#34 止まない雨はないけれど、沈まぬ太陽もまた存在しない
調べたいことがあると言ったきり行方を暗ませた藤村くんは、終礼を迎えても教室に戻ってこなかった。
ススガクでは授業をサボるなんて日常茶飯事、当然のように起きる。朝に主席を取っても次の授業からいなくなるなんてのはざらで、不人気の授業であれば出席率も格段に下がる。
そこには、授業を受ける自由・受けない自由、が含まれているのだろう。教師側も授業をサボる生徒に罰則を与えたりはしない。無論、授業中に外を出歩く生徒を見掛ければ、「授業出ろよー」くらいの口頭注意はするけれど、それだけだ。
我がクラスの担任・荻原菫子も他の教師たちと同様に、藤村くんがいなくなっても気にしないと思って様子を見ていたのだが、どうやらそうではないらしい。
六限の授業が始まる前、朝よりも増えた空席を見つめて「藤村くんはどうしたのかしら?」と、独り言のように呟いていたのをぼくは耳にしている。
「菫子ちゃん、元気なかったなぁ」
荻原さんの独り言を耳にしたのはぼくだけじゃなかったようだ。そうなると、今度は藤村くんが他のクラスメイトに注目されていないって証明になってしまうのだが、あんなに濃い見た目をしているのに、どうして誰も何も言わないのか不思議だ。
「その呼び方、すっかり定着したね」
当初は『荻原さん』と呼ばれていた担任の呼び名は、いつの間にか『菫子ちゃん』になっていた。
最初に馴れ馴れしく「菫子ちゃん」と呼んだのは、チャラーズの中心人物だった苗代桔花である。
どうして『中心人物だった』と過去形なのかというと、チャラーズでは早くも内部分裂が始まっていた。ぼくはこの分裂劇を『歌舞伎者の乱』と勝手に呼んでいる。
まあ、苗代さんは見た目と言動こそギャルギャルしいけれど、案外、根は真面目そうだから、パーリーピーポーなノリが合わなかったのだろう。ギャルギャルしいなんて日本語はありません。
「菫子ちゃんを口説くなら今がチャンスかもしれないよ?」
まさか、ぼくは頭を振って否定する。
「教師とそういう関係になろうなんて思わない」
「教師じゃなかったらいいんだ」
「そこはほら、恋愛には何が起きるかわからないでしょう」
ともえも何だかんだ男だよね、とつかさは笑った。
「ぼくを何だと思ってるの?」
「友だち以上友だち未満?」
「それは漏れなく友だちだと思います」
「漏れなくの使い方、それで合ってる?」
細かいことは気にしない。――それにしても。
以前は終礼が終わるやとっとと帰っていたのに、最近は実にゆっくりな帰宅のつかさである。心境の変化なのか、クラスの一員として自覚が芽生えたのか、それとも単純に慣れたのか。
理由はいろいろ考えられるけれど、やっぱり、自分という存在がクラスメイトに認識されたのが一番だろう。つかさがどんな格好をして登校してきても好奇な目を向ける者はいない。慣れってやつだ。つかさの狙い通りとも言える。
「それにしてもケンローは何処にいったのやら」
明日になれば登校してきて、その時に謝罪をすれば丸く収まりそうなものだ。今更どうにかしようとしても意味がないと思うが、藤村くんには思うところがあるのだろう。
それはおそらく、昨日、つかさが言ったあの発言に感化されたとしか考えられない。それだけ強烈な一言だったし、ぼく自身も考えさせられて、答えが出ないまま放置している。
「一応、メッセージは送ったんだけど、既読が付かないんだ」
いつ送ったんだろう? そんな素振りは全くなかったけど……つかさが一人になったのは秘密基地から教室に戻る直前に、「花束を盛大に作ってくるよ」とトイレにいった時だけ。
入学時に白のネームプレートを付けていた生徒たちの多くは多目的トイレを使うので、一年生は校舎一階にある職員室近くのトイレまで移動しなければならない。勿論、他にもいくつか候補はある。けれど、つかさは毎回遠い場所――生徒の出入りが少ない場所――を好むのだった。
「おかしなことになってなきゃいいけど」
「藤村くんが心配?」
「昨日の今日だからね。そりゃ心配もするさ」
つかさも人の子、他人を想う心は持っているようで安心。
「いま、凄く失礼なことを考えてたよねぇ? 傷つくなー」
「そんな棒読みで言われてもなー」
だけど、ドライな性格だと思っていたのは事実だ。
他者から受ける好意をどうとも思わないってことは、それだけ他人に対する興味が薄いってことにもなる。もっと酷い言い方をすれば自己中心的――根本的に認識を間違えているのかもしれない。
「とりあえず、いってみよっか」
「いくって何処へ?」
「こういう時こそ情報通の内通者くんの出番じゃん?」
ああ、サトウタイチのことね。
高確率で珍しい名前を持つススガク生徒たちの中で、彼は平凡な名前をしているものだから、ついうっかり。言われてみればいたなぁそんな人って失礼なことを口走るところだった。
* * *
「ふとしなら、なんか、とっくに帰ったっぽいよ。なんか、友だちの手伝いするとか言ってた」
「ふとし?」
「太一のあだ名。なんか、太一って太いじゃん。それで」
隣の教室に赴いて近くにいた適当な女子生徒に「佐藤くんはいますか」と尋ねたところ、迷惑そうな顔でそう答えられた。しかし、彼女もまた、なんか、キャラが濃い。会話の中で何回『なんか』を使うんだろうって、なんか、数えていたのがバレて、なんか、余計に怪訝な態度をしていたのかもしれない。なんかー。
「一足遅かったみたい。つかさ、どうする?」
「手掛かりもなしに歩き回るのは得策じゃないな」
つかさの意見を尊重し、闇雲に探すくらいなら『にくのふじむら』に寄ってみるかと結論に至ったのだが、季節外れのバケツをひっくり返したような豪雨にぼくの思考が停止。つかさと顔を見合せて「これ、どうしよっか」と、どうにもならない虚脱感を共有させた。
終礼が終わるまでは降っていなかったのに――しかも、お互いに持ち合わせの傘がないというお手上げ状態である。
「何だろう。もういいかなって気分になってきた」
「ともえってそういうとこあるよね。妙に諦めがいい」
「だってこれ、物理的にも不可能じゃん」
藤村くんがどうこう言っている場合じゃない。
「さすがにこの雨量だ。ずぶ濡れ覚悟で飛び出すのは躊躇うねぇ」
「にくのふじむらに到着する頃にはずぶ濡れどころの騒ぎじゃないよ」
何より、父から譲り受けた年代物のMDプレイヤーは無事では済まないだろう。愛着が湧いてきただけに故障は勘弁願いたいというか、修理しようにも部品の製造が中止になっいるはずで、一度でも故障すれば南無阿弥陀仏である。――と、藤村くんはそこそこに、時代遅れの遺物の心配をするぼくであった。




