#33 不意に刺さった棘を、彼はどうにも抜くことが出来ない
昨日の夜からずっと、「他人任せな態度が気に入らない」と言ったつかさの言葉が痼みたいになって未だ心に残り続けている。
自分を棚に上げるようで釈然としないが、他力本願は悪いことだ、とは思う。自身がやらなければならないことを他人に任せて高みの見物を決め込むのは卑怯だ。
だがしかし、適材適所という言葉もある。野球に人生を捧げていた者に、「これからは美術に専念しろ」というのは、さすがにおかしいだろう。
では、人間関係だと何方の言い分が正しいだろうか。
誰かと喧嘩をしたとして、「謝るの苦手だから代わりに頭を下げといて」と第三者に頼むのは、人間関係に明るくないぼくでも間違っていると判断できる。
だけど、世の中には『退職代行』なる闇が深そうな仕事も存在している。法的な問題を度外視すれば弁護士も『対犯罪仲裁代行者』の括りに入りそうなもので、ああでもない、こうでもないと考えて、答えを出せないまま薄野駅に到着していた。
改札の向こう側につかさの姿は見当たらない。予め「改札前で待ち合わせ」とメッセージを送っていれば待っていてくれたかもしれない。
本当は送ろうとしていたんだ。
でも、送れなかった。
特に用事があったわけでもないし、つかさだって朝は一人でゆっくりしたいかもしれない、と、送ろうとした一文を削除したのだ。
外に出ると灰色の曇が空を覆っていて、今にも雨が降り出しそう。家を出た時は晴れていたのに、どうして、仄かに雨の匂いがする。
「おはよ!」
背後で元気な声がして振り返ると、同じクラスの女子が友人に挨拶をしていた。
彼女たちはいつも三人一組で行動している。トイレにいく時も、自販機に飲み物を買いにいく時も、どんな時だって一緒。例えそれがとても窮屈な関係だったとしても、彼女たちにはそうする他に自分たちの関係を守る手段がないのだろう。
友だちという存在は、良くも悪くも自分を縛る枷になり得る。件の藤村謙朗だって、雲然くんという枷に囚われていると言っても過言ではない。ぼくだって――そう、なるのかな。
* * *
玄関から教室に向かう廊下で、藤村くんが誰かと話し込んでいた。相手はおそらく、藤村くんが『内通者』と呼んでいた他クラスの男子生徒。
背丈は藤村くんと同じだが、恰幅のよい体型のせいもあって大きく見えた。
内通者くんはオシャレに気を使わない人のようだ。何処となく某国民的アニメに出てくる剛田のアニキっぽい。胡散臭い雰囲気は骨川家の次男感がある。
「御門、良いところにきたな!」
ぼくとしてはバッドタイミングだと申し上げたい。
「彼が昨日話した内通者だ」
「どうも内通者です。で、内通者って何の話?」
遠目から見た印象とは大分違い、内通者くんはノリがよさそうだ。そのノリのよさも相俟って軽薄そうにも思えるが、深い付き合いをしなければ然ほど問題にはならなそうではある。
明日以降、彼とすれ違っても挨拶すらしなくなる気がするので、敢えて名前も尋ねなかった。
「貴様のことだ。佐藤太一」
ああ、そう……。
サトウタイチっていうのか。
ありふれた名前すぎて一発で記憶したよ。
「さっきの話をもう一度、御門にも聞かせてやってくれ」
何だこの第三者を介しての自己紹介は。
こうなるくらいなら最初から名乗ってたよ。
「さっきの話って、もっちゃんの?」
「そうだ」
雲然くんを『もっちゃん』と愛称で呼ぶ仲なら、二人の関係はそこそこに良好と言える。——情報の信憑性は高そうだ。
「もっちゃん、明日には登校するってさ」
* * *
「そっか、よかったじゃん」
つかさはそう言うと、コンビニで買ってきたタマゴサンドに齧り付いた。
お昼まで引っ張るような情報ではなかったけれど、「折角なら秘密基地で」と言うものだから、午前中はその内容に一切触れず、現在に至る。
空は相変わらずの曇天。でも、雨が降るのは十五時以降とスマホの天気予報に出ていた。降水確率は七十パーセント。昨日よりも風が冷たい。丸太をカットして作成されたベンチも湿気を帯びている。それでも構わず座っているけれど、お尻が濡れないか心配になってきた。
「で、ケンローは?」
「調べたいことがあるって」
「調べたいことって?」
「さぁね。そこまでは聞いてない」
ぼくは食堂で購入したシーチキンおにぎりを一口齧った。シーチキンの油分がご飯に浸透して、お米の甘さが増している。
食堂の売店で販売しているおにぎりは日によって内容が異なるのだが、シーチキンだけは毎日用意されている。それだけススガク生に人気の商品ってわけだ。
「今日は男子の気分だったの?」
「まあね」
藤村くんがいないのであれば、雲然くんの件を話しても意味がない。しかし、これと言った話題もなかったもので、今日のつかさの気分を訊ねてみた。
「朝、歯磨きしている最中に鏡を見て、『今日はこの気分だ』って感じで決めてる」
「案外適当なんだ?」
「言われてみれば確かに適当かもね。ほんと、感覚だから」
服を選ぶ感覚に近いのかな? 他人の性別をファッションの一環として捉えたぼくの感性はどうなのだろう。良くはない、と思う。
良くはないのだろうけれど、つかさがあまりにも気軽に受け答えするものだから、そういうものなのかも、と思ってしまった。
とはいえ、ぼくも似たようなものかもしれない。
いや、ぼくの場合は『特別な日』が定められていて、それに従って女装しているだけだ。つかさと違って随分と受動的だと言える。つかさからすればこれも、『気に入らない』のうちに入るのだろうか。




