失敗すると視界がぼやけたりするけど、他は特に変わらないよ」
「へえ、視界が青くなったりしないんだ」
「カラコンで色を変えるのは瞳の輪郭部分だけ」
「伊達眼鏡みたいな感じ?」
つかさは頭を振る。
「ともえも使ってみればわかるよ」
「嫌だよ。目の裏に入ったらと思うと怖いし」
「そういう事故がないわけじゃないけどさ。面白いよ?」
「ぼくは裸眼派ってことで」
そういうもの? と訊ねられると思って身構えていたけれど、つかさは何も言わなかった。
* * *
立ち話も何だからと、少し離れた場所にある食堂に移動した。
ススガクの食堂は十七時まで解放されている。けれど、飲食物の販売はお昼で販売終了だ。では、飲食物の販売が終わった食堂で何をするのか? というと、お茶とお水とお湯が出る無料のサーバーがあって、それらを飲みながら歓談したり、本を読んでたり、各々が思い思いの目的で利用している。
コーヒーも無料で飲めたらいいのにな。
それはさすがに贅沢すぎる注文か。
喫茶『ロンド』の味が恋しい。
自販機でホットのブラックコーヒーを買って、適当な席に腰を下ろす。つかさが買ったのはミルクセーキ。下半身に卵の殻をズボンみたいに穿いたひよこが「甘くっておいしいピヨ!」と吹き出しで語る、何とも言えないユニークなデザインだ。
ミルクセーキってどんな味がするの? 飲んだことはないし、見つけても買おうと思わない。喉が渇いた際に選ぶのは、水、お茶、珈琲と相場が決まっている。冒険は程々。
「飲んでみる? 甘くっておいしいぴよ」
「とっても甘そうだし、要らないぴよ」
で、ミルクセーキのセーキって何?
ミルクケーキ味であれば味の想像は難くない。甘くっておいしいんだろうなって思う。けど、ミルクセーキ味と書かれると首を傾げたくなる。セーキって何なんだろう。
「ともえはいつもブラックだよね?」
「ブラックな人生を歩んできたからね」
「黒歴史ってやつだ」
そう言われると、大した人生を歩んでこなかったみたいだ。まあ、そのとおりではある。Aがひっくり返って髭に見えるくらいには黒歴史塗れだしなぁ。
あのモビルスーツも見た目で随分と言われてきたし、親近感を抱いてしまうんだ。ぼくはいいと思うよ? 個性的で。
「ケンローもきっと黒歴史真っ最中なんだろうな」
「現在進行形で黒歴史って辛い」
辛辣だねぇ、つかさは苦笑する。
「ともえって結構毒吐くよね」
「ネトゲ中なんてもっと酷いよ」
「あー、何か想像できちゃった」
冗談って言う前に納得されてしまって、否定しようにもできなかった。このままではそこら辺にいる煽り厨と同類に思われてしまう。あんな低俗な連中と一括りにされたくはないが、ぼくが弁解するより先につかさが口を開いた。
「内通者くんはケンローのとこにいったのかな」
「サトウタイチだって」
「うわ、すんごく普通だ」
ぼくの毒はつかさほどではない、と信じたい。
「ふとし、とも呼ばれてなかった?」
「ああ、あの、『なんかー』の人がそう呼んでたのは覚えてる」
なんかの人の苗字が南下さんだったらしっくりくる口癖だ――そうでもない?
* * *
飲み物が切れたのを察して「お茶持ってくるね」と、つかさは席を立った。
話も途切れたし、適当な話題でも落ちてないものかと周囲を窺うと、遠くの席に見覚えのある生徒が一人で何やら作業をしていた。
あれは、我がクラスの番長・南蛇井くんでは?
どうして彼がこんなところで——何をしているんだろうと手元を見ると、メモ用紙に何かを真剣な表情で書いている。果し状? まさか、喧嘩番長でもあるまいし。
「おー、珍しい人が珍しい場所にいるもんだ」
はいお茶ー、って、つかさがぼくの前に緑茶を置いた。
「耀生っていつも一人だけど退屈じゃないのかな」
南蛇井くんを下の名前で、しかも呼び捨てにするとは。ぼくにはそんな恐ろしいことできそうにない。多分、面と向かったら敬語を使ってしまう。そういうオーラが南蛇井くんにはある。アウトローみたいな。――けれど。
「一人は辛いよね」
傍にはいたくないが。
「経験者は語る」
「その語るシリーズやめない?」
独りはとても辛くて退屈だ。
本当の意味で自由を満喫するのであれば一人のほうが好都合で、他人がいると返って邪魔になることのほうが多い。
ゲームでも、NPCと会話しているのが気楽だって場面もある。地味な作業は好きだし、お遣いイベントはプレイヤーに煙たがれるけど、ぼくにとってはいい暇潰しだ。
それでも偶に、あまりにも虚無的な時間の使い方だと絶望して、その度に「英単語の一つでも覚えたほうが有意義っちゃ有意義だなぁ」と思ったり、思わなかったりする。
南蛇井耀生は、今、たった独りで虚無っているのだろうか――虚無るって言葉の意味は知らない。
いつもご愛読下さいまして、誠にありがとうございます。皆様のブックマーク、評価、いいね、が私の活動の支えです。これからも応援を宜しくお願いします。
by 瀬野 或




